『野田の戦い』 元亀4年(1573)1月、上洛を狙う武田信玄は、宇利峠を超えて三河に進入してきた。 菅沼定盈の守るこの野田城を攻撃するためであった。野田城は小城であるが、備えが固くなかなか 攻めこめない。そこで信玄は、甲州の金堀人足を使って水脈を切り、城内の水をからしてしまった。 定盈は、徳川家康の援軍も来ないので、城の運命もこれまでと判断し、城を明け渡した。 野田城を包囲中、毎晩城内から流れる美しい笛の音に誘われ本陣を出た武田信玄は、城内から 狙いを定めていた菅沼氏配下で鉄砲の名手・鳥居半四郎に胸を撃たれ倒れました。やがてその 傷が元で亡くなったと、伝わります。その現場が野田城のすぐ西にある法性寺にあります。 法性寺山門 〜この山門、関所代官・島田三郎兵衛屋敷門を移築したと云われていますが、 一説には 野田城の移築城門 とも! 裏側はこんな感じ〜野田城の城門でありますように… 山門をくぐって左に 野田城戦死病没者慰霊供養塔 があります。 境内に「←信玄が鉄砲で撃たれたという場所」と案内看板がありますので、 これに従って墓地横の階段を上って行くと…案内板♪ そして、ここが 信玄が撃たれた現場 です。 凄く狭い地ですが、信玄になった気分で耳を澄ますと笛の音が聞こえて来るかも… 法性寺境内の谷を挟んで野田城はすぐ。 もしこれが史実なら確実に射程距離内でしょうね。 一応、撃たれたのは伝説となっていますが、野田の人々にとって信玄は憎き侵略者、 定説のように語られているのでは? そういえば、大河ドラマ「風林火山」の中でも由布姫の笛に聞き惚れていましたね〜 信玄は無類の笛好きだったのですかねぇ? しかし、ここまで来て、突如甲斐へ戻るのですから色々な憶測が飛び交っても当然かも。 そして信玄の無念を思うと…(ノ_<。)
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