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お城散策(長野県・新潟県)

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 この居館跡は通称御屋敷と呼ばれていて、周囲に高い土居を巡らしている。その規模は東辺80メートル、西辺130メートル、南辺160メートル、北辺150メートルあり、梯形状をなしているが、東南隅を入角としたひずみ土居になっている。南方を正面(大手)としていたようで、中央西寄りの入口に内桝形の跡を残し、裏木戸(搦手)と思われる所が北辺の土居の中央近くにある。構内は東半分が高く西半分は低くなっていて西北隅に厩屋跡がある。真田氏が尼ヶ淵城(上田城)を築城する以前、隆幸、信綱の代に用いられた居館跡と考えられ、その構築の年次は明らかではないが永禄頃かと考えられている。北東に真田本城、東に天白城を、北に神川を隔て横尾城、その隣に曲尾城、西に戸石城、南西に矢沢城等が配された要所にあって、戦国時代真田氏が勢力を伸長していった経過のあとを知ることができる。また当時の豪族の居館の規模を知ることができるものとして貴重である。(案内板より)

真田氏館図
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東虎口  この辺りは鬼門除けのため角がありません。
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南側の土塁(館内より)
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大手口  内枡形になっている〜と案内板にあります。
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大手門跡の石垣  真田氏本城同様に霜だらけ…
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西郭
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西郭の北西部の厩跡 
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搦手口  ここも石垣が使用されています。
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北側に流れる沢川を水堀としてあと三方は空堀が廻っていました。 
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北側の土塁(館内)〜下から
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北側の土塁(館内)〜上から
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皇太神社が鎮座
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この石垣は本物らしいです 道路は堀跡ね。
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総評  ★★★★☆  (旦さま私見  ★4つ)

真田氏本城の次は真田氏歴史館のすぐ近く真田氏館で決まり!
 
現在は御屋敷公園となっていて土塁、石垣など良好に遺構が残っています
 
真田昌幸上田城に移る前までの居館と云われていますが、こちらも確信は
 
ないとか… 謎多き真田… 一応、幸隆・信綱・昌幸が住んだ事になります。
 
よくある方形館と思っていましたが、思った以上に広く、西郭東郭に区間されて
 
いたようです。 北側の土塁を見るとよく解るのですが西郭から東郭へ緩やかに
 
高くなっていますね。その高くなった部分に皇太神社が鎮座しています。
 
この神社は昌幸上田にお城を築いて先祖代々の地を離れても、荒廃しないよう
 
に〜との想いで勧請しました。やはり愛すべき故郷・なのですね真田の地 
 
マレットゴルフ場になっているため芝生広場のような西郭にある厩跡土塁
 
囲まれた区間。案内板の図を見て気がついたので、出来れば厩跡自体に標識
 
を建てて欲しいですね。見落とす危険アリ。でも10番ホールの旗はあるけどね。
 
大手門前の道を車がビュンビュン〜  何だぁ〜?と思ったらリンゴ狩の会場
 
がありました。凄い盛り上がっていましたね。真田!真田!となっていたので信州
 
名物リンゴを忘れていましたよ〜同じ赤備えなのにね(失礼しました)〜

 この城跡は、天白城と共に馬蹄形状に構築され、南西面に広がる緩斜面には、真田氏館跡や原の郷があり、さらに指呼の間に戸石城・矢沢城を望むことができる。本郭は東西8.6メートル、南北37メートルの広さで、南側に高さ2メートルの土塁を築き、北方へ二の郭、三の郭と段差を設けながら延び出し、その北側は急崖となって厳重に防備している。規模は大きく水利もあり、周辺城跡群等の関係からみて、上田築城以前の真田氏本城であったと推定される。(案内板より)

