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久々の新選組記事です。

何気に江東区史跡一覧を見ていたら伊東甲子太郎道場跡

住所が江東区佐賀町1丁目16番地付近と載っていました。

今は跡形もないと思いますが新選組ファンとして行かな

きゃね
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甲子太郎は元々茨城県の人で鈴木大蔵が本名。文久元年
(1861)に北辰一刀流の伊東精一郎道場に入門。修行中に見込まれ婿養子となり伊東姓を称し精一郎の死後、道場を継ぎます。その道場が江東区佐賀町1丁目16番地付近にあったと今回知りました。伊東甲子太郎道場跡です

師匠に見込まれ養子となり道場を継ぐ…近藤さんと同じパターンですね。

元冶元年(1864)旧弟子の藤堂平助の誘いにより新選組入隊。参謀の役職に就きます。


大河『新選組!伊東甲子太郎を演じた谷原章介さん
最近はプロミス所属事務所社長として有名ですね。
「やっぱり君たちプロミスだなぁ〜」
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佐賀町1丁目16番地〜発見!  悲しいかな道場跡を示す
ものはナシ。
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この辺りに伊東甲子太郎道場があったのですね
尊王攘夷の強い志を抱いてこの地から京都へ。しかし最期は
その新選組の手によって…
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道場跡の東に流れる大島川西支川
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大島川西支川案内板に古地図がありました。黄色で囲ったのが佐賀町
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↑の案内板横に紀文稲荷神社。江戸中期(元禄時代)の豪商・紀国屋文左衛門が京都伏見稲荷神社より御霊を拝受し
て祀ったのがはじまり。この辺りに船蔵があって商売繁盛、
交通安全(船上)等を願ってだと云われてます。さて文左衛門と言えば…みかん。なので鳥居みかん色なんだとか…
言われてみればみかん色に見えて来るから不思議。
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新選組繋がりで…

鬼の副長…新婚山本耕史の土方歳さまが帰って
来たぁ!
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10月放送のNHK朝の連ドラ『あさが来た』の一場面で。

2ヶ月前なのでちょっと古い話題ですが、まさかのセリフ

「待たせたな〜(しかもドヤ顏)」が登場

『大河・新選組!』ファンのうちらは思わずニヤッと  

さすがNHK憎い演出だねぇ。

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新選組・沖田総司が亡くなったのは慶応4年5月20日。
(画像は大河ドラマ新選組!より)
 
その場所は現・東京都新宿区大京町29にあった植木屋の
柴田平五郎さん宅と云われています(今戸神社説もアリ)。
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外苑西通りのカーブ辺りに総司静養していた離れ部屋
(納屋?)があったとか…
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平五郎さん宅は跡形もなく近くを流れていた渋谷川に架か
っていた池尻橋の石欄干が残るのみでしたが…
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今年3月に『伝・沖田総司逝去の地』の案内板が設置
されました〜拍手
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場所は欄干から見て道路を挟んだ斜め前の派出所の隣
(「大京町交番前」信号前)で、で囲ってみました
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こんな感じに。 よかったね総司 
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紫陽花が綺麗。 しばし総司に想いを馳せ…涙
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過去ブログ記事で「記念碑建立運動がされている」と書き
ましたが有志さん達の努力の甲斐あって今回の案内板
設置となったようです。新選組ファンとして深く感謝です。
 
 
よろしければ併せて過去記事・『沖田総司終焉の地ー
千駄ヶ谷・植木平五郎宅編』もどうぞ
 

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新選組隊士・松本捨助

2004年の大河ドラマ新選組!」の後、「龍馬伝」、「八重の桜」でも
 
新選登場しましたが、我が夫婦にとっての新選組は今だに「新選組
 
新選組なのです(ややこしいなぁ
 
なので八重の桜佐川官兵衛は立派になった新選組隊士滝本捨助に見えてしまったりします なので↓は不思議な感じ。
あとオダギリジョー古谷健志新旧斉藤一対面?も興味深かったですね
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さて官兵衛獅童さん新選組!で演じた滝本捨助。「呼ばれもしないのにやって来るのが捨助ですよ」のセリフでお馴染みですが唯一架空のキャラ。でもモデルがいました。
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それがこのお方…松本捨助さん(弘化2年・1845〜大正7年・1919)
なぜ架空キャラにアレンジされたかは分かりませんが松本さんの人生は滝本捨助の生き方ほぼそのまま 若い頃任侠者と付き合い素行の悪さから家督を失います松本家土方歳さまの兄・隼人の4男、錠之助を跡取りとして養子に迎えています。
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武州本宿村(現・府中市)の生まれで佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学び、近藤先生歳さまらとも昵懇の仲。浪士組参加を希望しましたが家族の反対で断念。しかし京都での郷里の仲間達、新選組の活躍を聞き、上洛し歳さまに入隊を直訴。しかし親戚の松本家の息子に危険な真似はさせられないと言い聞かされ郷里に帰されました。そんな捨助さんの願いが叶い隊士となったのは甲陽鎮撫隊の出陣の時三度目の正直ってヤツね。
 
晴れて隊士となった捨助さんですが勝沼の戦いで負傷。傷も癒えぬまま歳さま
に従い北関東会津へ。その後白石奥羽列藩同盟会議に出た歳さま捨助さん斉藤一諾斉と共に控えの間にいたと云います。
 
新選組離脱仙台で。蝦夷に渡る事は命を捨てる事…甥を跡取りにしてくれた松本家に対する恩もあったのか 歳さまに説得され新政府に降りました。
 
 
松本捨助さん生家 現在もご子孫の方がお住まいですので見学不可。
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故郷に戻った捨助さんは世間の目を避け2,3年土蔵で暮らしていたそうです。その後三河セメント(現愛知県田原)、名古屋の米屋で働きますが、
明治末に郷里に戻り、大正7年4月6日、前妻との娘・トラさんのもとで74歳の生涯を終えました。
 
