線路巡礼♪

本日をもちまして、線路巡礼のブログは廃線の仲間入りです。長い間ありがとうございました。LUN(2019年8月31日)

1989■北京モスクワ国際列車

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イメージ 1

ソ連では外国人旅行者は厳重?に管理されています。
滞在中のホテルが決められていますから、所在地は把握されているわけです。
宿泊中はパスポートをホテルに預けるのも決まり。

1989年5月7日。
ホテルで帰国のエアロフロート航空(ソ連国営航空)のフライトの再確認(リコンファーム)を頼んでおいたら、
航空会社の手違いで、
明日の帰国便はモスクワ20:50発ではなくて、
13:10発とのこと。

ええ!?冗談じゃないよ。

ホテルの隣のインツーリスト(国営観光会社)でも確認してもらったけど、
やはり変更(というより手違い)らしい。

どうしてくれるの!
この人たちに言っても、
私たちには関係ない、の一点張り。
外国人旅行者を管理する同じ国営企業のくせに(泣)

もっとも、モスクワで見るべきものは見た、という感じでしたので、
仕方なく、明朝、早めに空港に行くことに。
(たとえ見残しているものがあっても、勝手に時間を変えられちゃうのでは、従わざるを得ません、泣)

その晩、深夜(0時)の赤の広場に行ってみました。
レーニン廟の前では、衛兵の交替が行われているのです。
コツ、コツ、コツ。
軍靴の音が不気味です。
それでも数人の観衆がいたのですが、一番前で見ると、刀剣が闇夜にギラリと光るのは、ちょっと恐い。
観光用とは違う、ちょっと恐い深夜の衛兵の交替でした。
レーニンさんも、毎晩不気味でしょうねぇ。

そして、運命の5月8日。
帰国の日。
本来は夕方までユックリできるはずでしたが、すぐに出発です。
しつこく、もう1回赤の広場に行って、衛兵交替見学。もうお友達?(笑)

さて、モスクワの空港事情。
シュメレチボ1空港(国内路線用)とシュメレチボ2空港(外国路線)があります。
1までは、市内から路線バスがあるのですが、
2までは、ないのです!
タクシーしか、移動手段がない・・・
卑しくも、超大国の首都空港でしょ?信じられません。

仕方なく、
バスターミナルまで移動(これも離れている)
そこから1まで空港バスで移動、
さらにそこからタクシーです。
市中心のホテルを9:00に出て、国際空港についたのは11:00。

と・こ・ろ・が、
指定されたはずの13:10発の東京行きの案内がありません。
いったいどういうこと?

何人もの、エアロフロート職員、空港職員に訪ねても、
分からない、
私の仕事ではない、
の一点張り。
20:50発(当初のフライト)に乗れとのこと。
冗談じゃない、それまで何しているの!(怒)
だいたい市内にもどるのに何時間かかると思っているんだ!(怒怒)

唯一、親身に捜してくれた職員のマルシャさんが
これはエアロフロートのミス。
カワイソウだけど、自分の仕事ではなく、どうにもならない。

せめて早い便への変更と、モスクワまで往復するタクシー(もちろん無料)の手配を要請すると
45分後に、カウンターに行けば、係員がタクシーを手配する。
19:00の便を手配するから、17時にここにもどれば、私がそれまでに19:00の便を用意しておく。
とのこと。

なんでも抗議してみるものだ。
大感謝です。
よかった。


でも。
ソ連を甘く見ていました。
世界一の社会主義国家を・・・

指定されたカウンターに行くと、
そんなこと聞いてないの一点張り。
市内に行きたければ、自分の金で行け!
全く取り合わない(泣)。

さきほどのオフィスにもどっても、マルシャ氏は不在。

すでに、言い争うのも疲れました・・・


あとは、せめて彼が19時のフライトを用意してくれるのを信じるだけですね。


実に長い待ち時間でしたが、
空港の長イスに座って、これまでの旅行日記を整理していると、意外と早く時間が潰れます。
(そのおかげで、今も記録が残っているのかも?)

