線路巡礼♪

本日をもちまして、線路巡礼のブログは廃線の仲間入りです。長い間ありがとうございました。LUN(2019年8月31日)

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旧東海道の謎、
Q2。何故、大井川は「川渡し」にこだわるの?「船」じゃいけないの?

東海道というのは、海沿いを歩きます。
平地で歩きやすいのですが(実際、箱根峠越え以外、ほとんど山歩きはなし)
最大の障害は「川」です。

昔は、大きい川には橋がありませんでした。
理由1、防衛のため。橋がなければ、敵は簡単に攻めてこれない?
理由2、そもそも、大きな川に橋を架ける技術が未発達だった。

お陰で、大きな川を越えるのが大変でした。
その中で有名な悪制度が「川越え」
人足が肩車したり、蓮台に乗せて渡す制度。
その中で一番有名なのが「大井川」ですね。

旅人は、難儀しました。
山ばかりの中山道の方が、
大きい川がなかったので、かえって歩きやすかったのかもしれません。

ここまでは、日本史の教科書に書いてあること。


でも、実際に歩いてみうと
すごい不可解なことがあるのです。

「渡船」

橋は架けられなくても、船はあるのです。

たとえば、静岡県内には、
富士川、大井川、天竜川という超有名な大河があります。

もちろん、江戸時代だって、大河です。

このうち「川越え」という面倒くさいことをしていたのは、
大井川だけなのです。

私には、これが不思議でならないのです。

だって、防衛上の理由で橋を架けないのであれば、
「渡船」にしておけばいいハズです。
実際、富士川と天竜川は「渡船」です。

川渡し、というのはどう考えたって不経済です。非合理的です。
船だったら、一度に多くの人を運べます。
なんで、大井川だけ、こんなバカな制度にしたのでしょう?
料金も相当高かったみたいです。
船だったら、もっと安く済んだのに。
こっそりと自分で渡って、流されておぼれ死ぬ旅人も相当多かったらしいです。
ちなみに、自力で川を渡ることは厳禁、
但し、力士は自分で渡っても良かったらしいです。
重くて、担げないから?(笑)

今の交通手段に置き換えれば、
便利な公共鉄道を廃止して、
一人乗りの自家用車専用道路に作りかえるみたいなものですね

逆に言えば、こんなバカな事にも隠れた意味があるとしたら、
何故、他の川も「川越え」にしなかったのでしょう?

エライ歴史の先生は、こういうことを疑問に思わないのかなぁ・・・??


気になって仕方なかったのですが、
とある本に、面白い記事がありました。

本当は富士川、天竜川も大井川と同様に「川越え」にしたかったのだが、
この2つの川は、当時から木材を上流から流していたため(イカダ流しですね)、
川を人足が越える、というのはこれにぶつかる危険性が大きい。
危ないから、やむを得ず「渡船」とした。

にゃるほど。
イカダがどんどん流れてくる川を、肩車で横断するなんて、
スリルがありすぎて想像できないですね。

でも。
疑問はまだ未解決。
なぜ「川越え」にこだわって「渡船」にしないのか、ということ。
大井川も他の川と同様に「渡船」にしたって、
「橋を架けないことによる防衛」
という目的は達成できているハズなのに。


まさか、旅人に故意に迷惑をかけるため?


前回のお散歩の旅にて。
近江の国で、実際に川を渡ってしまいました♪
だって、昔と同様に「橋」がなかったのです。
だから、昔と同様に、川を裸足で歩いてみましたぁ(笑)

やっぱり、川を渡るのは、危ないよ(アタリマエ?)
大井川の川渡しは、もっと水量が多い時に、肩車して歩いたんでしょ?
怖いなぁ
どうして、船という便利なものがあるのに、わざわざ人間が担いで渡るなんていう
バカなこと
を考えついたのでしょうねぇ(笑)

ひょっとしたら、実は船が渡れないほど、川が浅かったのかな(笑)
それとも、地元に人足という「雇用」を確保するための、
何か裏取引があったのかな?

