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ただいま、夫婦で旧東海道をお散歩しながら西へ旅しています。 結構楽しくて、 もうすぐ、着いちゃいそうな勢いです(笑) なるべく、江戸時代の旅人のつもりになりきって?お散歩です♪ でも、歩きながら様々な疑問がわいてきました。 もともと歴史好き・地理好きなので、 いくつも本を読んで、お勉強(もちろん、図書館で借ります) その成果の、一部の発表です。 読んでも試験には出ませんので悪しからず。 旧東海道の3大疑問! Q1:どうして、旧東海道は鈴鹿峠経由なの?(どうして米原経由じゃないの?) 江戸時代の東海道 江戸→静岡→名古屋(熱田)〜海路〜桑名→鈴鹿峠→京都 旧東海道というのは、江戸幕府が、勝手に決めたものです。 当時、京都は重要な場所。 江戸から京都まで、移動のための一番合理的なルートを設定する必要がありました。 そしてそれを自由に決めることが出来ました。 (現代と違って、土地はいくらでも強制収用できますからね) だから、単純に考えれば、 江戸→静岡→名古屋(熱田)→関が原→京都 でいいはずなのに。 わざわざ、南回りで、鈴鹿峠を越えるルートにしたのは、何故でしょう? しかも、海路(船旅)までついています。 現代の東海道本線や新幹線だって、関が原(米原)経由なのにね? (関が原付近は雪が積もるから?でも、鈴鹿峠も冬は厳しいよ!) 調べても、理由なんかどこにも書いてアリマセン。 だいたい、歴史学者というのは、素朴な疑問は無視する存在ですから(泣) でも、 昔のエライ人は、すぐにルート選択の間違いに気づいたみたいです。 三代将軍徳川家光は、初めて京都に上洛するとき、 この東海道を通りました。 でも、名古屋〜桑名の船旅(七里の渡し)で、船酔いしちゃったそうです。情けない。 怒った家光さんは、次の上洛に備え、 その区間は陸路を整備させました。 自分のためにですよ(えらいなぁ) これ以降、船旅がイヤな一般の旅人も、 この陸路(通称:佐屋街道)を歩くようになりました。 ところが 肝心の家光さん。 次回の上洛のときは、この道さえ通りませんでした。 美濃街道 というものを整備させて、こちら経由を通ってしまったのです。 これは名古屋から垂井(関が原付近)に至る道。 そこで中山道につながります。 江戸→名古屋→関が原→京都 あれ。 今の東海道本線ルートと同じですね。 つまり、昔も今も、これが一番合理的なルートなんじゃないの? 旧東海道は、単純にルート選択のミスなんだ? でも、 何故、わざわざ鈴鹿峠越えのルートを東海道としたのか、 という質問の答えにはなっていません。 一応、私が得た結論としては、 江戸時代より、遥か昔。西暦800年頃。 当時の天皇政府によって、律令制度、というのが出来ました。 その時、日本の「地方行政エリア」と「街道」の名前が初めて公式に決められました。 五畿七道 京都・奈良・大阪が日本の中心(五畿)。 その他は、7つのエリア(海道)に分けられました。 ○○の国、という名称もこの時に決められています。 当時は「道」のことを、「街道」ではなく、「海道」と呼んでいました。 京都周辺から東国に、太平洋側を通るエリアは、東海道と名付けられます。 つまり、東海道という名称は、もともと 「東海」道、ではなくて 「東」海道、なわけですね。 知りませんでした〜(汗) 私はてっきり、東海地方を通るから、東海道と呼ばれるのだと思っていました。 この律令制度で、本州の東半分は3つに長細く分けられます。 東海道:三重県から始まって、愛知県、静岡県、と太平洋沿いに茨城県に至ります。 東山道:滋賀県→岐阜県→長野県と海のないエリアを通り、福島県まで 北陸道:福井県から新潟県まで ここで重要なのは、 東海道という名前が、鈴鹿峠(三重県)から始まるということ。 つまり、昔から東海道という名称は、 鈴鹿峠(三重県)経由と相場が決まっていたのですね。 理屈じゃないんです(笑) 江戸時代の役人さんも、 江戸→京都のルート選択をするとき、 昔からそう決まっている という理由だけで、 それを踏襲しただけなのかな? 昔からの慣習を変えるのって、大変なんですねぇ 参考までに、 江戸〜京都の第2のルート、 中山道とは、 七道のひとつ「東山道」が名前を変えたものらしいです。 江戸時代の話にもどります。 美濃海道が普及したおかげで、 江戸→京都は、 わざわざ選択ミスルート(海路を使い鈴鹿峠を越える)を利用する旅人は減ったみたいです。 ところが、今度は伊勢神宮にお参りするのがブームになりました。 東海道はいつの間にか、 江戸から名古屋を経て伊勢神宮に至る道の一部になってしまったみたいです。 こうなると、桑名・四日市経由の旧東海道は便利です。 あの有名な弥次さん喜多さんの旅も、本当は江戸から伊勢神宮にお参りする旅なのです。 なんか、結論が出たのかどうか、はっきりしないけど。 旧東海道が鈴鹿峠を通る謎はこれにて解明? 要するに、これを決めた役人が、既存概念から脱しきれなかったから? その点、 鉄道の東海道はえらいです ちゃんと合理的に、はじめから関が原経由が選定されています(笑) ちなみに、昔の人が決めた七道の残りは 南海道:和歌山県〜四国 山陽道:山陽地方(そのマンマ) 山陰道:山陰地方(これもそのマンマ) 西海道:九州 なるほど、 大阪と和歌山県内を走る南海電鉄の名前は「南海道」から来ているのですね 歴史と地理を勉強すると、鉄道の知識も増えてしまいます(笑) これにて、3大疑問のひとつは解決(したかな?) 話が長いので、残りは次の記事にします(泣) 京都に着くまでに、謎を解明しないといけません?(笑) 素人さんの調査だから、 他の有望な説があったら、是非教えてください(ペコリ) 追記: 五畿七道という、日本のエリア名称の元祖?は、 そのあとも意外と残りました。 たぶん、 明治維新後につけられた、 北海道 という名前は、この名残ですね。 違ったらゴメンネ(笑) 追記2: こんな風に、鈴鹿峠経由の悪口を書いたあとで、何ですが・・・ ふと、 鉄道路線距離で比べてみると 名古屋〜米原〜草津 125.4km 名古屋〜亀山〜草津 116.6km アレ?、亀山経由の方が、短いではないですか!? 知らなかったぁ(笑?泣?) もちろん、旧街道と鉄道路線はイコールではありません。 でも、参考にはなります。 おまけに、鈴鹿峠越えは、一直線にショートカットしているし・・・ ひょっとしたら、 旧東海道が鈴鹿峠を経由していたのは、 単純に距離が短いから という超合理的で分かりやすい理由からだったりして? だとしたら、鈴鹿峠さんゴメンナサイ(泣?笑?)
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