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線路巡礼:三角線。 1981年夏、第2次九州巡礼にて。 このときの巡礼では大学弓道部の友人と途中まで同行。 南九州を見学して、 大分で後輩の実家に押しかけて、 鉄道のない国東半島を案内してもらいました。ヒドイなぁ(笑) その後はやっと単独行動。 線路巡礼の再開です。 当時はものすごく楽しい直通急行列車がありました。 急行「火の山2号」。大分駅8:13→三角駅12:35。 別府〜阿蘇〜熊本〜三角(ここから天草?島原?)という、 中九州の観光地を結ぶ列車です。 三角線三角駅。 終着駅に着いたら、線路の先端まで極めるのが鉄則です(笑) ホームの先から、港湾地区に線路が伸びて、岸壁の石油タンク群の脇まで線路が続いていました。 終端を見て、ものすごく満足。 この海の先に天草とか島原があるのですが、 当時はそんなことを考える余裕がなかったみたい。 とにかく、海まで線路があったんだぞという線路好きの自己満足(笑)。 線路メモはしっかりと残したのですが、 写真はこの1枚だけ(フツーは、駅の線路の写真とかも撮りますよね、笑)。 実は、この写真が本当に三角線の先端なのか疑問でしたが、 以前書いた三角駅の古い記事への牡丹鍋さんからのコメントにより 当時の航空写真から三角駅に間違いないと、いうお墨付きをいただけましたので、 安心して紹介させていただきます。 やっぱり、これは三角線の線路の美しい真の終端なのでしたぁ。 大好きな工場の中で終わる終端駅タイプです♪ さて。 1992年に普賢岳爆発見学ついでに、 島原→三角とフェリーに乗って、 三角駅を再訪しました。 時間がなくて、あまり線路見学時間はなかったのですが、
線路終端はだうぶ整理されてしまったみたい。
港湾地区につながる線路の痕跡もなし・・・客車が停まっていました。 機回し線路は機能していた証拠ですね。 その後、再度訪れる機会が。 天草から熊本市内まで移動。 でも快適な特急バスに乗ってしまい、 わざわざ三角駅で列車に乗り換える、という発想にはならなかったですね(ゴメンナさい) 三角線。
すでにフェリー連絡としての役割は果たしていないと思います。 この路線がまだ健在というのは、うれしいけど、ちょっと不思議ですね。 |
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この路線良く生き残ってますよね。
三角線は一度しか乗ったことないですが、学生時代に乗りましたよ。
フェリーで島原から三角港に行って、そこから熊本を経由していなかの宮崎に行くために。(長崎にお友達?がいたんですよ・笑)
同じころですね。ただ私は12月の冬休みでした。
当時、そういう急行が走ってたんですか。忘れました(笑)
2009/8/3(月) 午前 2:16
たきさん。
九州は線路的に味のある急行がたくさん走っていましたよ。
お近くですから、たまには三角線乗ってやってください。
今の線路の終端が気になりますぅ(笑)
2009/8/5(水) 午後 5:56
はじめまして 懐かしい記事拝見いたしました。熊本市内から三角町の祖父の家へ行く時に三角駅と貨物駅っぽいところの間の踏切を車で渡るのが楽しみで仕方がありませんでした。渡る時に左右キョロキョロしていたのを思い出します。路線図のセメント工場はみかんの選果場だと思います。記憶にあるのは昭和56・57年ごろの末期ですが、選果場への引込線に貨車がいたのは見たことがありませんでした。「セメント工場」と「倉庫群」の間の渡り線に挟まれた海側の線路にはタンク車に何かを積み込むパイプがありました。父親と「倉庫群」の前の岸壁で釣りをしたのですが、暇で暇で仕方が無かったので、引込線へ行くとワフ29500がいたので、連結器と握手をしたら、手が油で真っ黒になり、父親に怒られたのを覚えています。貨物営業が廃止になったことなぞ判るわけが無く、昭和58年の正月に踏み切りを渡る時に貨車が1両もいない事を親が「正月だから貨車がいないんじゃないか」と言っていましたが、以後、貨車が引込線にいたことは無く、国鉄民営化する前に線路も撤去されました。平成に年号が変わる頃には、3枚目の写真の線路終端の先に見える倉庫が建設されました。
2012/1/3(火) 午後 11:13 [ rapid exp ]
rapid expさん
古い記事を読んでいただきありがとうございます。
セメントじゃなくて、みかんだったのですね(笑)
線路脇のパイプはなんとなく覚えています。
とにかく雰囲気がいい貨物線でした。
覚えていてくれる人がいるのは線路も幸せでしょう(笑)
2012/1/4(水) 午後 10:50