大井川には、船では渡れない、なにか特別な謎があるのでしょうか?
結局、未だにワカリマセン。
誰か教えて。

おまけ:
実は、酒匂川や興津川も川越えでした。人足がいたのですね。
そんなに大きな川じゃないのにねぇ。不思議。
一方で、多摩川や相模川は、渡船なのです。
あぁ〜。ますます謎が深まってしまうぅ・・・


おまけ2:
ちなみに、川に橋を架けないという、防衛手段。
江戸時代の終わりまで、きっちり守られたみたいですが、
結局、何の役にも立ちませんでした(泣)

歴史の話ですが、
幕末(明治維新)、
江戸幕府を倒すため、薩長からなる官軍の大軍が、京都から江戸を目指して進撃を開始します。
いよいよ「川」が役に立つ時が来ました!
本来なら、川を渡るたびに幕府軍側の抵抗にあって、官軍は多大な損害を出すはずでしたが・・・

誰もまともに抵抗をしなかったので、
あっさり、全ての川は越えられてしまいます。
あの大井川でさえ、簡単に渡られてしまいました(泣)

徳川3百年。
何のために、川に橋を架けずにいたのでしょう。

川でおぼれた旅人は、草葉の陰で泣いているよ!

「2006旧東海道お散歩の旅」書庫の記事一覧

閉じる コメント(8)

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防衛上の理由から船も置かなかったのではないのかな。そんな説もあるようですが、ようわかりません。これもホントの宿題になりそう。

2007/1/5(金) 午後 5:27 たき

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たきさん。船なんか、いざとなったら対岸に寄せてしまえばイイわけですから、あっても防衛上問題はないような?もっとも、木の橋を架けたって、これもイザというときには燃やして破壊してしまえばイイわけで・・・。昔の人の理屈は、なかなか難しいですぅ(泣)

2007/1/5(金) 午後 7:42 LUN

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流れが急だったからという説も、舟が流されれば人も流されますわね。関所みたいな役割だったのかなぁ。人足は幕府のスパイ?。そんなら最初から関所作ればいいしぃ。なぞががなぞをよぶ。東海道もミステリアスで楽しいですね(笑)。

2007/1/5(金) 午後 11:36 たき

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大井川は豊臣の末期、家康の時代に居城があった駿府に近いからじゃないですかぁ?とにかく駿府の城を守ることが優先だったのでは?そんまんま300年たっちゃったんじゃない・・・江戸時代になっても他のことが忙しくて橋かけるの忘れたとか・・・

2007/1/6(土) 午後 11:10 ☆居呂茶N☆

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川の水深が低いのと川底が石が多いからかもしれませんね。流路も水量で頻繁に変わったかもしれません。なんとなく物理的理由があるように感じているぱせりです。

2007/1/9(火) 午前 0:52 ぱせりさらだ

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たきさん。人足はずいぶん儲かる商売だったみたいですね。すごい権益があったようです。特定の場所だけに存在した理由は、そういうくだらんことかもしれません(笑)

2007/1/10(水) 午後 1:39 LUN

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キョロチャンさん。駿府城防衛説とは、さすが歴史通です。「大奥」を見ているだけのことはある(笑)。でもね、これだともっと大事な江戸城の手前にあった多摩川だって、川渡しでないと辻つまが合わない・・・

2007/1/10(水) 午後 1:48 LUN

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パセリさん。大井川は他の川と違い、流域面積が短いので、少しの雨でもすぐに氾濫する。だから渡し舟は渡れず、川渡し(人足)になった、とか?でも、船が渡れないところでも、歩いてなら渡れるという発想は、実際に歩いてみればオカシイとおもうのですけど(経験者は語る、笑)

2007/1/10(水) 午後 1:55 LUN


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