『中牧城(浄古寺城)』 武田信玄の時代にこの地に北国防衛のため天文17年(1548)に土地の豪族大村氏に命じて 築城されたもので、大村加賀守、伊賀守が城主となるが、天正10年(1582)武田勝頼滅亡の あと中牧城兵は徳川家康に反抗して破れ、家康入国後は家臣の内藤三左衛門が城代となり、天正17 年(1589)に築城修復をしている。 城の規模は東西約330m、南北約420mで本丸と天守台跡、二の丸、三の丸、大手門、搦手 門跡や城内鎮守八幡社周囲の塹濠も一部分は昔を偲ぶことが出来る。付近には城にまつわる地名で 屋敷、堀の内、替地、請地、田屋(胎屋)堀端などがある。(案内板より)中牧城の地図↓ http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.74546524183172&lon=138.71046754489183&z=19&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=35.74541734924616&hlon=138.71047223875723&layout=&ei=utf-8&p= 中牧城要図〜今に残る遺構は徳川時代、内藤氏修築後の物らしいです。 この図が大いに役立ちました。これが無いと耕地化した城内で点在する遺構を見つけるのは難しい です。 城内鎮守の八幡神社。二の丸の東部に位置し、駐車スペース有り。 天守台の礎石 要図にある『←土塁』はこれですね。 天守台は嬉しい遺構です(*^ー゜)b 天守台上には城跡碑あり。見下ろす本丸内は一面ブドウ畑です。 天守台から富士山の雄姿! 耕地になっていますが本丸を取り巻く内堀も確認できます。 本丸北西部の堀 外堀と切岸 本丸北の郭内もブドウ畑ですが、土塁が残されています。 本丸東部の切岸 フルーツ王国・山梨県の中牧城、城地の殆んどはブドウ畑になっていますが、本丸には県内では 珍しい天守台が残されています。徳川時代に小さな天守が建てられていたそうですが、物見櫓程度 のモノだったのかも?想像すると楽しい。またここからの眺めは素晴らしく、雄大な富士山の姿を拝 む事が出来ました。富士山の姿が拝めると言う山中城、韮山城でフラレているのでお城からの初富士 体験です!ヾ(@^▽^@)ノ 二の丸の八幡神社に案内板と要図があるのですが、それによると境内に天守台の礎石が残されている と…探してみると本殿横に石祠とともに石が一つ安置されていました。どうやらこれらしい? それにしては新しい気がするんだけどなぁ(^-^ゞ 神社前の道路はかつての堀跡です。 武田信玄築城以前は平安時代末期〜鎌倉時代に安田義定の居館があったとされ、その呼び名が別名 でもある『浄古寺城』です。その後二階堂氏が修築し、そのまた後に大村氏が修築。 甲府城が築かれると甲斐国の機能は甲府中心となり、この中牧城は廃城となりました。
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