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線路巡礼:深名線。 1980年の第1次北海道線路巡礼にて。 岩見沢駅付近のミニ4路線を一度に乗った後に乗りに来ました。 強行軍ですねぇ。 深川駅15:57→朱鞠内駅18:07/18:10→名寄駅19:09 写真もなくて、 手許にあるのは入場券だけ。 (入場券買いたいと言ったら、運転士さんが待っていてくれました。ノンビリした時代ですね) その後も、乗っています。 深川駅→名寄駅というルートは意外と乗りやすかったみたい。 もちろん普通の人は旭川駅経由ですよね(笑) この路線は、廃止対象なのに意外としぶとく生き残ります。 地元が、沿線の道路が未整備だからとかゴネたみたい。 なんかいい加減な理由。 1994年。 でも。ゴネて生き延びたオカゲで、三度目の巡礼の機会がありました。 深川駅14:09→朱鞠内駅15:55/17:22→名寄駅18:18 深川駅のホーム(確か留萌本線と共用でした) これは北海道名物の仮乗降場というヤツです。 ホームがあまりにシンプル。 当時、ローカル線にはたくさんありましたね。 幌加内駅。 ちゃんと列車交換があったという証拠写真。 何度乗っても、 朱鞠内駅で乗換なんです。 どうしてそういう列車ダイヤだったのかなぁ。 朱鞠内駅から羽幌線に向けて建設中の計画線(未成線)がありました。 駅から少し歩いたところに、その工事現場(トンネル)があったそうです。 行ってみたかったけど。 クマに逢ったら困るから遠慮しておきます(泣) 沿線唯一の名物。朱鞠内湖。 でも深名線で湖畔まで行くのは至難の業だったでしょう この区間の本数は極端に少ない。 おまけに朱鞠内湖の湖畔の駅は休止(廃止?)扱い。 名寄駅に無事に到着。 名寄駅の線路写真は、名寄本線の記事をご覧下さい。 深名線は、ちょっと人気がありました。 車窓はたいしたことないと思いますけど。 「しんめい」という言葉のイメージがよかったのかな。 「うんめい」を連想してしまう? なんとか廃止を逃れてきた深名線ですけど。 当局の追及は厳しく。 やっぱり廃止されちゃいました。 線路の廃止は悲しいことですけど。 あの名寄本線や松前線までが廃止されたのです。 深名線だけがゴネ得で残っていては、 やっぱり不公平ですよね。 もちろん、深名線の線路に罪はアリマセン。 悪いのは、ゴネるだけで、利用しないことです。
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急行色はなかなかいいですね。
どこにでもゴネ得ってあるのですね。
これは世の中不公平の源泉かな。
2009/5/7(木) 午後 9:02
この線路のゴネ得の話は有名ですね。
ゴネる奴は嫌いなので、この線は乗りませんでした〜www
2009/5/7(木) 午後 9:08
ここは私も好きで夏冬都合3回乗っています。ということはLUNさんのおっしゃるとおり、案外と乗り易かったのかなぁ。
ちなみに私の場合は湖畔駅で降りて、朱鞠内湖畔までいっております。宮○氏のおかげで写真はないですけど。
2009/5/7(木) 午後 10:42
いつでもテツしか乗らない路線だった、と記憶しています^^;
よくしぶとく残っていましたよね。朱鞠内から羽幌への未成線がもし出来ていたとしたらどんな車窓だったんでしょう。全く人家が見当たらないことは想像できますが(爆)
2009/5/7(木) 午後 11:44
みやさん。
そんなに真剣に考えられても困るのですが(笑)
他の廃止線沿線の方はどう思っていたのでしょうね?
