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線路巡礼:胆振線。 1980年の第1次北海道線路巡礼にて。 初めて乗った青函連絡船11便十和田丸(つまり北海道に渡ったのもこれが初めて) 初めて北海道で乗った列車は急行ニセコ1号、函館駅→札幌駅。 そして、 北海道線路巡礼の最初の目的は、 循環急行いぶり号でした。 8月1日。右回り。札幌駅11:10→倶知安駅15:20(列車は札幌駅行き) 8月6日。左回り。札幌駅12:15→札幌駅19:27 循環急行いぶり。 千歳線、函館本線、胆振線、函館本線を回遊します。 なんてバカバカしい列車なんでしょう! これが定期列車だったのですよ(笑) なんていい時代だったのかなぁ。 こんな列車も、胆振線の線路があればこそ実現します。 (カメラを持っていかなかったので写真はありません、泣) 1986年。第4次北海道線路巡礼で再訪の機会がありました。 残念ながら至高の循環急行は既に廃止されていました。 倶知安駅16:19→伊達紋別駅18:41 倶知安駅 1両編成です(ローカル線はどこもそうでしたけど) 新大滝駅(途中駅の写真が残っているなんて珍しい) 沿線には、羊蹄山、有珠岳と素晴らしい車窓が続きます。 伊達紋別駅に到着。 行き止まりの0番線。 これが循環急行だったら、1番線に入線したのでしょうね。 こんなアングルもステキ。 火山災害で被災したかわいそうな天災路線なのですが。 噴火しなくても、きっと廃止されていたでしょうねぇ(泣) でも。 循環急行「いぶり」の伝説は、 永遠に語り継がれるはずです。 伝説列車は、線路がつながっていることの重要性を何よりも体験させてくれます。 いつの日か、
今度は長万部駅経由で循環列車を復活させてくれないかなぁ。 観光SLなんかより、ずっと価値があると思うのですけど(笑) |
線路巡礼昔語学生時代
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急行いぶりもそうですが、胆振線の写真も大変貴重な物で。。。。
大量廃止前は北海道鉄道旅行も今より楽しみが多かったことでしょう。
2009/5/5(火) 午前 0:40
ありましたね、そんな線(私は乗っていませんが)。さらに昔は京極から脇方まで一駅だけの小さな支線も分岐していたような記憶がありますが。乗ってみたかったなあ…
2009/5/5(火) 午前 8:41
私はよく北湯沢にあるYHに泊りに行きました。
とってものんびりした所を走る鉄道でした…
2009/5/5(火) 午前 9:08
TBもしちゃいます〜
2009/5/5(火) 午前 9:46
非常口さん。
その時代の線路でも楽しめますよ。きっと。
客寄せの復活○○なんかじゃなくて。
2009/5/5(火) 午後 6:06
将軍さん。お久しぶりです。
そんな支線があったみたいです。
車窓から廃線跡が確認できましたよ。
支線じゃない胆振線もとっくに廃止されてますけど・・・
2009/5/5(火) 午後 6:07
mikanさん。
胆振線の続編記事よろしくおねがいします!
2009/5/5(火) 午後 6:09
mikanさん。
ということで、こちらもTBしちゃいます。
あの記事のルピナスは良かったですねぇ
2009/5/5(火) 午後 6:10
遠く奄美大島で胆振線の壮瞥駅舎が移築されているのをみました。
私と胆振線の関係はそれだけです
2009/5/6(水) 午前 8:15
あおさん。
奄美大島ですか!
ちょっと興味あり(ニヤリ)
2009/5/7(木) 午後 10:07
・・・循環列車を「バカバカしい列車」とは・・・
何故そのような列車が設定される必要が有るのかも考えていない、不見識極まりないですね。
「面白そうだから循環させたに違いない」程度の認識しかないようですね?
仕方ないので、山手線なり大阪環状線なりを何週がのってみて、そういう環状運行の利点でも勉強してきて欲しいものです。
2009/9/27(日) 午後 4:11 [ バカはだれ? ]
バカさんへ。
こちらのブログは私が実際に乗って感じたことを感傷的に書いているだけなので、な〜んの見識もありません。悪しからず。
実際に乗ったことを自慢しているだけです(笑)
不勉強だから、何「周」もしません。
↓
・・・循環列車を「バカバカしい列車」とは・・・
何故そのような列車が設定される必要が有るのかも考えていない、不見識極まりないですね。
「面白そうだから循環させたに違いない」程度の認識しかないようですね?
仕方ないので、山手線なり大阪環状線なりを何週がのってみて、そういう環状運行の利点でも勉強してきて欲しいものです。
2009/9/27(日) 午後 11:14
懐かしい・国鉄車両の赤いキハ40です
2009/10/3(土) 午後 1:57 [ 永江聡 ]
永江聡さん。
最近まで残ったヤツは、「赤」の色がちょっと違うような気がします・・・
2009/10/4(日) 午後 8:11
TBどうもでした… 辛口のLUNさまだから、ツッコマれてますね。
ご存じかと思いますが…急行いぶりの前身は、準急でして昭和37年に設定されました。当時はちょうど沿線人口がピークに達しており、「オラが村から、道都札幌へひとつ直通列車を走らせて欲しい!」こんな要望が国鉄当局に寄せられたのは想像に堅くありません。胆振線に限らず、他の線区でも札幌直通がありましたし…また、ローカル線はその数年前から次々とDC化されており、胆振線もすでになっていたので小回りの効くDC準急の一本くらいは可能でした。
と、一応背景を紹介しましたが、バカバカしい…というお説、今になってみればその通りでしょうね。普通列車と同じキハ22単行が用いられていたそうで、線内を快速運転して、倶知安・伊達紋別で特急に接続させるダイヤにすればじゅうぶんだったはず。やはり…何でもイイから札幌と繋がっていたかった!地元のエゴが、こんなヘンテコな列車を作らせたと思いますヨ…
特に伊達紋別駅の画像がよかったです。去年、私もホーム跡を撮影しました。今でもハッキリと跡はありますね…
2011/1/16(日) 午前 2:53 [ オータ ]
オータさん。
私が知る限り最高に楽しくバカバカしかった
至高の循環急行「いぶり」の伝説。
胆振線の線路と共に語り継ぎましょう。本音で(爆)
2011/1/16(日) 午前 8:50
こんにちは、hyntf289という者です。
私も1980年9月16日に急行〈いぶり〉に乗って一周しました。
京極駅で〈いぶり〉同士が交換するんですよ。
その様子を特別に入れてもらった乗務員室から眺めてました。
9月30日限りで廃止されたので貴重な思い出となりました。
翌10月1日から千歳線・室蘭本線が電化されてL特急〈ライラック〉が走るようになりましたね。
2011/6/7(火) 午後 5:04
hyntf289さん。
古い記事を読んでいただきありがとうございます。
私も京極駅に停車した記憶があるので、たぶん交換を見ていると思うのですが(汗)
乗務員室から見られるなんて、昔は良かったですねぇ(爆)
2011/6/9(木) 午前 6:46