|
1987年5月23日 SFC市内から空港へ、連絡バスで移動。 JAL便です。 日付変更線を越えて、5月24日に無事に帰国。 長い旅行でした。 日本を出たのは、5月10日でしたからねぇ。 学生みたい。 (もっとも、学生の時には海外旅行なんて、何故か考えもしませんでした) こんなに休んだのに、幸い会社は全く異常なし。 ゆるい職場で良かった(笑) あのセイコーです。 何故、わざわざアメリカでこれを買ったのか、 永遠の謎です(笑) でもね。 アナログなのに、目覚し機能がついているというスグレものです。 日本では売っていなかったのです。レアものでしょ? なんと、この腕時計は今でも毎日使っています! 初めての海外旅行でした。 個人旅行で、 メチャクチャな行程だったわりには、 結果的にはうまくいったみたいです。 それ以降、病み付きになってしまい、今に至ります(笑) 20年前のアノ時。 いろいろとお世話になった旅行会社の皆様、アリガトウございました。 行く先々で知り合った人々とは、その後もしばらく つたない英語の手紙のやり取りなどをしていたのですが、 いつしか疎遠になってしまいました(泣) 今だったら、メールが使えたのにね。 (メールでも、英語か?(やっぱり、泣)) すべて 20年前のことです。 資料は散逸してしまい、記事を書くのに大変苦労しました。 特に、大陸横断格安切符がいくらだったのか、 結局不明のままなのが一番残念です。 これにて、 20年前のアメリカ横断鉄道の旅、 おしまい! 完結!! ご愛読?感謝でゴザイマス。 おかげで大量の写真も、やっと整理とデジタル化(スキャン)ができました(笑) 初めは、写真のみ掲載で、簡単に4回くらいの記事で終わらせるつもりでしたが、 また、いつもの超大作ですね・・・ 今日、3つも続けて記事を書いてしまいました。
年内に書き終えられて、本当に良かったですぅ(笑) これで新年を無事に迎えられるぞ! |
1987■アメリカ大陸横断鉄道
[ リスト | 詳細 ]
|
1987年5月21日 飛行機で、あっという間にLAからサンフランシスコ(SFC)に着いてしまいました。 ここにも知り合いの旅行会社支店がありまして そこの方が、またしても出迎えてくれることに。 きゃでらっく わざわざ、そんな車を用意してくれたらしいのです(賓客用なのかな?)、 そういうものに、全く興味のない私には、ネコに小判ですね。にゃぁ。 車に乗っても、私が全く興味を示さないので、 「本番のキャデラックの乗り心地はいかが?」 なんて、声までかけてもらったのですが・・・。 なんと返事をしてヨイのやら ゴメンネ 電車の方が、好きなの(笑) 今回は、エコノミーなホテルを用意してもらいました。2泊。 翌日。 SFC市内観光。 ここは公共交通が発達していますので、個人旅行者には有難い街です。 LAとは、大違い。 ケーブルカーと言っても、見た目は路面電車と同じ。 何でわざわざ進行方向を変える必要があるのか、謎です。 制御装置なんて、両方向につければいいのに。 回転ショーも、サービスのうちなのかな? 有名なフィッシャーマンズワーフにも行ってみました。 まぁ、普通ですね。 ホテルのそばの小さな店で食べた、フィッシュ&チップスの方が、 安くて遥かに美味しかったです。 翌日は、市内交通乗り倒しの旅 バス、トロリー、地下鉄、高速鉄道(BART)などなど 感心したのは、 市が一元管理をしているので、 乗り換えても、初乗り運賃が不要ということ。 乗り換えも超スムーズでした♪ 東京も、こういう風にならないかなぁ それにしても、 LAとSFC 同じ西海岸なのに、 公共交通に対する意識が、全く違いました。 もちろん、私はSFC大好き! ところで、 旅も最終日。 なんか現金の手持ちが少なくなってきました。 当時は、まだクレジットカードでATMから簡単に現金を下ろせる時代ではありません。 はじめての海外旅行だったので、 トラベラーズチェックを用意していたのですが、 これが使えないんだなぁ(泣) ホントーにお金がなくなりました。 街から空港までのバス代だけは、なんとか確保。 残り、数ドルです(泣) アメリカはクレジットカード社会です。 でも、 残念ながら、 美味しそうな小さな屋台の店ではカードは使えません。 お店の前で泣きました。 クレジットカードがあるので、 普通の買い物には全く不自由しないのです。 屋台で食事は出来ませんが、 並みの料理店なら、カードで食事できます。 なんか、変だなぁ 一番困るのは、交通手段です。 カードは使えません(泣) ケーブルカーに乗る時、 「私は子供料金だ〜」 と言って車掌さんを困らせて、 運賃を値切ったのは、私です(ハズカシ) (私って、若く見えるんだぁ♪) 20年前の事とはいえ、 書いていて、超恥ずかしいですぅ さっさと、次回最終回へ続く!