真田氏本城縄張図
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駐車場近くの堀切?切通し? あれまぁ〜霜だらけ〜寒いだろうとは思って
いましたが晩秋の信州の朝は想像以上。東京の寒さの比じゃないですね…
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水の手からは冷たいお水が
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木標の前でポーズ 後方には段々になった曲輪が広がります。
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段々の曲輪には埋れていますが土橋、堀が確認出来ます。
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砥石城を望む
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本郭土塁下石碑案内板
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本郭の様子〜南端に土塁があります。 それにしても寒いよぉ〜
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土塁上には錆びて年期の入った標柱
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二の郭から本郭を望む。
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二の郭三の郭の間の
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一番北に位置する三の郭
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三の郭から〜天気も良いし眺めも最高! 寒いのを除けば…(笑)
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総評  ★★★★☆  (旦さま私見  ★4つ)

真田氏本城〜この名前からここが真田氏の本城と思いましたが、実は推定だ
 
そうで… 周辺のお城と比べると規模が大きく、水利があるの「きっとここが真
 
田の殿さまのいたでしょ!?」と。さすが謎多き真田ですね 
 
真田氏歴史館(朝9時開館)観て予習してから登りたかったのですが、まだ8時30
 
分前だったのでとりあえず登る事に。しかし集落内は路面凍結している箇所もあ
 
ビクビク でも集落を左折すると路面凍結はなく無事山頂に到着。車で上れる
 
お城は何箇所か行きましたが、ここは本当にあっ!と言う間です
 
駐車場のすぐ前が堀切切通し天白城からの峰を断ち切っているとか。
 
見晴らしの良い段々になった曲輪からは真田の郷、郷を護る幾つかの山城
 
見えます。ここに立てば気分は真田○○(○○には各自お気に入りの人を)
 
唯一土塁(高さ2m)が残る本郭(東西8.6m×南北37.6m)から北に向い二の
 
三の郭が配置されています。二の郭の西側に約4mの石垣が残っていると下
 
山後、歴史館で知りました 簡単な山城ですが元は鎌倉時代に築かれたお城
 
だそうで、ここを真田お爺ちゃん幸隆整備したと考えられています。
 
車ですぐ山頂(楽チン山城と命名させて頂きます)、綺麗に整備、遺構もそこそ
 
こ残り、眺めが最高に良い、そして何と言ってもあの真田の山城
 
今期初の山城訪問としてベストでしたよ 

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上田城には何度か行った事あるのですが、上田市街の北東に位置する
 
真田の郷初訪問〜ワクワクドキドキです
 
真田町の入口にある真田発祥の郷の石碑
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真田氏歴史公園になっていて真田三代のレリーフがあります。
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おじいちゃん〜真田幸隆 
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大河ドラマ・風林火山でこのお方を知りました
 
村上義清に攻められ上州に身を寄せていましたが
 
武田信玄公に仕え、砥石城を一夜で攻略するなど
 
真田氏繁栄の礎を築きました。
 
 
 
 
 
 
 
 お父さん〜真田昌幸公
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幸隆の三男として生まれましたが、二人の兄の
 
戦死により真田家を継ぎました。
 
信玄公には「わが眼」と称えられ、秀吉からは
 
「表裏比興の者」と云われ、家康からはその存在を
 
恐れられた智謀の将
 
 
 
 
 
 そして日本一の兵〜幸村公
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大坂の陣で大活躍。家康の本陣に突撃し、あと少し
 
のところまで追い詰めたが、力尽き戦死。
 
真田 日本一の兵」と謳われた名将。 
 
真田人気の源はこの時の活躍から来ていると
 
言っても過言ではないはずです。      
 
 
  
 
 
なぜかレリーフがない お兄ちゃん〜信之公も紹介しなきやダメでしょ
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このお方なくては真田の未来はなかった!
 
