旦さまと私

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お城散策(愛知県)

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前回紹介しました浅井三姉妹の江ちゃん最初の嫁ぎ先で
ある大野城
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大河ドラマ・江では城内で祝言が挙げられましたね。
この後ちゃんは緊張して倒れてしまいましたが(枕絵
のため?)…
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大野城展望台内には江ちゃん旦那・佐治一成さんの肖像画
ありました。こちらはおなじみの江ちゃん
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こちらが佐治一成さん。平さんのイメージしかないので…
でも平さんが歳取ったらこんな感じ?なんとなく似てる…?
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佐治さんの家紋は扇なんですね。
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仲睦まじかった2人ですが小牧長久手で佐治さん家康
味方したために秀吉によって引き裂かれてしまいました
ドラマでは茶々が病気だとダマして江ちゃんを呼びその
まま大坂城に留め置きましたね。一方佐治さんは小牧長久手
の後、大野城を追放され織田信包を頼って伊勢に逃れました。
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しかし常滑市内の蓮台寺には大野城落城時に江ちゃんが
 
落ち延びた伝説があるのですよ。大野城って秀吉軍に
 
攻められたの?しかも城内に江ちゃんがいた??
 

蓮台寺(愛知県常滑市小倉町5−66)

江ちゃん落ち延び伝説の蓮台寺です
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寿山塚〜初代大野城主・佐治宗貞さんのお墓。
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開かずの門江ちゃんが落ち延びた時に入った門。
それ以来固く閉ざされ再び開いたことがないそうです。
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衣掛けの松そして江ちゃんはこの松に着物を掛けて、
追っ手に井戸に飛び込み自殺したと思わせたそうです。
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地元に伝わる伝説なのですが真実は如何に??
 
懐かしの上野樹里・江ちゃん。思わずDVDレンタ
 
ルしてしまった
 
 
 
 

 観応年間(1350頃)三河国守護の一色範氏が知多半島に勢力をのばし、その子一色範光が伊勢湾を見下ろす城を築いたのが始まりと云い、一色氏は大野湊を中心とした伊勢湾の海運を手中に収めたと云われている。しかし、一色氏は将軍足利義政と対立したため三河守護職を失い、応仁の乱を経て次第に勢力を衰退させて、大野城は尾張守護の土岐氏に奪われ、近江出身の家臣佐治宗貞が6万石を領して大野城主となり以後135年間、佐治宗貞、為貞、信方、一成と4代に渡って居城する。3代信方は織田信長の妹を妻とし 4代一成は信長の姪である 江を妻としている。 小牧・長久手の戦いで家康に味方したことから秀吉の怒りを受けて 大野城を放棄し、伊勢へ逃れた。佐治氏の後は織田長益の所領となったが この城の水利の悪さから大草城を築き移ったために廃城となった。

 
比高約45mの大野城を望む
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駐車場から少し歩くと横堀
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虎口の土塁
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大河ドラマ・江放送が2011年。もう3年も前なんだね。
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大河ドラマ・江にも大野城は登場してましたよ 
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佐治一成さん登場。 平さんは長束さんもやってましたね。
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江ちゃん佐治さんが良い人で良かったね。しかもイケメン
二人が結婚した時だから江ちゃん10歳で佐治さん14歳
の設定になりますなぁ
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話しを現実に戻しましょう…
二の曲輪の北側は児童公園になっていますが土塁ありです。
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主郭には観光用に造った高麗門大野城展望台
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物見矢倉台
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物見矢倉台には佐治一族を祀る佐治神社佐治一成さん
(昭和39年作)の石像が右にあります。
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では大野城展望台に入ってみましょう〜無料だよぉ
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内部は資料が展示されています。佐治さん&江ちゃん顏出
しパネルもありますよぉ
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大野城想像図
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江ちゃんも眺めただろう伊勢湾。往時には佐治水軍の舟が
何艘も浮かんでいたのでしょうね。
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総評  ★★★☆☆  (旦さま私見 ★3つ)