2009/5/8(金) 午前 0:02
mikanさん。
意外と深名線キライの方は多いのですね。
安心しました(笑)
2009/5/8(金) 午前 0:03
はなゴンさん。
朱鞠内湖を歩いたなんて伝説ですぅ。
写真があれば文化財モノなのにぃ(泣)
2009/5/8(金) 午前 0:05
非常口さん。
羽幌への未成線は結構工事が進んでいたみたいですね。
開通しなくて良かったですねぇ・・・
(ちょっと乗ってみたかったかも、笑)
2009/5/8(金) 午前 0:07
私は深名線に乗り、朱鞠内から列車の待ち時間がありすぎたので徒歩で朱鞠内湖畔まで歩きました。帰りは湖畔駅から乗車、
雪の中、何もない一面の凍った雪の湖について途方にくれた思い出があります。
近くの工事の詰め所の人に拾われ、3時間ほど時間潰しました。
2009/5/10(日) 午後 3:17
あおさん。
冬の北海道歩きは危険ですよね〜
線路も雪で見えないし(泣)
2009/5/13(水) 午後 11:04
JR深名線の路線バス廃止
2009/7/7(火) 午後 4:46 [ 永江聡 ]
永江さん。
バスの需要すらない路線がいつまでも残っていたのが悲劇ですね。
2009/7/8(水) 午後 8:32
遅くなりました。1986年から道内に住んでいますが、ウーン…地元がゴネたような印象は全く無いです。そもそも国鉄民営化前の、廃止対象線の要件が満たされていない。つまり代替交通機関の未整備ですね。「公共交通機関」である以上、国、国鉄もむげに廃止できなかったはず。80年代の鉄道ジャーナルに、ローカル線の連載記事があって、カメラマンでもある奥野和弘氏が書いていたのを読むと、大変なところだと思いました。−30℃にもなるため、気動車も動かないことがあるとか。
後は高校生の通学問題。当時は列車通学を保障したようです。バスでは時間がかかりすぎて、自宅から通えず下宿しなければならないため、深名線が唯一の手段でした。80年代は朱鞠内からも深川の高校へ通えたのですが、最後には幌加内以南になり、朱鞠内(空知支庁)の生徒は学区外の名寄(上川思潮)の高校へ通うか下宿していたようです。北母子里の生徒は昔からそうでした。
時刻表みたら、確かに代替バスの本数が削減されています。幌加内町の人口が2000人まで減っているので、やむを得ないでしょう。バスだって、大手の中央も道北も引きうけないので、JRが走らせています
2010/3/5(金) 午後 9:54 [ オータ ]
オータさん。
今でも何故か残っている岩泉線なんかと同じ理屈ですね。
当時もそういう議論はありましたが。
そもそも、初めから鉄道がないバスだけの地域から見たら、屁理屈だと思いますけど・・・
もちろん線路に罪はありません〜(笑)
2010/3/5(金) 午後 10:53
しつこいでしょうがが、その通り線路に罪はありませんよ。…いや、深名線は深川−多度志(中央バス)を除いて、バス路線も無かったです。道路が酷いからですね。ご存じでしょうが、もともと木材・鉱物資源を運び出す目的も大きく、太平洋戦争前に全通しました。朱鞠内湖は発電用だし、先に書いた白金も国策で掘られたわけです…
また開拓地の維持…特に蕗ノ台、白樺は本当に道路が無く鉄道が頼りでした。森林鉄道のみに頼る山奥同然だったのです。廃止議論の前に離村でしたが…
とにかく、道内でも特殊な寒冷地でした。教育の機会均等からも、仕方なかったのでは。当地では長らく民鉄バス路線の転換・廃止も盛んに行なわれています。転換なら町村営バス、またはスクールバスのみを委託運行するなど様々です。
鉄道がない地域ですか…道内でいえば、開拓地のほとんどに鉄道がかつてあったと思います。海沿いは船が使えたので別として…軽便の殖民軌道(道庁)や林鉄の類ですが…交通手段がなければ、物資が運べずとても定住なんて無理でしたね。馬が牽く鉄道もありました。小規模な所は鉄道の代わりに馬橇が使われましたが…
2010/3/6(土) 午前 5:46 [ オータ ]
オータさん。
北海道には町営軌道みたいなのが縦横に走っていたらしいですね。
どれも乗る前になくなってしまいました。
数多くの線路の中で、たまたま国営(国鉄)だったモノだけがその後も「特別扱い」されて生き残ったのですが・・・
(こんな話を学生の頃ずいぶんしたものです。懐かしい)
2010/3/7(日) 午後 4:06
>しつこいでしょうがが、その通り線路に罪はありませんよ
そのとおりですね。
1980年の国鉄再建法成立時、母子里は冬季閉鎖で道路がなかったので冬期間は陸の孤島でした。
ttp://www.dodoshiryo-hokkaido.info/dodo/kaihatsu/history/r0011.htm
幌加内地区で積雪がだいたい160くらい、朱鞠内で2メーターくらい。
再建法成立当時の除雪を含む道路技術では、冬期間の幌加内町や母子里地区の交通を確保することが不可能でした。
冬期間に車で、幌加内町と名寄市までマトモに通れるようになったのは、名母トンネル開通した1991年10月1日からでした。
2010/7/11(日) 午後 5:13 [ ▲ ]
▲さん。
古い記事にコメントありがとうございます。
う〜む。
陸の孤島に住み続けるために公共事業ですか・・・
やっぱり線路に罪はないです(名文句?)
2010/7/12(月) 午前 6:09