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線路巡礼:湧網線。 あまりに有名なローカル線ですが。 初めて巡礼したのは、1981年の第3次北海道線路巡礼にて。 つまり、3回目の渡道で、やっと乗ったわけです (今、渡道なんていう言葉を使うのかしら?)。 北海道ローカル線の中で、意外と遅い順番でした。 網走駅14:45→中湧別駅17:25 前評判のスゴイ路線でしたから。 どんな車窓だろうと期待して乗りました。 うん。 車窓は素晴らしかったですよ。 なにしろ、この日はあの相生線に乗った後だったので(笑) 1986年5月の第4次北海道線路巡礼にて再訪。 この時はちゃんとカメラを持っていきましたが。 網走駅8:42→中湧別駅11:03 この時は網走に前泊しています。 「ランプ」という民宿(これは今でも現存しているみたい) 朝、網走駅前で「カニ」を探したのですが見つからず。 この時に買えていれば、列車でカニを食う伝説・湧網線編が生まれたのに。残念。 網走駅。 ここが湧網線の終点の車止め。 湧網線というくらいだから、網走駅が終点ですね。 車窓は素晴らしくても、 線路的にはあまり撮影するところがなくて(殴) 他に写真がないのです。 (今だったら絶対に車窓写真も残すのですけど・・・) この時も車窓は美しかったのですが、 相変わらず車内はガラガラでした。 これじゃ、もう二度と乗る機会はないだろうな、と感傷にふけってしまいました。 その予想通り、 翌年に廃止になりました。 車窓がキレイなだけじゃ生き残れなかったわけです。 残念でした。 そういえば、同じような名前で 釧網線というのは健在ですね。 どちらも網走を発着ですが。 やっぱり湧別や紋別の規模の町じゃ線路を維持できないのですね・・・ 名寄本線も廃止されちゃいましたし(泣) (起点の中湧別駅の記事はすでにアップ済みです)
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いや〜 今の地図を見るとほんとかなり廃止されてしまったのですね。もう海岸線を走る姿見れないと思うとほんと残念です。利用者街なかったのは致命的ですので仕方なかったのかもしれませんが。廃止直前は首都圏色のディーゼルが走っていたのですね。
2009/5/5(火) 午後 8:26
冬にこの線に乗りました。凍結したサロマ湖は美しかったです〜
2009/5/5(火) 午後 8:58
この路線の大ファンでした。
でも3回も乗っているのに、一枚も写真が残っていないんですー(大泣)
宮○○三のばかやろー!(でも尊敬もいたしておるのですヨ)
2009/5/5(火) 午後 9:24
おっ、待ってました湧網線♪
サクラソウじゃなくてサンゴソウでしたね能取湖は(失礼しました)。。
学生時代、網走に行った時(ちなみに知床・釧路湿原を観光、川湯温泉泊でしたw)、能取湖観光のついでに寄りました。廃線跡を卯原内駅まで歩きました。ここ、鉄道記念館なるスポットがあるんですね。全く記憶にない...目の前にあるバス停からバスで網走駅まで帰ったはずなのに。
あ、網走駅って簡素ですよね。。
2009/5/5(火) 午後 10:05 [ - ]
みやさん。
オホーツク海沿岸の線路がすっかりなくなってしまいました。
なまじ昔を知っているほうが寂しいですね(泣)
2009/5/7(木) 午後 10:37
mikanさん。
車内でビール飲みながら鑑賞したかったですぅ
2009/5/7(木) 午後 10:40
はなゴンさん。
被害者友の会ですけど。私は尊敬もしてないんですよ(笑)
2009/5/7(木) 午後 10:42
ほどすかさん。
ふたつの湖の合間を縫うように走る、というイメージでしたよね。
網走駅は、現在でも結構線路が面白い駅だと思いますよ。
昔は浜網走駅とかあって、さらに面白かったですけど。
2009/5/7(木) 午後 10:44
遅いコメント失礼します。トラバありがとうございます。
ところで宮○俊○氏について、被害者とか尊敬していないとか…何かあったのでしょうか。ちなみに文章がちょっとしつこいのと、どんどん話が海外篇とかになっていき、リッチそうな旅ばかりになったので、私も好きな人ではありません。
湧網線の画像は、あと、中湧別と計呂地駅のが数枚あります。そのうち出してみます…
2010/2/6(土) 午後 7:33 [ オータ ]
オータさん。
宮○俊○被害者の会。懐かしいですね〜(笑)
この人の本に「見たことを覚えるためには、旅にカメラは不要」みたいな事がエラそうに書いてありまして。
当時純情だった被害者達は間に受けてしまいまして。
自業自得でゴザイマス(爆)
この人は出版社でくさるほど写真があるから、たしかに不要だったでしょうね。
あえて言おう、大嫌いです(笑)
2010/2/6(土) 午後 8:16
なるほど、そうですか。そんなことが書いてあったのは知りませんでした。というか、そこまで○脇○三氏の本を読まなかったのです。最初の二万キロと昭和史くらいかな。あとはマンネリっぽくて、面白いとも思わなかったです。ただ「旅」は定期購読していたので、氏のルポはしばしば見ていまして…その旅がけっこうリッチな感じなので、だんだん嫌いになっていきました。
「街道をゆく」の大作家司馬遼太郎だって、取材先ではカメラを持ってパチパチやっていたのです。シロウトがカメラ持たずに旅に出てはいけません…今となっては「覆水盆に帰らず」ですか、それはチョー深刻な問題ですね…同情します。
2010/2/7(日) 午後 1:16 [ オータ ]
オータさん。
こんな本にカブレテしまったのは自己責任ですので。
未だに評価が高いのが笑わせますけど。
私はキライです(しつこく。笑)
〜被害者友の会より。
2010/2/7(日) 午後 11:28
はじめまして。オータさんのトラックバックから初めて訪問させていただきました。湧網線は私も乗車しました。のどかな線でしたね。私も写真掲載させていただきましたので、よろしければご覧になってください。
2010/2/13(土) 午後 1:16 [ STKseya ]
STKseyaさん。はじめまして。
当時の貴重な路線に乗れたのは、今となってはとても幸せなことです(シンミリ・・・)
2010/2/14(日) 午後 10:03