でも、この空港、すごく暗いのです。
ソ連の印象を悪くするために、わざとボロく、暗くしているのかな?(泣)


17時。
マルシャに会えました。
フライトを変更してくれました。
アリガトウ・・・(涙)

市内までもどったのかい、と尋ねられ、
ダメだったと伝えると、
申し訳なさそうな顔をされてしまいましたが。

いいえ。
この国では、あなただけは、あのレーニンのように偉大に見えます!
と大きなジェスチャーで伝えておきました(笑)


帰りの飛行機は、予定通りテイクオフ。
機内は日本人団体で満員。
市内ではほとんど見かけなかったのにね。

次の日。
成田には当初の便より2時間以上早く到着したことになります。
実は、mさんが迎えに来てくれることになっており、
これまた擦れ違いで、大変なことでした(笑)。

−−−−−−


後日談。

ソ連国営のエアロフロート航空の手違え?怠慢?により、
モスクワでエライ目に遭ってしまいました。
幸か不幸か、市内はほぼ見尽くしていたとは言え、
余計なことをされなければ、最終日は夕方まで市内観光が出来たはずです。

私の貴重な時間を返せ!

ソ連との闘いがはじまりました。


ソ連国営航空当局者との、激しい?交渉は数日におよびました・・・。



結局。
国営航空は、1万円を返却してきました。

これが妥当な金額なのかどうか、よく分かりませんが、
あの外貨不足のソ連から外貨を奪い返したことで満足。

お金のない世界帝国ソ連から、1万円を勝ち取りました。
これは日露戦争に次ぐ大勝利でしょう?(笑)

あの当時の私を外務大臣にしておけば、
北方領土のひとつくらい、返ってきたかもしれません?(笑)


でも、
まさか、あの社会主義帝国が
数年後アッサリと崩壊してしまうとは、当時夢にも思いませんでした・・・


後日談その2。

帰国してから数週間後。
社会主義の一方の雄、あの中国でも大事件が勃発。

天安門事件です。

イメージ 2
私が北京で見た、あのデモ隊。
あのときは、中国政府はまだ、一応は民主主義国家らしいスタンスをとっていたのですが・・・
あれから、デモ隊はどんどん増えていったようです。
そういえば、モスクワのTVニュースでも見たなぁ・・・

あの天安門広場が戦車で埋まった映像は、衝撃、でした。


ふたつの社会主義超大国を結ぶ、北京モスクワ国際列車の旅、
世界情勢はあの時からスッカリ変わってしまいましたけど、
まだ走っているみたいです。

いちおう、世界の平和はまだ辛うじて保たれているみたいですね。

これにてオシマイ。
ご愛読感謝でゴザイマス。
スパスィーパ!
1989年5月3日。
モスクワに着いたその日の午後からお散歩開始!元気だね。

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モスクワと言えば、赤の広場
なんといっても、当時の世界を二分する共産主義勢力の象徴。
北京の天安門広場に比べると、周囲を建物に囲われ、少し狭いかも。
実際、どちらの方が広いのかなぁ?

長方形の広場は、クレムリンと国営百貨店に挟まれ、端っこにネギ坊主頭のロシア教会があります。
広場の一角にあるのが、レーニン廟。
あのレーニンの遺体が腐敗防止処理をされて永久保存されているところ。

廟の中に入って、お顔を見ることができます。これは無料ですよ。
レーニンさん、こんにちは。
さすがに写真撮影は禁止です。
遺体ですからねぇ。

イメージ 6
レーニン廟を守る衛兵の交替式。
すでに観光用みたいでした。

クレムリンは政治の中枢。昔の城跡なので、一応周囲を城壁で囲われています。
要人の車?が専用出入り口からひっきりなしに出入しています。
観光用入り口があって、中を観光できます。
モスクワ一番の観光地でしょう。外貨獲得に熱心ですね?