関ヶ原での父・弟の命乞いから九度山時代の
 
生活援助…
 
真田家を絶やさないためにした苦労の数々。
 
もっと評価されてもいい縁の下の力持ち
 
 
 
 
 
幟はカッコイイバージョン幸村
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真田氏歴史館へ 「ご自由に試着して下さい」〜とあった兜で決めるるな。
兜…ってこれ半キャップヘルメットに六連銭をつけた物ですけどね(笑)
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展示物は写真撮影禁止なので入口のみをカシャ  
真田太平記って観たことなかったのですが偶然、後日「幸村散る」の巻をCSで放送していました。草刈正雄幸村を演じていたのですね。安居神社での最期の
シーンは泣けました。また戦死の報告を受けたお兄ちゃん信之が「左衛門佐〜」と泣き崩れる場面も印象的でした。やっぱ真田は良いですね。
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 歴史館に隣接する真田庵の名物・クルミ味とゴマ味のおはぎを期待していたの
ですが今年の営業は終わってしまったとの事… 無念じゃ。 
 
 

 
現在も昔とさほど変わっていないと思われる四方を山で囲まれたのどかな
 
里である真田。この地の小さな豪族から3代で大名まで上り詰めた真田氏
 
は時代のウネリに翻弄されながら生き方を模索。
 
今回は真田氏館、真田本城、上田城、神川古戦場を巡りました。
 
幸隆、昌幸、信之、幸村と、それぞれ魅力のある武将たちと同じ景色
 
を見て、空気を吸い、想いを馳せる…そんな旅になりました
 
やっぱり真田が好き  訪城記事は後日アップしますね。
前回の龍岡城記事の続編として移築城門と蕃松院紹介しますね 
 

龍岡城の移築城門と塀

龍岡城の詰所前にあった薬医門で、 現在は龍岡城の北西のO氏邸の通用門
として利用されています。
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このも遺構です。
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 他の移築建造物は通用門(佐久市野沢・成田山)、大広間(佐久市落合・時宗寺)が残っています。

大梁山 蕃松院

(パンフより)
戦国の武将・田口城主依田信蕃の子、松平康国(小諸城主)が天正18年(1590)父の追福供養のために堂字を再建し父の戒名より寺号を蕃松院とした。江戸時代には田野口藩主の菩提寺であった。
 
 
蕃松寺と後方に聳える田口城
もともとこの蕃松寺信蕃の居館が置かれた地でいわゆる根古屋でした。
帰宅後に本堂裏に信蕃のお墓がある事を知りました…
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山門もまさに古刹です。
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創建時の本堂は落雷により焼失し、文政5年(1822)に再建されました。
改修工事が終ったばかりなのか、真新しい欄干がキラリ
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この辺りは日本の原風景〜とても癒されます
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移築城門龍岡城から歩いて行ける距離にあります。
龍岡城散策の後パンフの写真を頼りに探したのですが、同じような門構えの大きなお屋敷が多く、どれが移築城門だか分からず… 
仕方ないので五稜郭であいの館に戻って職員さんに尋ねると、行った事がない
の事。とりあえず、また後で探すことにして、枡形の石垣を先に見に行きました。
 
すると、先ほどの職員さんが車でやって来て、
「城門ありましたよ〜先ほど行かれた場所のもう少し先のOさん家でした〜」と
わざわざ確認しに行ってくれて、枡形まで教えに来てくれたのです。
考えてみると枡形に行くとは言ってなかったので、るなたちを捜してくれていたの
です。親切で優しい心遣いにとても温かい気持ちになりました〜m(_ _*)_ _*)m
 
職員さんの願い通り、龍岡城が早く史跡公園として整備され、函館五稜郭みたく
盛り上がると良いですね。
 

 信州に1万2千石、三河に4千石の封地を持つ三河奥殿藩の松平氏は、宝永以来160年間、三河に本拠をもち、佐久には陣屋を置いて、領内22ヶ村の統治を続けて来たが、11代乗謨(後の大給恒)になって、幕末激動の情勢に応じて信州に居館を移すことを計画し、元治元年(1864)3月着工、慶応3年(1867)竣工、地字名をとって龍岡城と称した。用地1万余坪は田野口村より石材、木材などは領内より献納、総費用4万円余であった。藩主松平乗謨は学才にも長け、幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職につき、明治に入っては、佐野常民と共に、赤十字社の前身である博愛社を創設し、副社長、又、賞勲局総裁など歴任した。築城にあたっては稜堡式築城を用い、いわゆる五稜郭が成立した。そしてこれより4年前に完成した函館五稜郭と共にわが国においてただ2つの貴重な洋式城郭である。廃藩後の明治5年、城は取り壊しとなったが、幸い濠と石塁、建物の一部台所を残している。      (現地案内板より)