浅井三姉妹の江ちゃん最初の嫁ぎ先として有名になった
 
大野城です。今は大河ドラマ・江放送時の賑わいが嘘の
 
ようになっているのかと思ったらこの日も何組かのお客さん
 
が訪れてました。セントレア&常滑観光のついでかな。
 
駐車場から城山へ向かうとすぐに横堀があり、そこから門
 
をくぐり階段を上るともう本郭。本郭に建つのは『大野城
 
展望台』決して天守ではないのだ。市の案内板にも「当時の
 
建物を復元したわけではありません」とあるしね
 
佐治氏に関する内部展示資料はかなり充実してますよ。
 
帰りは高麗門から下ります。すると遊具のある公園=二の
 
曲輪の北側。削られてる感じの土塁があります。
 
展望台と江&佐治さん推しも解りますがせっかくの遺構を
 
もう少し大事にして欲しいなぁ 遺構表示もね。
 
城主の佐治氏は水軍を率いて、伊勢湾の海上交通を掌握し
 
織田水軍一成さんのお母さんは信長の妹、お市の方のお姉
 
さん・お犬の方)中でも重視されていました。この水軍を味方
 
したくてプリプリの旦那・秀吉(ドラマね)はわずか10歳の
 
江ちゃん佐治一成に嫁に行かせました。でも小牧・長久手で
 
佐治氏家康側に味方したために秀吉によって江ちゃん
 
連れ戻されてしまったのですよぉ  でも最近では二人は婚約
 
だけだった説もあるようで…
 
次回は江ちゃんが大野城落城の際に落ち延びた(えっ?どう
 
言う事なの?)言い伝えのある常滑市内小倉町の蓮台寺
 
紹介しますね。

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映画・のぼうの城の主要登場人物の中でただ一人
 
憎まれ者として描かれてしまった長束正家さん
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本物の長束さんはどんな人だったんだろう…??
映画では長束さんの横柄な上から態度によって忍城側は戦
 決したから大事な物語のキーマンでしたよね
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長束さんと言えば…元は丹羽長秀の家臣でしたが高い算術
能力を買われて豊臣秀吉直参に。財政を一手に担い、蔵入
地の管理、太閤検地の実施に当たりました。また兵糧奉行と
して兵糧の輸送に活躍し。小田原征伐では20万石の兵糧を
滞りなく輸送し小田原城を囲む大名の兵糧とした出来る男
そして文禄4年にめでたく豊臣五奉行に就任
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そんな長束さんを2013年の忍城時代まつりで演じさせて
もらった旦さまこの後から長束さんに対する思い入れが
強くなったのですよ。
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と、言う事で名古屋遠征で旦さまがどうしても行きたかった
のがここ?…どこ?? はい、束さんの屋敷跡です
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遺構はナシですが、ちゃんと石碑があります
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石碑は4つありますが長束正家邸跡のは一つだけ。
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長束さんは生まれが近江?尾張?両説アリ。
説明板がないのでここはどの時代の屋敷跡かは
分りません
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分りません…じゃ気が済まないのが旦さま。稲沢市教育員
会に問い合わせ
江戸時代の天保期に描かれた集落図に『長束正家邸跡』
の記載がある。場所は現在石碑のある場所より北。
石碑には建立年月は刻まれてなく、おそらく大正時代に
県内の他の史跡碑と共に建てられたものじゃないかと。
しかし発掘調査とかはされてなくてこの辺りが本当に長束
正家邸跡かは確定されてないのです。よって史跡指定
されてません。
との事でした。調べて頂いた職員さんに深く感謝致します。
 
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奥さんは本多忠勝の妹・栄子さんで徳川家との関係アリ
でしたが関ヶ原の戦いで石田三成の西軍として参戦。
しかし本線では吉川広家の妨害により戦闘には加われず、
居城の近江水口城に撤退。しかし池田長吉(輝政の弟)軍に
囲まれます。本領の安堵の約束で城から出たところダマされ
捕縛されてしまいました。そして切腹させられました… 
 