クレムリン宮殿の中は、
帝政ロシア時代の遺物が展示してあります。

イメージ 3
一番目立つのは、使わずの大砲という間抜けなもの。
立派なものを作ったら、重たすぎて動かせなかったとか?(だったと、思う)
こういう国民性だから、日露戦争で日本は勝てたのですね(笑)

イメージ 4
赤の広場に面したイスラム風のギリシャ正教教会も立派だけど、
クレムリンの中には、ギリシャ教会が林立しています。
どれも素晴らしい。

イメージ 5
もちろん、レーニンさんもいます。
この人は、モスクワのいたるところにいました。すごい人気者です?
(今はどうなっているのでしょうねぇ?)

赤の広場に面した国営百貨店。
ソ連最高の商業施設です。
百貨店ではなくて千貨店だ!とよく言われていました。
千くらいの商品は置いてあるだろう、という意味です。

実際、店内の商品は少なく、ものすごく古そうな掃除機や冷蔵庫が、立派なガラス張りのショーケースに展示されていました。
さすが社会主義です。物を大事にします(笑)

2日目(5月6日)は市内散歩。

地下鉄を乗り継いだり、歩いたり。
レーニン丘という観光名所を目指します。
モスクワ川のほとりにある、きれいな場所。

ついでに、
モスクワ川クルージングなんかも体験しました。

イメージ 8
モスクワには、スターリン様式の建物というのがいくつもあり、これも名物。
大きくて、優雅さを一切排除した、威圧感を与えるゴツゴツの異様な建物。
当時から世界の嫌われ者、スターリンの残した、超権力志向の遺産だそうです。

ところで、
街中を歩く人が少ないのです。
車が多くて排気ガスがひどいのです。
完全に車優先の都市。道路を横断するのは、ひと苦労。

イメージ 9
でも、公共交通は完備。トロリーバス、路面電車が縦横に走ります。
写真を撮っていると、運転士さんが手を振ってくれます。
女性運転士が多いのですよね。

KGBの建物。
恐いですね〜。
写真を撮ろうとしたら、ソ連人が追いかけてきて逃げ出しました。
どうやら、ヤミの両替商だったみたいですけど。

3日目(5月7日)も市内散歩。

内国博覧会。
国威発揚のための常設の産業展示会というところでしょうか。

イメージ 11
世界最強のソ連帝国の面目躍如の施設のハズ。
宇宙館が目玉。ソユーズとか展示してあります。

イメージ 12
交通館もちょっと面白い。
こんな貨物の模型を見て喜ぶのは私だけ?

その他は、実につまらなく、日本の地方博の方がまだマシではないかと思える内容。
これで国威発揚になるのかなぁ。
実際、ほとんど客がいませんでした。
実に社会主義らしい場所です。

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イメージ 13
ちなみに、地下鉄の駅は想像以上に立派でしたよ。
大深度に到達するための、長〜いエスカレータ。
2分ヘッドで運行される地下鉄。
スゴイスゴイ。

モスクワで最悪なのは、食糧事情。
朝食はホテルにて。これは含まれています。
もう、朝から食いだめ(笑)
昼食は買い食いで済ませますが、
夕食を食べられる町中のレストランみたいなものがないのです。
テイクアウト専門店は、長蛇の列。
これが、当時社会主義国家の名物だった「行列」ですね。
どんなに並んでも、窓口が増えることはありません。
おまけに、平気で窓口は休憩に入る。
でも、みんなちゃんとブーイングは言うのです。
ソ連人も同じ人間なんだと、少し安心(笑)

でも。
本場のロシア料理というものは、おかげで食べられませんでした(泣)
食堂車の中で食べた料理が唯一ですね。

ソ連人といえば、
国際列車の中で知り合った科学者さんが、
モスクワ滞在中に連絡をくれることになっていたのですが、残念ながら、実現せず。
先方も里帰りで忙しいのでしょうね。残念。
市内見物もやや飽きてきて、ちょっと出会いを求めていたのですが。

海外旅行の一人旅は、これを最後にしようかなぁと、ちょっとシンミリ。

モスクワは新しい町並みなので、北京のような汚い面白さには欠けます(笑)。
ガイドブックを見て行きたいと思った箇所は行き尽しました。
3泊4日は、少しもったいないかな・・・。


モスクワに着いて3日目。
散歩からホテルにもどると、事件の予兆が!