|
|
20年前のアメリカ旅行。 まだ終わっていませんでした(笑) 1987年5月20日 NY→ワシントン→シカゴ→ラスベガス→ロサンゼルス(LA) アメリカ旅客鉄道(アムトラック)で大陸を横断して、ついに西海岸に到達しました。 我ながらスゴイな〜 LAに着くと、 旅行会社の知り合いが、LA現地支店に連絡していてくれたので、 わざわざ出迎えつきです。恐縮しちゃいます。 ホテルを用意してくれました。 安いところ、とオネガイしてあったのですが・・・ ボナベンチャーホテル 結構有名ですよね。 円筒形で、外付けエレベーターがある立派なホテル。 よく映画にも登場します。 少しは安く泊れたのかな? ここの部屋はスゴイのです。 外付けシースルーエレベータから、丸見え! 夜は、支店の人がスシ屋に連れて行ってくれました。 有名なカリフォルニア寿司を頂きました。 日本の寿司より美味しかった?(覚えていない(汗)) カリフォルニアワインも堪能。 昨日のラスベガスはホテルに泊らず、徹夜で遊んでおりましたので・・・ すし屋で爆睡してしまいました、ゴメンナサイ。 翌日 ふらりとLA市内観光。 市内ツアー参加を予定していたのですが・・・ 日本人ばかりなので、止めました(泣) 当時から、団体行動はイヤなんだな もっとも、LAといえば完全車社会。 大都会にもかかわらず、公共交通が全く存在しないことで有名でした(泣) それでもさがせばあるんです。 DASHという名前の、市内巡回バス。 1系統しかないのですが、観光には使えます。 もっとも、LA市内にたいした観光地があるわけではなく、 中国人街とリトルトーキョーを見学して終わり。 やっぱり、まともな公共交通のないチンケな街は、楽しくありません(泣) この街で、車のない人はどうやって生活しているんだろう? 絶対に住みたくないなぁ 次は最終目的地サンフランシスコです。 時間がないので、残念ながら飛行機で移動です。
|
|
1987年5月19日。 2日前にシカゴを出た列車は、昨夜、ソルトレイクシティで3分割されていました。 夜のことで、分割シーンは見ていないのです(残念) LA行きの列車は5両編成でした。 新しいディナーカーが連結されていました。 今度はラウンジカーとディナーカーが一緒のコンパクトなものですが、 サービスは何故かよくなりました(笑) 朝7:15、ラスベガス駅到着。 途中下車してみます。 ラスベガスといえば、カジノとグランドキャニオンです。 当時の「地球の歩き方」にスゴイ事が書いてありました。 『お金がなくても、ラスベガスに来たら、ちょっとはルーレットもしたい。 ここのホテルはどこも高級で値段が高いけど、カジノは24時間営業だ。 だったらホテルに泊らないで、カジノで一晩遊んでみよう! 宿泊費の分だけ、遊んじゃおう! ひょっとしたら、一攫千金?』 当時の純粋な私は、この記事を額面どおりに実行いたしました(笑) 今でもこんな事、書いてあるのかなぁ? しょって来た、でかいバックがコインロッカーに入りません。 当時流行の、バックパッカー(懐かしい言葉だ)用のものです。 旅行前に、神田の登山用品専門店で買いました。 駅で事情を話すと、 明日LA行きの列車に乗るのであれば、ということで 「チッキ」扱いにしてくれました。無料ですよん♪ チッキとは、手荷物扱いのことみたい。 荷物車両に乗せられます。 日本でもあったみたいですが、アメリカで初めて知りました(笑) 身軽になったので、活動開始。 まずは、グランドキャニオン遊覧飛行です。 何故か、以前からここに行きたかったのです。 決して安くないのに(笑) 小型飛行機による遊覧飛行ツアーに参加。 郊外の空港から一気にキャニオン空港まで。 往復、4人乗りのセスナです。 私以外に現地在住の日本人母娘が参加。 こうなると、機内は日本語ですね。 前方のコ・パイ席に座ることができました。 なんとかキャニオンに到着。 展望台から渓谷を見て、ランチ、みやげ物屋、 そして、キャニオンシアター? 高い金払って、セスナで苦労して、どうしてキャニオンで映画みなくちゃならないの? 日本のバカな観光地は、こういうのを真似しているのかしら・・・? ラスベガスにもどってきました。 セスナで知り合った母娘と行動を共にすることになってしまいました。 何処が気に入られたのか全く謎ですが(笑) 夕食をおごってもらい、 おまけにホテルのショーまで付き合わされました。 (このショー、いくらだったのか不明ですが、カジノホテルのショーは相当高いと思います。 でも、ツマラナイとかで途中で退席しちゃいました。モッタイナイ!(泣) 当然ながら英語のショーなので、何だか訳分からず、有難かったですけど・・・) 0時過ぎまで、この母娘に振り回されましたが、 この2人は当然ホテルに宿泊。 