 
松本捨助さん夫婦のお墓(本宿共同墓地) はじめの奥さんは仙台から
戻ってくるとすでに亡くなっていたそうです。後妻であるモトさん井上源さんの姪)と眠っています。
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墓石の隣には入隊したくて仕方なかった新選組隊士の碑
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こちらは2008年に撮影。
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今は風化して読みずらくなった名前もちゃんと読めました。
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放蕩三昧で家督も失った松本捨助さんですが、京都で新選組入隊を断ら
 
れた近藤先生歳さま達から「悪いけど、これ故郷に持って行って」
 
と、自分達の手柄を示す品々を頼まれ「OK!」と承諾しちゃうお人好しの
 
もあり滝本捨助同様どこか憎めない人だったようです。
 
その品々の中には重い刀が三振りもあったのですから
 
ちなみに歳さまが頼んだのは島原や祇園の舞妓さんからもらった
 
多数のラブレター 「モテテ、モテテ困ってしまいますよ〜」
 
故郷・多摩に届けたのはこの捨助さんでした。

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      本日5月11日は土方歳さまの命日です
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           そして、ひの新選組まつりの1日目
明日開催のお祭りのメインである新選組パレードに参加するブロ友・
BLACKさんの激励を兼ねて高幡不動尊へ行って来ました
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その前に八坂神社に奉納された天然理心流の額がお祭り日に特別
公開されると旦さまが情報を得たので八坂神社へ。
近藤勇になる前の嶋崎勇、沖田総司が名を連ねている貴重なもの。
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しかし…お祭り日と言っても公開は明日12日のみだったのです
あ〜あ〜やっちまったなぁ
おいおいちゃんと調べたのかよぉ。旦さまちゃん
こうなったら明日の寄居北条まつりのガチ合戦でるなが成敗してやる!と、言うことで雨の中切なさいっぱいのるなちゃんでした
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その後、高幡不動尊新選組隊士コンテストを見学。
出場者たちの新選組LOVE度は尋常じゃない!
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来賓のお客さまも豪華でしたよ。
                       
嶋崎(近藤)家、土方家、井上家、
新選組の末裔さんたち。
 
 
 
 
 
 
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このお方は何と八重さんの最初の
旦那さん川崎尚之助さんのお兄さん
の末裔さん。尚之助さんは子供いな
かったからね。
 
 
 
 
 
 
と、言うことで本日は新選組にどっぷりハマった日でした。
 
明日は戦国モードに切り替え寄居北条まつりで頑張るぞぉ

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慶応元年(1865)5月将軍・徳川家茂の大坂入りに備えて、多くの幕臣が将軍警護と治安維持のために大坂入りをしました。この時に新選組旅宿(大坂屯所)して割り当てられたのが萬福寺(大阪市天王寺区下寺町1丁目3−82)
 
今回はその萬福寺紹介します。ちなみにこの時会津藩本多忠朝の墓がある一心寺に駐屯。
 
 
萬福寺山門は享保年間に建てられたものなので隊士もくぐった門。
往時は『新選組大坂屯所』とか看板が掲げられていたかもね〜ワクワク
 
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大阪では珍しい新選組石碑 2010年6月27日建立
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説明書きもちゃんとあります
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庫裏も隊士のいた頃のままで新選組の提灯が置かれていたが現存するとの事。
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本堂では七番隊組長谷三十郎ら約30人が寝起きしていたと当時の住職さん
の話が残っています。
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本堂裏の庭園が少し見えます(柵があるので近づけません)。かつてここに納屋を改造した牢があって慶応元年(1865)捕縛した漢詩人・藤井藍田を拷問の上、絶命させています
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元々萬福寺文禄3年(1594)に前田利家の弟前田利信僧・開導って
 
開創されたお寺です。
 
萬福寺のある下寺町界隈は、寺社がいっぱい立ち並びどこが萬福寺!?って感じ
 
でなかなか見つかりません… この日は大坂遠征2日目にして最終日、すでに
 
間も午後4時少し前、ラストに控える真田出丸跡への移動&見学の時間を考えると
 
気が焦りす。頑張って順に寺社の名前を確かめながらやっと発見!ほっと一息  
でも山門には柵あって入れないし…時間が遅かったのですでに閉門?
 
しかし木戸が開いていたのでそ〜っとお邪魔して急いで撮影
 
実際に隊士がいた静かな境内で新選組へ想いを馳せるとタイムスリップしそうな
 
不思議な感覚。やはりその現場でしか感じる事の出来ないものがありますね。
 
ここにはすべての隊士が滞在していたわけではなく京都からの出張者が。記録に残
 
っているのは六番隊組長・井上源さん七番隊組長・谷三十郎九番隊組長・
 
木三三郎。また沖田総司も故郷へ出した手紙の内容から滞在していた可能性
 
がありす。 以前紹介した京屋・忠兵衛には好きで滞在、ここは仕事場(屯所)とし
 
ての滞在だったのかと勝手に解釈
 
帰宅後調べたらここは非公開のお寺のようでして… だから人気がなかった
 
のかなぁ…失礼しました(_ _*)_ _*)
 
大阪で新選組の名が刻まれた碑などがあるのはここ萬福寺京屋・忠兵衛
 
そしてぜんざい事件石蔵屋跡の3ヶ所のみ。もっと大阪も新選組史跡
 
注目して欲しいと思いました

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