次回は、悲劇のモスクワ脱出編です。

開く トラックバック(1)

1989年4月27日から始まった北京モスクワ国際列車の旅。
先月の日本一周寝台列車の旅のおかげで、少し間が開いてしまいましたが、記事再開です。
ということで、これまでの旅をざっとオサライ。

北京で2泊過ごし、名物の壁なし公衆トイレを堪能。
その後、北京駅を出発した世界最長国際列車で車中6泊7日という伝説に挑戦。

列車は、満州、中ソ国境、シベリアを通り抜け、無事にモスクワ駅に着きました。
車中、現地通貨の持ち合わせがなく(泣)、ポーランド人商人やロシア人科学者に助けられての、珍道中でした。

イメージ 1
せっかくなので、
ここでソ連鉄道に関するウンチク話。

ソ連の鉄道の駅名というのは、その駅から発着する主要都市の名前をつけるそうです。
だから、モスクワには方面別にたくさんの駅があるのですが、モスクワ駅はありません。
(当時のガイドブックには必ず書いてあった小話)。

日本で言えば、
東京駅は「川崎」駅(あえて、横浜とは言わない、笑)。
新宿駅は「立川」駅。
上野駅は「川口」駅。
という感じでしょうか?

でも、このネーミングの方法では、二方向に分岐する駅はどうするの?
だいたい、中間駅はどちら側の方向に向いて、駅名を決めるのかな?
あんまり実用的な方法ではないですね。さすが社会主義の超大国だ(笑)。

ウンチクその2
中ソ国際列車というのは、かなり歴史のあるエライ列車なのです。
中ソ国境紛争がおきた時でも、この列車だけは運休にならなかったとか。
両国の外交官をいつでも派遣できるように、この列車だけは走らせたのだとか。

いつも犬猿状態にあった社会主義両大国の仲をとりもつ、世界平和に貢献する列車なのです。

どんなに関係が悪化しても、この列車だけは走らせる、という暗黙の了解があったようです。
両国間を結ぶ国際列車が走る限り、最悪の事態にはならず、世界は安泰です。
こんなに重要な列車が、世界の他に存在するでしょうか?

でも、ホントかな?
そんなにエライ列車に乗って、私は特使としてモスクワまで行ったのかしら?
ソ連が崩壊してしまった今となっては、全ては謎です。

−−−−−

イメージ 2

イメージ 3

1989年5月5日。
モスクワだけど、モスクワ駅ではない、なんとか駅に着きました。

どうでもいいけど、屋根はないし、車止めもチャチですねぇ。

さっそくホテルを目指します。
すぐに見つかりました。

ちなみに当時、一般外国人の旅行は制限されており、
ホテルは国営旅行社(インツーリスト)が決めたホテルに泊まらざるを得ません。
自分でホテルを探すなんていうことは不可。

セキュリティだけは厳重なホテルに宿泊。
一週間ぶりにシャワーを浴びて(笑)、
さて、モスクワの街にくりだしましょう!

緯度が高いおかげで、初夏のモスクワの街はなかなか暗くならないのです。
ここに3泊もしました。

次回、モスクワ観光編です。

−−−−−

今考えてみると、
モスクワは1泊にしておいて、
さらに鉄道に乗って東ドイツのベルリンまで行っておけばよかったなぁと、少し後悔。
まさかベルリンの壁が崩壊するとは、当時誰も思いませんでしたよね?
1989年5月4日。国際列車6日目の朝。
今日は晴天。シベリアの朝日がまぶしい。

イメージ 6
ひたすら、シベリアのいつまでたっても変わらない車窓を眺めます。

ソ連というのは、ユーラシア大陸の北部を占有する、アジアとヨーロッパに跨る、でかい国です。
シベリア鉄道に乗ってずっと西に進むと、どこかでアジアからヨーロッパに出るわけです。
ちなみにシベリアというのは、ソ連のアジア側部分を総称するのかな?

