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ちょいと風邪をひいたみたいです(病弱、泣) 今日は風も強いし、ちょっと自宅待機。 天気はいいから残念です。 もちろん、お買い物は行きましたけどね。 ベランダは新緑の時期が一番気持ちいいなぁ・・・ あれ。 気持ち良すぎて、 こんなアクシデントが、 こんなところに生えてこられては困りますぅ。 テーブル置けなくなっちゃう(笑) ここならOK どんどん大きくなってください。ベランダですけど。 (風邪なのに、ベランダでタケノコと遊んだり、お茶を飲んでいるのはかなり矛盾している) ヨイ子は食べ物で遊んじゃイケマセン・・・(念のため) もちろん。 今晩はタケノコご飯でしたぁ、美味しい! 自宅待機なので。 今日は自分の歴史の記事を5本も書いちゃいましたよ。 書き出すと、けっこうこれが楽しくて(モノ好き、笑) この記事を入れて6本目? すごい、自分新記録だ。 おまけに訪問者数が、今現在で350(!)、たぶんこれも新記録。なんのこっちゃ? モウ今日はこれで最後です。 ランダムブログの皆様。 および、 Mr.mikanさん 一日中お付き合いいただいてアリガトウございました(笑) 明日はやらないつもりですぅ(未定、笑)
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2008年04月19日
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1991年、もうこれが最後の記事です、許してください(笑) 12月21日。 一泊二日で、焼津黒潮温泉に行きました。 まだまだ新婚ほやほや? 当時は、月に1回はどこかに行かないと気が済まなかったみたい(笑) でもこの温泉、 あまり名前を聞いたことないですね? 事前に調べてみると・・・ 観光客目当ての臭い名前ですけど、そもそも焼津に温泉があるというのがビックリ。 さらに海に面した露天風呂から富士山が見える眺望にビックリ たぶん青春18切符利用。 品川駅10:09に出発、焼津駅13:39着。ずいぶんノンビリ。 駅近くの船員保険の宿を利用。 船員じゃなくても安く利用できるのです。 ここから海が見える露天温泉風呂があるホテルまで、お湯に浸かりにいきます。 このホテル、お泊りはメチャクチャ高いんです。だから外湯利用だけ。 ちゃっかりホテルの無料送迎バスを利用♪ 露天風呂は良かったですよ〜 豪華なホテルでしたぁ・・・ 夜は、船員保養所でシンミリと。 有名な焼津漁港のそばです。 おまけに船員保養所です。 夕食は、海の男の豪快な料理を期待しましたけど・・・(泣) 翌日。 焼津駅から路線バスで御魚センターへ。 ここで寿司食べました。これは美味しかったみたい。 お魚も買って・・・ ところが、 奥さんがちょっと具合悪くなったみたいで、 旅行はここで打ち切り 家にもどることに(もっとも、この後どこに行くつもりだったのかは不明) 焼津11:33発、横浜14:58着。 具合が悪くなっても、 律儀に各駅停車で帰るところが流石ですね(笑) おまけ、 線路巡礼:焼津駅 焼津駅の構内に列車レストランがありました。 この車両、 ちゃんと線路の上に乗っているのです。 しかも、東海道本線とつながっている線路の上なのです。 これはスゴイ。 線路の有効活用です。 おまけに電気機関車まで付いています。 こんな偉い列車レストランは、たぶんここだけだったのではないでしょうか? 深夜、そのまま線路の上を走っていたりして(笑) (恵比寿駅のビール工場跡に一時あった車両レストランは、線路は途切れていたと思う・・・) ここでランチを食べなかったことは、今となってはかなり後悔。 だって、 もう列車レストランは線路ごとなくなってしまったみたいですから(泣) 焼津駅には、こんな怪しいものもいました。 いつも車窓から見えていましたね。 市場線?の跡。 こんな屋根を持った貨物ホームもなくなってしまいました。 ビール工場線もあったのですが、あれも廃止されました・・・ ところで。 焼津黒潮温泉の名前って、あまり聞きませんよね?絶景温泉なのに。 東海道本線の駅で、 駅名が温泉に付いているのは、焼津駅だけではないでしょうか? (意外と他に思いつかない・・・→湯河原と熱海を忘れていました) もっとメジャーな温泉になっていてもおかしくないのに。 歴史的には、焼津は旧東海道ではないのです(ここでは、もっと山の中を通る) だから昔は知名度が今ひとつだったのでは? だから温泉名もメジャーになれない? 焼津マグロ温泉にしておけば、もっとメジャーになれたかも?(笑)