すると、 「この人が面白いところに連れてってくれるって!」 と一人のアメリカ男性を紹介され、 そこでサヨウナラ。 なんだ、この状況は? 彼は、ここのホテルの従業員。 仕事が終わったので帰宅するところだとか。 話をしていると、息統合? 数分で、「怪しいところ」に連れて行かれました。 よくアメリカ映画に出てくる、 カウンターの中で、お姉ちゃんがトップレスで踊っていて、 お客はそれを見ながら飲んで盛り上がる、というアレ。 さらに、お客が「お札」を挿んであげると、 目の前でサービスしてくれる? という、アレ(笑) 品行方正な私は、こんなの見るの初めてですぅ。 というか、TVそのままじゃないですか〜 アメリカの映画やTVは、本当のことだったんだぁ、と大変感動してしまいました(笑) こういうの、日本でもあるのかなぁ? 日米親善のため、 テキトーに遊ばさせていただき(見ていただけですよ(笑)) 朝方、彼の車で駅のそばのカジノまで送り届けてもらいました。 もう、翌日の朝です。 LA行きは7:30発です。 それまで、カジノで残った小銭でチマチマとルーレットをしながら時間を潰していました。 迷惑な客でしょうね(笑) ラスベガスに来て、 本当に、ホテルに泊らないで、 その分でカジノで遊んで一晩過ごしました。 「本」の通りじゃないですか!(笑) 今から冷静に考えてみると。カナリ危ないことをしていたみたいです。 20年後に、当時を振り返ってみると、ちょっと、おバカです。 ヨイ子は、真似してはイケマセン。 (あのベストセラーの本には、ラスベガスで泊らずに遊べと、まだ書いてあるのかなぁ?) ちなみにカジノの勝敗は・・・? 書くまでもないでしょう(泣) やっとここから鉄道の旅にもどります。 チッキ扱いにしていた荷物が、まだ駅にあったので、自分でもって行くことにしました。 やっぱり、この方が安心なので。 まるで砂漠のような絶景を走り抜けると、 大都会ロサンゼルスに到着です。 アメリカ大陸を鉄道で横断する野望、ここに達成!! 次は、ロサンゼルス編です。 おまけ:
キャニオン観光の欲求不満は・・・ それから15年後、 夫婦でグランドキャニオン散歩をして晴らしました。 今度は渓谷のかなり下まで歩いたんですよん♪ セスナなんかに乗らないで、ラスベガスからバスで来ました。 あれは時々墜落するそうです。あの時、墜ちなくてよかった(笑) |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
1987年のアメリカの旅。 いよいよ、アムトラックで2泊3日の鉄道旅行です。 すでに東海岸(ワシントン)からシカゴまで1泊2日乗っていますから、 大陸横断は都合3泊4日の旅ということですね♪ 5月18日。15:15. シカゴ発LA行きに乗ります。 夕食の食堂車で、またも一人のアメリカ人と知り合いになりました。 今度は、なんと、鉄道会社の労働組合の支部長さんだとか。 アメリカには、全州を網羅する旅客会社はアムトラックしかありませんが、 貨物鉄道会社はたくさんあるのです。 日米鉄道談義が弾んだはずなのですが、何の話をしたのか、全く覚えていません(笑) 支部長さんは寝台車両でしたので、寝台設備も見学させてもらいました。 ブルジョアなんですね〜(笑) 翌朝、 朝食も支部長さんとご一緒。 8:05、デンバーに着きました。 この後は、いよいよロッキー山脈越えです。 ソルトレイクシティ着。 なんと、ここで列車は3分割されます。 LA行き(ザ・デザート・ウィンド号) サンフランシスコ行き(ザ・カリフォルニア・ゼファー号) シアトル行き(ザ・パイオニア号) 乗る車両を間違えたら、とんでもないところに連れていかれてしまいます(笑) 日本とは、誤乗車のスケールも違います。 私はちゃんとLA行きに乗っていたみたいです。 また、車窓が暗くなってきました。 2日目の夜です。 再び食堂車。 今度は西独から来た大学教授のオバサンと親しくなりました。 この時の会話で覚えているのは、ただひとつ。 「もう少し英会話をちゃんと勉強しなさい」 はい。 分かりました〜(泣) 3日目の朝、7:15。 列車はラスベガス駅に到着。 いよいよギャンブラーの出番です? おまけ: 「世界の車窓から」という長寿テレビ番組があります。 今回は、アメリカ横断鉄道の旅編です。 ちょうど今、カリフォルニアゼファー号(シカゴ→サンフランシスコ)の旅です。 20年前、私はこれに乗って、同じように旅していました(行き先は違いますけどね) 懐かしいなぁ。
でも、アムトラックって、ちっとも変わっていませんね(笑) 興味がありましたら、是非どうぞ! |






