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線路巡礼:士幌線。 1980年第1次北海道線路巡礼にて。 当時の帯広駅は、 東西に走る根室本線に対し、北に士幌線、南に広尾線と、 線路の十字路を形成していました。 その士幌線ですけど。 当時から変則営業運転で有名でした。 代行バス。糠平駅〜十勝三股駅。 ようするに、 ただでさえ利用者の少ないローカル線ですが、 終端の糠平駅から先は皆無の状態。 だから、代行バスで十分ということ。 この区間、線路は現役ですけど列車は走りません。 線路というのは 列車に乗って巡礼しなくちゃいけないのです。 そこが現役の旅客営業区間である以上は。 (非旅客営業線路なら仕方ないけど) こういう中途半端な扱いの線路は困るなぁ といいつつ、たぶん当時こういう代行バス区間は日本でここだけ。 だから別の珍しさもありました(笑) 例によって、写真がありませんので、自作の線路図にて解説。 糠平駅に着くと小さなマイクロバスがお出迎え。 線路に沿って走ります。 途中駅の幌加駅前にもちゃんと立ち寄ります。 何故か終点の十勝三股駅から少し離れたところが終着。 駅前まで道路が整備されていなかったからかな? 十勝三股駅。 列車が来なくなってどのくらいたっていたのでしょう。 線路はそのままの状態のようですが、草がボウボウ。 それはそれで趣がありましたけど。 この代行バスを扱ったNHK番組を覚えています。 確か、代行バスの運転手の家族がここに住んでいて、 このバスの定期利用者は、その子供と郵便局員しかいない。 というものすごい内容でした(笑) 士幌線が廃止になった後、 無責任な第○セクターなんかにはならず、バス転換されましたけど。 あの終端の代行バス区間はどうなったのでしょう? 代行バスの代行バス? それとも、さすがに廃止したのかな・・・ 代行バスというのは、線路はそのままなんです。 これはいいアイデアです。 いっそうのこと、 士幌線全線を代行バスにしちゃって、線路だけは残してくれればよかったのにねぇ(爆) 士幌線にはもうひとつバカげた話があります。 さらに昔。 終端区間の線路がダム工事のため水没しました。 士幌線はわざわざ別線を作ったそうです。 ところが、そのダムが時々干上がって、その線路(コンクリートの橋)が時々顔を出します。 それがとてもよいモニュメントになっているそうです。通称タウシュベツ橋(だったかな?) すでにちょっとした観光名所。 キレイな写真をよく見かけますよ。 ここまでは現在の美談(だって廃止した線路が観光名所で蘇るのですから) でも当時、水没するのでわざわざ別線を作ったわけです。 それが先ほどの糠平駅〜十勝三股駅。 それが代行バスになって、 さらに廃止。 どうして代行バスで済む区間をわざわざ作り直したりしたの(泣) 地方エゴ丸出しの醜態(怒) もちろん、線路に罪はアリマセン。
タウシュベツ橋はルピナスの名所でもあるみたいだから。 機会があったら行ってみたいですね。 ところで、その橋に線路は残っているのかなぁ? |
線路巡礼昔語学生時代
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士幌線の代行バス、パセリも乗りましたよ♪マイクロバスと中型バスの2台ありました。運転手さんは一人でお客の数によって使い分けていたみたい。結構、同じ趣味の人たちが乗っていたのでマイクロバスじゃ運びきれなかったんでしょうね。
2009/5/2(土) 午後 5:14
私もそのNHKを見ました。確か新日本紀行だったと思います。
ルピナスの咲くタウシュベツ橋が憧れです〜www
2009/5/2(土) 午後 5:49
十勝三股行きたかったですね。私が行ったときには草原になってました…。
2009/5/2(土) 午後 7:05
この路線と代行バスには私も乗りました。
当時代行バスになってそんなに時が経っていなかったと思いますが、すでに線路は草ボーボーだったですよね。
そうそう、NHKのその番組も思い出しましたよ!
記憶の底に眠っておりましたです。
2009/5/2(土) 午後 8:46
何歳の頃なのかな・・・
彼方此方行かれているんですね。
しかも入場券?・勿論あの幻の陸橋もまだ綺麗だったのかな?
現役の頃かな・・・すごい
2009/5/3(日) 午前 3:24 [ tmisatojp ]
パセリさん。あの代行バスは当時有名でしたよね。
ひょっとしたら、帯広から先も初めから大型バスでもよかったのかも(殴)
2009/5/3(日) 午後 6:26
mikanさん。
特に冬のタウシュベツ橋はスゴイらしいですよね。
一昨年釧路に行ったときに計画したのですが、ちょっと遠くて。
2009/5/3(日) 午後 6:28
かめこくさん。
代行バス時代にはちゃんと線路が残っていたのに。
皮肉ですね(泣)
2009/5/3(日) 午後 6:32
はなゴンさん。
写真撮ってないですか?