この日の10:30頃。
このアジアとヨーロッパの境界を通過するというので、
外国人客は大騒ぎ。

何が境界になっているのでしょう?
地図の上ではウラル山脈というのが間にあるのですけど。

イメージ 3
たいした山もなく。
モニュメントがポツンとありました。
それだけ(笑)

でもヨーロッパ側に入ると、少しは人家が増えてきたみたいです。

シベリアは、白樺と平原の繰り返しだけでしたからねぇ。
意外と飽きない光景なんですけど(笑)

ここで車内の設備について解説。

イメージ 1

各車両には、給湯器がついています。
これはとても助かります。
ロシアンティーも日本茶も飲めます。
日本の寝台列車も、過剰な高級サービスよりも給湯器をつけて欲しいな!(ホンキ)

実は、北京から乗ってきた中国人グループもいるのですが、
彼らは、インスタントラーメンを弁当箱のようなものに入れて、
それにお湯を注いで、毎日食べていました。
朝、昼、晩ですよ。
さすがは中国人、ラーメン大好きなんだぁ(日本製みたいでしたけど、笑)
カップヌードルではなくて、
インスタントラーメンそのままというのが斬新でしょ。

食堂車もあります。
ソ連に入ると、料理は中華からロシア料理に変わります。

ボルシチとか食べてみました。安いけど、微妙。
ですがこの先、この食堂車が唯一、本場のロシア料理を食べることができる
レストランだったのです。
食べておいて、良かった。

シャワーの設備はありません。
7日間どうしたの!?
ウエットティシュで、体を拭いていました。
臭いかな?

でも心配ご無用。
ヨーロッパ人の体臭は、はるかに臭いのです。
こちらが気にすることはありません(笑)


この日。
北京駅で買ってきた秘蔵のコーラを開けました。
外国人が集まって、コーラパーティーです。
みなさん、文明の味に飢えていたみたい。好評です。

でも、この日の晩、ウォッカの回し飲みに誘われて、エライ目にあいました。
早々に退散。

最後の夕焼けを堪能・・・

−−−−

5月5日。
とうとう最後の朝がやってきました。

この日もソ連人の二人とロシアンティーを楽しみます。

イメージ 2
ソ連に入ってからは、
毎日が、
車窓を眺める、ソ連人と会話を楽しむ、の繰り返しでした。

二人とも科学者の卵らしいのですが、
何を研究しているのかは、最後までよく分かりませんでした。
日本人の研究かな?(笑)

街の中に入ります。

ああ、もうモスクワに着いちゃう。

6泊7日も乗っていたのに、何故か全く疲れても飽きてもいません。
もっと乗っていたいよう!


プレゼントを交換するという風習があったみたい。
私はソ連人の二人に文房具品をプレゼント。喜んでもらえたかな?

イメージ 4
モスクワ駅。12:15着。30分遅れでした。一週間も走って30分なら許容範囲?
意外とこじんまりとした駅でした。
シベリア方面への列車しか発着しない駅みたいですね。

イメージ 5
お世話になった車掌さんが、
サボ(行き先表示板)まで外して、サービスです。
ほんと、社会主義らしからぬサービスだなぁ(笑)
日本でやったら大変だよ。


国際列車の旅の後は、
モスクワ観光編に続きます!
今回の大旅行の最大のトラブルが待ち構えていました。
5月2日、国際列車4日目の朝。日本を出て既に7日目。

朝3時ですけど、もう明るい。
ようするに、ずっと西の果てのモスクワ時間なのです。
すでに時間の観念がなくなりつつあります(笑)

