この城跡は、北に太郎山を背負い、東側は神川の断崖に臨み東太郎山の支脈が南方に突き出た先端に築かれた要害堅固な中世の山城跡である。城跡からの眺望はすばらしく、上田・小県地方はもちろん、烏帽子岳西麓から北佐久方面まで一望のもとに見渡すことができる。
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事
こんにちは、ゲストさん
[ リスト | 詳細 ]
この城跡は、北に太郎山を背負い、東側は神川の断崖に臨み東太郎山の支脈が南方に突き出た先端に築かれた要害堅固な中世の山城跡である。城跡からの眺望はすばらしく、上田・小県地方はもちろん、烏帽子岳西麓から北佐久方面まで一望のもとに見渡すことができる。
|
砥石城は、本城を中心に北に枡形城、南に砥石城、西南に米山城の四要害から構成されている堅固な連郭式の山城である。築城年代は不明だが、室町時代後期に坂城の村上氏が小県方面へ進出する拠点としていた。天文19年(1549)村上義清が武田晴信の軍を大敗させ、世に「武田の砥石崩れ」と称されたが、翌20年真田幸隆は調略を用い、独力で攻略した。
|
|
バソコンからの写真投稿不具合に関して皆さん、ご心配をおかけしています。また、色々とアドバイスありがとうございました。感謝、感謝です。
もう少し頑張ってみますね。
と、言う事で今回はスマホ
しかし写真デカぁ…
紅葉祭りって云うのにまだ色づきチョロチョロでしたが… 祭りイベントの一つ真田鉄砲隊による砲術披露は凄かった。
西櫓前に赤備え軍団登場。 構え! 撃てぇ!! ズドォ〜ン 大迫力でした。とにかく音が凄い。火縄銃でこれだから大筒はもっと 凄いのかと
「和議じゃぁ〜」となりますよ。
また櫓の下からの砲撃と云う演出が憎いですね。
上田城合戦を彷彿させてカッコイイ
そうそう現在上田城鎮守曲輪にある市民会館の引っ越しが決まっていて、跡地に武者溜を復元するそうですよ 二の丸橋を渡ったところの観光会館一階のお土産屋さんにも飾ってある 高橋今朝男さん作・真田父さん時代の金鯱。お色直しして金箔が鮮やかになりました
信州上田おもてなし武将隊は11人勢揃いでした。 上田・真田の里はやっぱり楽しいかった〜です
初のスマホからの投稿記事でしたが、細かい修正しなきゃならないので
手間隙かかります。これでのお城記事はキツイですわ。
早いとこ復活させなきゃ…
|
|
上田藩主居館に引き続き真田記事を
上田市街で真田幸隆公、昌幸公見つけ〜
長谷寺(長野県上田市真田町長4646)この石のアーチが長谷寺のシンボル
天文16年(1547)に真田幸隆公が領地回復の時に上州(群馬県安中市上後関)の長源寺より「伝為晃運和尚」を招き、一宇を建立して「真田山 種月院 長谷寺(ちょうこく)」と称しました。
真田昌幸公が、父・幸隆公の菩提の為に改修し諸堂を完備しましたが慶長5年(1600)の第2次上田合戦で兵火にかかり焼失。
その後真田信之公の代に真田氏は上田の地より松代(長野市)への移封となり菩提寺である長谷寺の住職も共に移り、字を変えて「長国寺」を建立。長国寺の末寺となります。 寛保2年(1742)には土石流により土砂に埋まると伝えられています。宝暦7年(1757)に再度火災、そして14代雄峰和尚のとき再建されましたが、明治23年1月10日夜、またも火災に遭遇しすべてを灰燼と化し、現在の本堂は昭和53年に再建されたものです。
残念なことに、このような経緯から長谷寺には文献・宝物等何ものこっていません。(長谷寺HPより引用)
右から真田昌幸公、真田幸隆公、幸隆公婦人の墓。 ↑の墓所の隣に真新しい供養塔が…どなたの??と見てみたら
おぉ〜真田幸村公供養塔!
今年の5月に建立されたばかりですね
安居神社の土が納められているとの事。全然知らなかったので嬉しい
サプライズ
これで真田三代勢揃い〜
ないじゃん…
このお賽銭は真田ファンのこだわり
して来るぞぉ。
長谷寺から上田市街へと下る途中にあった旗見石
あれは松尾古城かな。
何度でも訪れたい上田・真田町。やっぱり真田が好き
|
上田藩主の居館は、真田氏・仙石氏・松平氏の各時代を通して、現在の長野県上田高等学校の敷地となっている場所にあり、「御屋形(おやかた)」と呼ばれていました。
|
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | |||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
| 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
| 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
| 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
[PR]お得情報