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1982年4月。 加古川線を三木線、北条線と巡礼して、 いよいよ、 線路巡礼:鍛冶屋線 野村駅12:36→鍛冶屋駅13:05 野村駅の次の西脇駅はとても大きな駅。 乗降客も多いです。 それに比べると 終点の鍛冶屋駅は の〜んびりとした感じ。 線路は これまたのんびりした感じで、 さらに先にのびていました。 線路終端。 どうしてグニャリと曲がっているのか不明ですが、 これがまた、そこはかとなく美しい(笑) それでいて 機周りの機能美も有しています。 日本有数の美しい線路終端と言っても過言ではありません(独断)。 この美しい線路には その後、理不尽な仕打ちが待っていました。 でも、 美しく散っていった線路の歴史は 今に語り継がれるのです。 分かる人には分かるのです(うんうん) 第○セクター屋さんには分からないでしょう(笑) −−−−− 当時、加古川線というのは、 そのほとんどが鍛冶屋線に直通していました。 加古川発、鍛冶屋行きが一日13往復。 西脇駅までは さらに11往復もありました。 逆に 加古川線谷川駅行き直通は1本しかありません。 加古川線の本来の「行き先」が 谷川駅じゃなくて 鍛冶屋駅(もしくは西脇駅)だったのは誰の目にも明らかだったのですが。 線路の戸籍が 鍛冶屋線だったというだけで。 廃止候補入り。 あっけなく廃止。 むしろ、 野村駅〜谷川駅を廃止して 鍛冶屋線を残すべきと多くの人が考えたでしょう。 たぶん国鉄(JR)の人もそう思ったのではないかな? でも。 地域エゴというのは 自分を犠牲にして他人を助けることはないのです(失笑) 廃止後。愚行に気づいて(?)、野村駅を西脇市駅という駅名に改名してもらいました。 (写真は昨年の加古川線巡礼の車窓から見た鍛冶屋線の廃線跡。 鍛冶屋線はまっすぐだったのですね・・・) 鍛冶屋線の線路。 廃止後もそのまま残しておけば。 ひょっとしたら西脇駅まで復活があったかもしれないのに (あの可部線の廃止区間復活話みたいにね) もっとも、
線路趣味的には谷川駅で福知山線に接続しているほうが、 いろいろと面白いのですけどね(笑) |
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