龍岡城要図〜西側の濠は未完成のためにありません。
まさしく型。このまま手裏剣にもなりそう お土産として五稜郭手裏剣を造って売り出そう。
あとはアイパッチね。穴を開ければKISSのポールスタンレーになれる!(笑)角が痛そうだけど…
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大手門跡です。                                かつてはこのような門が建っていました。
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内郭内には田口小学校が建っています。
現存遺構の御台所は校舎として使用されていた事があるので新旧校舎対決ネ
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しかし、でっかいなぁ〜この御台所は〜ジャンプ!
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 これって逆上がり補助板とでも言うのかな?             校庭に獣の足跡?
 イメージ 11えいやぁ!〜これがあってもダメみたい               犬ではない気が…
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大手脇の濠です。資料によるとこの辺りの濠幅が一番広く、9,1mあると…
そんなあるとは感じないけどなぁ…
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通用門の架かる木橋
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南東の稜堡部分 の先っちょネ
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穴門の跡
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この辺りは(未完成)が無いので石垣を間近で見れます。
上部の出っ張りは武者返し(はねだし)ですが、何だか頼り無さそう…
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砲台の跡では発掘調査中?
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砲台下の石垣 この辺りは亀甲積み石垣です。
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外郭に残る枡形の石垣 北の入口にあたり、敵の侵入を防御し、攻撃的機能も兼ね備え
た枡形で、鉤の手状に良く残されています。ここも見落としてはダメダメ
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龍岡城のすぐ北に聳えるのは武田信玄関連の田口城です。
山から遠く離れた平野の真ん中にあってこそ、星型稜保はその機能を十分に発揮できる」と
あるのですが…この田口城から大砲撃たれたら一巻の終わり?
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総評  ★★★★☆  (旦さま私見 ★4つ)

「日本に二つしか無い龍岡城五稜郭」がキャッチコピーですが、「日本唯一の五稜郭」方が宣伝効果
 
抜群なのにね。苦肉の案か、あえてこうしたか?地元の方は「龍岡城」ではなく「五稜郭」と呼ぶようですよ。
 
函館・五稜郭には中々行けないので、龍岡城・五稜郭は楽しみでした。
 
形と知っていて歩いたので、なんとなくそうだと感じましたが、しっかり型を楽しむには函館のように
 
五稜郭タワーがないとネ。 どうしても星型を確認したいという方は田口城に登ってネ
 
なぜ、信州の片田舎に洋式? 藩主・乗謨(後の大給恒)さんが諸外国から見て日本の軍備等の遅れに
 
国存亡の危機を感じ、対抗するには洋式だぁ!と。勉強熱心なお方で武田斐三郎・市川一学から
 
設計学を学んでいます。決して星マニアではありませんよ。
 
現存遺構の御台所は御殿の付属建物で、廃城後の売れ残り物件です。でっかいからね。
 
校庭にあるため巨大な体育倉庫に見える?事前予約すれば内部見学させてくれるそうですよ。
 
当日お願いしたら、係員が今日は休みだからダメ〜と断られました。そりゃそうだよね
 
明治8年から校舎として改築され使用されましたが、古写真によると壁にガラス窓をいくつも開け、一階に教室と
 
用務員室、二階に職員室と宿直室が設けられていました。現在の姿に戻ったのは昭和35年の事。
 
場所によって積み方が違う石垣も見所ですね。
 
大手にミニ資料館とも言うべき「五稜郭であいの館」がありますので、ぜひ寄ってみてください。
 
五稜郭タオル、五稜郭クッキー、五稜郭せんべい等のお土産もありますよ。五稜郭手裏剣はナイけど
 
職員さんの話だと、小学校の移転計画があるので、将来的には移築されている建物も戻し、タワーまでいかな
 
いにしろ星型を見れる展望台も建設し、史跡公園として整備したいそうですよ。 素晴らしい!!

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