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いつまで続くの1991年の話。 11月10日。 青梅線中神駅から米軍基地に伸びる線路跡。 これが気になって歩きに来ちゃいました。 奥さん付き。 なんの行事のついでだったのか。今となっては不明。 中神駅から、 立川駅方面にもどるように、線路はグニャリとまがります。 ここは電車からよく見えました。 道なりに歩くと、 すばらしい線路雑貨店! 何故か、 バス停まで線路の中にあります。 待合用のベンチつき!(笑) しばらく行くと、 二手に分かれます。 どちらも米軍基地に続いているんですけど。 ダルマ式転轍機が残っていて、 遊んじゃいました♪ 当時。 米軍基地関係の線路は、 廃止されてもアチコチで結構残っていたみたいです。 もっとも、 ここもこのときが最初で最後の巡礼になりました。 アレ以来行っていません。 電車から見えた線路もなくなってしまったみたいだし。 米軍基地線も撤去されてしまうのね。 そろそろ戦後は終わりなの? 線路だけは残して欲しかった・・・ なんだかんだ言って、
ウチの奥さん、線路付き合いがいいなぁ。 (この時、何処に行くのが主目的だったのだろう?謎のまま) |
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またまたまた1991年の話。 11月3日。 営団地下鉄南北線、駒込駅〜赤羽岩淵駅の先行開業(同年11月29日)を前に、 同区間を歩いてみましょう、 という夢のような企画がありました。 Let's トンネル ウォーク! 一般公募に当たっちゃった♪ 王子駅近くの開業前の車両基地に集合。 南北線の先行開業区間はどの路線ともつながっておらず、 また地上駅もないので、 この車両基地地上部分からクレーンで車両を降ろしていたらしいですよ。 ここの事務所で、 ヘルメットと懐中電灯を渡されます。 これはそのまま記念品になりました。 500人くらい参加したと思うから、 営団って、太っ腹ですねぇ。 20人ずつくらいの班に分かれて、 トンネルウォーク開始! ここは、 車両基地に線路が分岐するところです。貴重だ。 途中の駅に 車両が停まっていました。 この中で休憩できるんですよ。 まだ営業運転開始前の電車の中で 遊んでみました。 懐中電灯のビームで撃ち合い? (だって、トンネルの中で懐中電灯を使う機会がないんだもん・・・) トンネルの中を 二駅区間くらい歩いたのかな? 地上にもどると、 なんと昼食付きです。 営団って、本当に太っ腹だなぁ。 大丈夫かよ? とっても楽しいトンネルウォーク。 その後もたびたびこういう企画は応募しているんですけど、 なかなか当たらないんですよね。 過剰サービスはいいから、募集人員増やしてください。 ヘルメットと懐中電灯は持参にしましょう(笑) この時のヘルメットと懐中電灯は、災害緊急用に大事に残してあります。
いざとなったら、地下鉄トンネルに逃げ込めかな? |
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1991年の話。まだまだあるんです。 12月11日。 武蔵野線新秋津駅。 珍しい線路の活用法を見るために訪れました。 この年の10月。ものすごい台風が関東を通過。 その後、ある駅が水没してしまいました。 水没といっても、近くの河川が氾濫したわけではなく、 地下水の異常出水が発生して、 その駅はプカプカ浮いてしまう羽目になったそうです。 当然、その駅を通る路線は不通。 しかも、冠水じゃないから 復旧にはエライ時間がかかることになりました・・・ これが日本貨物線史上とっても有名な? 武蔵野線水害長期不通事件です。 悲劇のプカプカ駅は、新小平駅です。 1991年10月11日から12月11日まで。 武蔵野線西国分寺駅〜新秋津駅は完全に不通。 線内を通過する多くの貨物列車は山手貨物線を迂回することになりました。 貨物運転経路の先祖帰りですね。 山手貨物線はすでに成田エクスプレスが走っており、 線路が混んでいてタイヘンだぁ、 なんていうのが新聞記事になりました。 当時でも混んでいたのでは、今ではとてもムリですね。 一方、 武蔵野線の電車は・・・ 旅客線電車は、この不通区間の両端ですぐに折り返し運転を始めました。 新秋津駅構内に中線があったので、 ちょいと仮設ホームを作って、 ここで折り返し運転をしていました。 貨物列車退避用の中線があったから、すぐにこんな芸当が出来たのですね。 小難しい信号工事なんかいらなかったみたい。 西国分寺駅も事情は同じ。 つまり、 線路は大切にしなくちゃいけないんですよ。 災害時の折り返し運転に絶対必要。 使わないからって、すぐに剥がしちゃダメ。教訓。 これは新秋津駅の新小平駅方面。 この先、代行バスで西国分寺駅まで行きました。 もちろん、初乗り区間切符の大周り乗車です。 おかげで、バス旅も楽しめちゃった♪ 線路さん、アリガトウ!(笑)
JRさん、教訓を忘れちゃイケナイよ。線路は大切にしてね! |