 
出来る男・長束さん
 
関ヶ原の時、九州へ撤退する島津に道案内として自分の
家臣を付けた逸話もあります。
 
今回の屋敷跡訪問は長束さんの人生を知る良いきっか
となりました

 犬山城は豊臣秀吉が生まれた天文6年(1537)、織田信長の叔父である織田信康によって創建された、現存する日本最古の木造天守閣です。
 尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わりました。小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。
江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県のため、この城は愛知県所有となりました。しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。(犬山観光情報HPより)

城下町から犬山城 城下町には楽しいお店がいっぱい。
出来れば車両通行止にして欲しいなぁ
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城への近道〜三光稲荷神社の赤い鳥居
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樅の丸の空堀 唯一残る堀の遺構。
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黒門跡 往時は本丸まで多くの門がありました。
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もう少しで本丸。 左が樅の丸、右が杉の丸
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鉄門を過ぎると〜天守がどーん 最近は白い天守より
武骨な天守が好み。やっぱり本物は違いますね。
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普通に記念写真を
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犬山観光特使のロンブー敦        急な階段は現存天守の
しか上がれない上段の間(笑)       醍醐味です。
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 天守内部
 
 
 
 
 
 
 
最上階は犬山城名物赤い絨毯てっきり成瀬さんがここで
昼寝するために敷いたものと思ったら違いました
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廻縁が外に向かって斜めってるんですけど…
金網ナシの廻縁は嬉しいです。
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これも見たかったのですよぉ桃の瓦
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眺めは最高っす!岐阜城方面を望む。左の山は伊木山城
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鉄門小銃櫓。両方共模擬もぎです。国宝天守模擬櫓
模擬櫓門、移築現存城門ある幅広い品揃えの犬山城
 
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お〜い 気分は成瀬さん
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100名城スタンプも押さなきゃ。スタンプ中々増えないけど
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やっぱりこのアングルが一番ですなぁ
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町からの天守も最高
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城下の常満寺には松の丸裏門が移築されてます。
画像が小さくて分りずらいのですが○印にも
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裏門のうら。
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総評  ★★★★★  (旦さま私見 ★5つ)

名古屋遠征最終日に訪れた〜国宝犬山城
 
メジャー過ぎて何を書こうか悩みますなぁ…
 
2011年11月放送のモヤさまで訪れたテレ東・大江麻理子
 
アナ(結婚おめでとう)が「私の理想のフォルム」と絶賛し
 
国宝天守です。思っていたより大きく(24m)カッコいい
 
この天守をマネたモギモギ天守がいくつ造られたことか。
 
国宝なのに廻縁に出られちゃうのも嬉しい
 
最上階の赤い絨毯の話し…昭和36年からの解体修理時に
 
それまで板張りだった最上階から赤い絨毯が敷かれていた
 
形跡(破片)が見つかりました。
 
これは7代・成瀬正壽が当時交流のあった長崎オランダ商館
 
から贈られたもので江戸時代後期に実際敷かれていたの
 
です。昭和の修理後に当時を再現するため再び赤い絨毯
 
敷いたと云う訳。むろん当時のモノじゃないですよ。一応復元?
 
正壽さんが贈られた赤い絨毯がいつまであったかは不明。
 
決して昼寝するために敷かれたものじゃなかったです
 
あと今回楽しみにしていたのは岡山城で発見した桃の瓦
 
犬山城にもあると。はい!ありました。しかも鬼瓦も
 
は魔除けなのですが、桃太郎神社もある犬山、決して無関
 
じゃないかもね。
 
移築城門が犬山市内に2つ、市外に3つありますが、今回
 
は時間の関係で城下のすぐ近くにある常満寺松の丸裏門
 
を見学。ここにもがありました。
 
城下町、城内、移築城門の順での散策でしたが、最後は犬山
 
橋を渡って木曽川対岸から天守を眺めました。やっぱり良い
 
ですね。久々に現存天守オーラを感じて東京への岐路に
 
つきました

承久の乱(1221)の戦功によって三河国守護に任じられた足利義氏が築城した西条城がはじまりと伝えらています。足利氏は吉良氏と改め、この地を治めます。戦国時代末には牧野成定、酒井正親、田中吉政と城主は代わり、城域も拡大しました。田中氏の時代に城域はさらに拡張されほぼ確定されました。田中氏の転出にともない慶長6年(1601)に本多康俊が西尾2万石の藩主として入りました。その後藩主は松平氏、本田氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏と頻繁に代わりますがいずれも譜代大名でした。明和元年(1764)に山形から大給松平氏が6万石で入封以後、5代廃藩まで続きました。(パンフより)

