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線路巡礼:標津線。 1981年7月の第3次北海道線路巡礼にて。 標津線といえば「T字」路線です。 まずは、根室線の厚床駅からスタート。 厚床駅11:45→中標津駅12:50 この列車は夏季のみ運転の季節列車。なのに乗客は7人(寂しい) でもこの区間の線路車窓は雄大でしたね〜。 まさに北海道という感じ。 こちらは標津線の支線扱いです。 こういう場合、支線の通称があると思うのですが、何故か思い出せません。 別海線とか、厚床線とか呼ばれていたのでしょうか?(謎) 中標津駅。 なんとコンテナの取扱い駅だったのです。 こんなローカル線の駅にもコンテナは進出していたのですね。妙に感心してしまいました(笑) ここで乗り換えます。 根室標津駅。 線路の終端は、なんとなく、その先が廃止された雰囲気。 公園があってSLが置いてありました。何か思わせぶり。 転車台もあって。 ちょっと遊んじゃいました♪ 味気ないコンクリートの駅舎を出るとすぐにオホーツク海です。 北方領土館というのがあって、国後島を見ることが出来ましたよ。 建物の屋上に絶叫コーナーがあったような気がします。 北方領土を返せ〜 根室標津駅から一気に釧網線の標茶駅へ。 こちらが標津線の本線ですね。 どうも本線の方が印象が薄いです。 人家がほとんどなかったことしか覚えていません。 だいたい、 どうして標津線に支線があったのでしょう。 支線じゃなくて、独立した路線だっていいのに。 この疑問は、ある時に解決しました(以前記事にしたことがあります) 私鉄線を買収した場合。 その路線は、すべて旧私鉄の名前でひとつの路線扱いになるみたいです。 南武線や鶴見線の支線と同じ。 なんだ、標津線は南武線の親戚なんだ(笑) そんな哲学的な標津線ですけど。 あっさりと廃止されてしまいました。 おかげで国後島は遠くなってしまいましたね(泣)
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線路巡礼昔語学生時代
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駅からすぐに展望台のある建物があったような記憶があります♪北方領土かえせ〜っ!
2009/5/3(日) 午後 9:43
私も学生時代の冬に、根室標津の街に泊ったことがあります。でも吹雪で標津線が止まり、2日間動けなかったことがあります。
廃止後、根室標津駅を訪れたら、キハさんが構内に雑草まみれでうち捨てられていました…
2009/5/3(日) 午後 9:52
怒涛のアップですね(笑)。湧網線はまだかな?サクラソウ...(爆)
標津線も存在していたら、観光路線として面白い存在だったと思うんですが...
中標津駅、コンテナホーム気になります!画像はないですよね!?(笑)
あ、ファン登録有難うございましたっ!!
2009/5/4(月) 午前 0:03 [ - ]
パセリさん。
今だったら、線路を返せ〜、と叫ぶかも(笑)
2009/5/5(火) 午後 5:19
mikanさん。
標津線の想い出も記事にしてください!
キハさんはちゃんと線路の上に乗って残っているのでしょうか・・・
2009/5/5(火) 午後 5:22
ほどすかさん。
今回は惜しみもなく当時の写真をアップしていますので(笑)。
つまり写真はないんですねぇ(泣)
2009/5/5(火) 午後 5:24
1982年晩夏は まだ急行列車に14系ではなく 旧客が連結されていました。まりもの普通車二両は 釧路へ着くと 荷物車とともに 根室行きの一番列車に早代わり。
台風が道東を通過しているさなか、厚床までいき ほたて弁当を買って食べながら、標津線を待ちました。
中標津で乗り換える頃には 雨もやんで晴れてきた記憶があります。北方領土は見えないまま 根室標津から折り返して 標茶まで乗りとおしましたね。
その後は 釧網本線の混合列車のオハ61に乗り 早くもストーブが入る寒さの中 網走へ向かいました。
2017/10/1(日) 午前 7:37 [ オータ ]
> オータさん
懐かしの標津線記事を読んでいただきありがとうございます
根室本線から直通列車が走ってましたよね
中標津駅にはコンテナ扱いがあったことを覚えています
あっさり廃止ですが、意外と利用が多かったのかも…
2017/10/2(月) 午後 8:20