イメージ 2
でも、バイカル湖が見えてきました。
飛び起きます。

マタンさんとの、最後の朝食を楽しみました。

今日もおごってもらっちゃいました。
中国製フランスパンに豚肉を乗せる。
ただそれだけなんですけど、どうしてこんなに美味しいのでしょう。

イルクーツク駅に到着。
たぶん、シベリア鉄道で一番有名な都市でしょう。

マタンさんを含め、ポーランド人行商集団はここで降りました。
せめてもの恩返し。
彼の荷物を降ろすのを手伝います。
部屋から、商品が入ったダンボールが出るは、出るは、
コンパートメントの中で溢れていた商品は、
不良行商集団のものではなくて、彼のものだったのですね(笑)

ところで、北京から一緒だった不良ポーランド行商団体。
サイテーでした。
だって、男女で入ってきて、いきなりコンパメントの上段でアレを始めたり(本当ですよ)、
商談を始めるから、部屋から出ていけとほざいたり。
マタンさんも顔をしかめていました。

マタンさんがいなかったら、ポーランドは間違いなく私の一番キライな国になっていたでしょう(笑)

イメージ 1
本当は何歳だったのでしょう?
商売の成功を祈ってます。
サヨウナラ。
おかげで、ここまで飢えることなく、美味しい食事を楽しめました。


イルクーツクからは、
私のコンパートメントには地元のロシア人が複数乗り込んできました。
今度は大人しい連中ですが、
こちらをじっと見て黙っているだけで、どうも調子狂います。

イメージ 3
一方、
同じ車内のオーストラリアのお姉ちゃんグループと親しくなりました。

この他、ドイツ人、スイス人のグループもいます。

日本人代表は私一人です。孤軍奮闘?

これといって取り柄はないのですが、
私が持ってきたシベリアの地図は大人気。
みなさん、借りにきます。
やっぱり日本製の地図は優秀なのね。

どこかの駅?に停車中。
線路脇で地元のおばちゃんが屋台を出して、地元の食料を売っています。
乗客がどっと群がります。
イメージ 4 イメージ 5

外国人グループ(私も入ります、笑)は、買ってきた怪しい食材をお互いに取替えっこします。
資本主義国家の旅行客といえども、
社会主義国家では物々交換が基本でしょうか?


イメージ 6 イメージ 7
途中の駅にて。
地元のみなさん、意外と気楽に写真を撮らせてくれます。


車内で親しくなったのは、外国人だけではありません。
地元のソ連人。
ロシア人科学者の青年2人(ヒゥーダーとアレックス)と仲良くなりました。
彼らは北京で何か研究した帰り?らしいです。

特にヒューダーは話好きで、
ヒマさえあれば二人で話し込んでいました。
(二人とも英語がたどたどしいので、かえって通じる、笑)

でも、
ヨーロッパ人が集まってくると、もう語学力はついていけません。
とっても疎外感(泣)
政治の話とか、第二次世界大戦の話とか、みんな大好きみたい。
車掌まで話に加わってきて、政治の話に興奮しています。仕事しなさい(笑)

車窓の方ですが、
イルクーツクを過ぎると風景は一変。
何もない平原のなかを、ひたすら走ります。

車掌の勧めで、部屋を変わることになりました。
全く話をしない地元ロシア人の部屋から、
ヨーロッパ人グループと同室となりました。
今度のベッドは上段。
けっこう、眺めがいいです。

−−−−−

5月3日。国際列車5日目。

車窓は平原と白樺の樹の繰り返し。

途中、ぽつんぽつんと小さい街が点在します。
当時、ソ連政府は外国人が立ち寄れる都市を制限していました。
いわゆる秘密都市がシベリアにたくさんあったわけですね。

どこが秘密だか分からぬまま、列車は西へ。
雨が降ってきました。けっこう激しい。

14:40。ノボシビルスクに到着。
たぶん、シベリア最大の都市ではないでしょうか。

同室のヨーロッパ人(男女3人)にはどうも馴染めず、
同じ車両のロシア人科学者二人と行動を共にしていました。

彼らが入れてくれる、ロシアンティーが最高です。
ティーバックの紅茶に、イチゴジャムを混ぜるだけなのですけど。

逆に、私が持参した味噌汁パックは彼らに大好評。
ここでも物々交換が盛んでした(笑)

そろそろ、国際列車の旅も終盤ですね。

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