『那古野城』 大永(1521〜28)の初め、今川氏親が名古屋台地西北端に築いたもので、一名「柳の丸」と 言った。氏親は、一族の氏豊を城主として守らせていたが、天文元年(1532)織田信秀のため 城を奪われた。その後信秀が居城し、天文3年信長はここで生まれたといわれる。同年、信秀は古 渡城に、また、弘治元年(1555)信長も清須に移り、一族の信光が居城したが、やがて廃城と なった。慶長15年(1610)名古屋城築城の際、二の丸の一部となった。(案内板より) 名古屋城二の丸庭園前に建つ那古野城跡石碑〜『那古』の二文字しか確認出来ませんが、 元はちゃんと『那古野城跡』と刻まれていました。戦災に遭って二文字になってしまったと… 那古野城跡地は名古屋城の二の丸庭園です。 二の丸庭園と言えば茶席。その茶席にある金の茶釜〜戦災で焼失した名古屋城金鯱が 金塊となり、やがてこの金の茶釜に姿を変えました。 那古野城跡の遺構が無いので、必然的に名古屋城二の丸紹介になっている…(;^ω^A 織田信長誕生地として有名な那古野城(勝幡城説もあり)ですが、皆様もご存知のように城跡は 名古屋築城時に二の丸に取り込まれてしまいました。本来なら名古屋城の記事で紹介するべきなの ですが、信長ファンの想い入れという事で(*^-^) 那古野時代の信長って一番ヤンチャな頃ですよね。まさに青春真っ只中の信長居城! 柿でも食べながら散策しますかぁ〜(笑) 名古屋城三の丸発掘時にこの那古野城の遺構が発見されたと聞きましたので、規模的に見ると 中々のお城だったのでは。 そうそう、石碑の上部ってこんなにひび割れていましたっけ?
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事






