『小諸城』 小諸城の起こりは、平安時代から鎌倉時代にかけて『源平盛衰記』や『平家物語』に登場する 小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が現城址の東側に館を築いた。またその後、大井光忠が小室氏の 勢力をおさえて鍋蓋城を築きその子光為がさらに出城として乙女坂城、別名白鶴城(ニの丸跡)を 構えたが、武田信玄の攻略により落城。信玄はこの地が重要であることから山本勘助や馬場美濃守 信房に命じて築城したのが、現在の小諸城で酔月城とも云われている。 その後、織田信長の将滝川一益、徳川家康の将松平源十郎康国が城主となった。さらにその後、 仙石秀久が城主となってニの丸・黒門・大手門を建て、その子忠政が三の門・足柄門を建て現在の 小諸城が完成した。その後、城主は徳川・松平氏など六氏に代わり、元禄15年(1702)牧野氏 になり十代続いた。 この城の特徴は、全国でも珍しい城下町より低い『穴城』で、浅間山の火山灰で出来ているため 水を用いらず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっている。明治4年(1880)廃藩置県で役目を 終え、明治13年(1880)に神社を祀り、懐古園と呼ぶようになった。(小諸城パンフより) 小諸城のシンボル三の門〜『懐古園』の大額は徳川慶喜の後宗家を継いだ家達の筆です。 ニの門跡〜二層切妻造りの枡形門で二の丸と南丸をつなぐ渡り櫓門となっていました。 黒門橋と黒門跡〜黒門橋を渡ると本丸です。黒門は市内正眼寺に移築現存しています。 御駕籠台跡 おぉ!模擬天守か模擬櫓かぁ…答えは本丸に鎮座する懐古神社の社務所でした(;^ω^A 山本勘助が研磨して使っていたと云われる鏡石〜しっかり顔が映りますよ♪隕石かもってか? 天守台〜天正13年(1584)完成した3層の望楼式天守で寛永3年(1626)落雷により 焼失したと云われています。ここから金箔瓦、金箔を張った鯱瓦が発見されました。 天守台ゆがんでいる気が… 『ゴアさん』のブログみたく天守台上端っこから地獄覗きだぁ〜そんなに高さはないのに怖い!! 武器庫〜文化14年(1817)牧野康長が建てたものを復元 お城の南北は深い谷で守られています〜これは北側のその名も『地獄谷』 駅の東にある大手門〜ただ今修理中! 上田城から小諸城に着いたのが午後4時ちょい前で、閉園まであと1時間!!とりあえず微古館で 100名城スタンプ押して駆け足の散策となってしまいました。 上田城が賑やかな観光地だとしたら、小諸城は静かなる観光地ですね。 なんと言っても苔むした石垣がいいですね〜野面積みの天守台には感銘を受けました。 古城の佇まいが感じられて、次回はもっとじっくり時間をかけて散策したいです。 三の門を入ってニの丸へ進むとやっぱり下ってますね〜まさに『穴城』の異名通りです。 駅向こうの大手門は明治維新後は民有となって小諸義塾教室となり、島崎藤村も教鞭を とっていた事があります。かなり大きな楼門ですが来年の3月まで修理なのでその姿をが拝見する 事ができず(ノ_<。)です。 とにかく時間がなくて足柄門が移築された光岳寺も見つける事が出来なくてグルグル回っていたら 日が暮れてしまい泣く泣く小諸を離れて、東京に向かいました。
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