西尾城絵図
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西尾市歴史公園の入口にある鍮石門(平成8年復元)です。
立派な門のお出迎えでテンション↑
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二の丸跡に移築された旧近衛邸    イメージ 9       邸内では名物の抹茶が頂けます。
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丸馬出(中世時代の遺構ネ)を砂で再現。  イメージ 17 本丸の濠
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本丸・丑寅三重櫓(こちらも平成8年復元)なんだか昆虫っぽい外観だなぁ
本丸の四隅には櫓が建っていましたがこの丑寅櫓だけ三重で他は二重櫓でした。
実物は小さいながらも堂々たる姿 西尾城の象徴ですね。
     イメージ 6
 
内部は無料公開しています        狭いながらも楽しい我家じゃなくて…                     イメージ 12       丑寅三重櫓です
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本丸内には西尾神社が鎮座。 
周囲には土塁が残っています。   イメージ 13       虎口には石垣も残っています。
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姫の丸跡には西尾市資料館があります。
無造作に外に置かれてるこれって…鬼瓦と扉ですよね。西尾城のもの? 
屋外展示じゃないですよぉ〜放置展示?? 
イメージ 14
 
往時は二の丸が政治の中心部で御殿天守もありました。(本丸は広場でした)
写真は天守跡の北西部分です。再建計画があったようですが…
イメージ 2
 
もし再建されていたらこんな風景を楽しめたのにね…残念無念
完成予定図まで作ったのに。
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街中石碑巡りも出来ますよ 大手門跡です。絵図もあって親切
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三の丸新門跡尚古荘の前です。     ←の道路を挟んで土塁が残ってい                          ます。でもヤブヤブ   イメージ 15
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総評  ★★★☆☆  (旦さま私見 ★3つ)

今回の遠征で近藤先生の首塚と共に旦さまが行きたかったのがこの西尾
 
現在は本丸、二の丸、姫の丸の各一部が残り西尾歴史公園になっています。
 
売りは「本丸じゃなく二の丸に天守が建っていたんだよぉ〜ですが、水戸城、
 
もそうでしたよね。(こちらは御三階櫓) さてその天守ですが再建計画が
 
あると聞いていたので資料館の職員さんに尋ねたところ予算が集まらず頓挫した
 
そうです。30億円くらいかかるそうで…寄付・募金でまかなう計画だったと。集め
 
られた資金は天守再建のために?更地にした二の丸北西部分も歴史公園として整
 
したいそうです。天守模型が資料館にありましたが(撮影NG)個性的な外観で
 
なかなか良いだけに残念。仕方ないので完成予定図を見て我慢しましょう。
 
でも「丑寅櫓だけじゃなく天守も再建しちゃおうぜ!」の西尾市の心意気は嬉しい
 
すよね。
 
最初城郭本で見た時に天守だと思っていた丑寅櫓内部に展示物はありませんが
 
木の香りが優しい。ちなみに内部に管理人はいません(最近多い?人員削減?)
 
西尾は抹茶生産が有名!だそうで旧近衛邸で頂けますよ。
 
この旧近衛邸(書院と茶室)篤姫でお馴染みの島津斉彬が京都御所内に建て
 
たもの。養女が近衛家に嫁いだ縁でね。西尾城跡を歴史公園化する際に当時の
 
持ち主天理教から購入して移築(平成3年)。お城とは関係ありませんが炎天下の
 
散策中に良い休憩になりました。
 
さて話を西尾城に戻しましょう。街中の○○跡の石碑巡りには資料館で売って
 
いる西尾市御城下絵図が便利。石碑の位置が掲載されているからね。
 
何気に見所の多い西尾城〜実は隠れた名城 なのです

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