それともやっぱり被害者友の会ですか?(泣)
あの番組はかなり有名みたいですね。また見たいなぁ。
2009/5/3(日) 午後 6:34
tmisatoさん。
大学生の時のお話でゴザイマス。
勉強してません(笑)
2009/5/3(日) 午後 6:35
LUNさま、おはようございます。
先ほど代行バスの話をupしたら類似記事で出たので来ました。
私は1982年以来、道内でも十勝、上士幌に通い詰め、20年前から別荘を持ってまして、博物館の学芸員さんとも長く付合っています。で、深名線の時も同じようなお話をされていましたが…
糠平ダムの建設の線路付替時は、道路も満足に無い十勝三股が営林署の大林業地でした。士幌線は林鉄の代わりで、バス代行も廃線全く有り得ないこと。特に昭和30年代は、洞爺丸台風の影響で倒れた多量の木を丸太にして運び出す仕事で賑わっていました。それが無くなってから急速に林業は衰退、過疎化します。鉱山や林業地などは、数年の間に千単位の人がいなくなったのです。
ここも幌加内ほどではないですが、標高が600mあり(道内最高標高駅でした)−20℃以下に下がる寒冷地です。道路ができてもしばらくは深名線同様に車より鉄道に信頼がおかれていました。代行バスの話しは事実ですが、確か士幌線の廃止までに、R273の完全舗装化と冬季開通が完了していたはずです。それが条件だったのでは。
2010/8/15(日) 午前 6:59 [ オータ ]
オータさん。
貨物主体の路線は取扱い廃止のときにバス転換すべきだったのでしょうね。
将来のために線路だけ残して。
旅客輸送を続ければその沿線だけの既得権となって、鉄道がない地域との不公平が生じることは分かっていたはずなのに(泣)
2010/8/15(日) 午後 2:50
拝復、こんにちは。
ご提案には少し考えさせられました。
ご存じですか? 道内でも昭和40年代に廃止された、根北線、函館本線の美唄−南美唄、幌内線の三笠−幌内、胆振線の脇方支線 の場合、根北と南美唄、幌内は代替バスがすぐ運行可能でした。で、南美唄と脇方は鉱山の廃止で貨物が皆無、特に脇方は集団離村に近くバスも不用でした。しかし、幌内支線は旅客廃止後も15年間石炭列車が走りました。ですからお説以上に踏みこんだ場合もあったのです。
やはり、代行バスが走る道路の有無が廃止のポイントでしょう。国鉄が廃止しなかった(転換協議会未設置の)深名線は、極めて特殊です。この十勝三股の国鉄のホンネは、すぐ廃止したかったと推測します。ですから私バスではなく地元会社が代行バスを走らせたのは、お説の通りによるゴネ得かもしれません。ただし、私も信じられないのですが…三股から線路を延長する計画が残っていたので、列車は営業休止で線路をそのままに、代行バスが走ったということです。だから…道路の条件さえ整っていれば、私もお説に反対するものではありません。実際は貨物廃止から十年以内に、対象線は廃止されていますしね。
2010/8/15(日) 午後 5:47 [ オータ ]
オータさん。
公共交通よりクルマが優先される世の中では、
鉄道であれ代行バスであれ、その存在意義は・・・(泣)
私は線路にしか興味がありませんので。。。
2010/8/16(月) 午前 0:22
安易にバス輸送云々を主張しておられますが、当時の車の技術や道路事情を鑑みて、今と同じ輸送力を保てるとでもお考えですか?
この冬に私はタウシュベツを見に行きました。 氷点下18℃です。 道はパリパリに凍り、今の最新の技術であるスタットレスタイヤでも、気を抜けばズル滑りします。 そして雪が降れば不通となります。 当時の道路状況やタイヤの技術では、交通マヒが何日も起こり得るでしょう。
旧線を付け替えたのも、まだ当時は木材輸送の需要があったからです。 あの当時の道路と車事情で、木材を大量搬出できると思えるのなら、少し?マークが着きますよ。
廃止された鉄道を悪し様に書かれているのが多く見受けられますが、本当に鉄道が好きなのですか?と問いたくなります。
どの路線も、建設時には多大な期待を抱いて建設されたのですよ。
でも、道路の整備でその役を荷えなくなったから、廃止となったのです。 それは時の流れからして仕方がない事で、何も知らない者が都会の論理で無駄だと悪者扱いする事は、正に『木を見て森を見ず』そのままです。
2011/1/23(日) 午前 0:19 [ 風来梨 ]
風来梨さん。
納税者としては
費用対効果を勘案して素直な気持ちを書かないと面白くないので(笑)
真の鉄道好きはクルマの技術なんぞにはキョーミが全く無いのです。
だからクルマの事情など、とんと分かりません。
ちなみに
私は鉄道よりも線路が好きなので悪しからずです。
2011/1/23(日) 午後 8:22