線路巡礼♪

本日をもちまして、線路巡礼のブログは廃線の仲間入りです。長い間ありがとうございました。LUN(2019年8月31日)

日本史世界史大好き

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急に歴史の記事を書いてみたくなりました。
私の好きな「エルサレムの和平」、フリードリヒ2世の話です。

今、世界中で起きているイヤな事件の大半は、
イスラム教VSキリスト教
に起因していると言っても過言ではアリマセン。
私を含め、大方の日本人は、
無宗教(というより「宗教を信じる」という概念がはじめから存在しない)なので、
エライ迷惑な話です。

そして、その宗教対立の原点、
いわば対立の「聖地」が、
あのエルサレムです。

両宗教間の戦争やテロは、大半がここに原因があるみたいです。
というか、ここを理由にしてしまうみたいです(泣)。

エルサレムの争い。
頭のイイ人々が、なんとか両者共存の方策を探ってきましたが、
結局、
何をやってもダメみたいです・・・


'''でも、'''
'''今から800年くらい前の中世の時代、'''
'''両者間の無血和平が成立。'''
'''聖地を仲良く共同で統治する時代があったのです。'''

それを実現したのが、
神聖ローマ帝国(いまのドイツ+αですね)のフリードリヒ2世と
イスラム側の王様、アルカミルです(アルカイダではありませんよ!)。

当時。
キリスト教の最高権力者「ローマ教皇」により、
聖地エルサレムを異教徒(イスラム教)から取り戻せ!ということで、
宗教を盾に十字軍が組織されました。、
西欧諸国のキリスト教国家は
イスラム教徒と無益な争いを強制されてきました。

十字軍は何度か組織され、
エルサレムで悲惨な戦争を繰り返しますが、
どうもうまくいきません。
結局、その後の「宗教対立の禍根」を大きくしただけ(泣)。
その「禍根」は、今でも世界の最大の禍根となっているわけです。

これが世界史の受験勉強でもお馴染みの「十字軍」のお話。


でも。
この十字軍騒動の最中、
ローマ教皇の意向を無視して、イスラム教の王と和平を結んだ王様がいました。
これがフリードリヒ2世です。
相手はイスラム側の王様、アルカミル。

フリードリヒ2世という王様は、
異教徒に対して大変寛容な考えを持っていたそうです。
生まれがシチリア島。
子供の時から、イスラム教徒の文化と接することが当たり前の環境で育ったためでしょうか。

一方のアルカミルも、話が分かる人物だったのでしょう。
両者間の長い話し合いの結果。
驚異の和平協定が結ばれました。

アルカミルは、当時、イスラム側が治めていたエルサレム市街を、
キリスト教国家が治めることを了承したのです。
市街にあるイスラムの聖地、岩のドーム、だけはそのままイスラムが統治。
但し、イスラムに敬意を払えば、キリスト教徒がそこに立ち入ることも許可されました。

キリスト教徒の聖地エルサレム奪還。
過去の十字軍がどうしても成し得なかった事を、
フリードリヒ2世は「話し合い」により、無血で実現したのです。

でも、これではアルカミル側の一方的な譲歩です。
彼にも、イスラム社会の中での立場があります。

ここで、フリードリヒは驚くべき条件を出しました。

もし、他のキリスト教国がイスラムを攻めた場合、
フリードリヒは、イスラムの側につき、これと闘う。
それが、たとえローマ教皇であっても。

双方の絶対的な信頼関係の上に成立した「和平」だったわけです。

当時の宗教をめぐる環境を考えれば、
現代以上に、
驚愕の英断だったでしょう。
二人の王様の「英知」と「決断」に、頭が下がります。


私はこの話が大好きです。
でも、お恥ずかしながら、この話を知ったのは最近です(笑)。
NHKの「文明の衝突」という番組で知りました。
(あんまり感動したので、即、DVDに録画)

残念ながら、世界史の教科書には載っていない話です。
受験世界史でも学びません。

でも、世界史そのものを学ばなかった人は、
たとえ、こんな話を後から知っても、何の感銘も受けないでしょう。
残念ですねぇ。


話には、さらに感動?の後日談があります。
和平が成立した後。
フリードリヒ2世は、キリスト教国国王として
初めてエルサレム市街に入ります。
そこでキリスト教の聖地を巡礼します。

そして、イスラムの聖地、岩のドームにも訪れたのです。

今でもそうですが、
イスラムにはアザーンと呼ばれる大音響のお祈りが付き物。
このお祈り、
イスラムの教えを守らないと殺さちゃうよ〜、
と言っているのですよね(笑)。

さすがに、キリスト教の王様に対して失礼です。
おまけに、フリードリヒ2世はアラビア語が理解できたのです。
彼がイスラムのドームを訪れた時、
イスラムの人々は、このアザーンを自主的にやめました。

でも、
彼はそれを良しとはしませんでした。
「私は、いつもと変わらぬイスラムの聖地を訪れたかっただけだ」と。

'''すると、いつものようにアザーンが鳴り響きだし、'''
'''キリスト教の王様はその中で静かに頭を下げたそうです。'''


なんか、出来すぎの話のような気もしますが(笑)、
世界史から学ぶ「人間の知恵」として、
もっと多くの人が知っていてもいいのではないかと思います。
「大河ドラマ」にしてください。
「世界文化遺産」に登録してください。
ダメ?


さらに、後日談。
この人類の英知を発揮した「奇跡の和平」ですが、
悲しいかな、それほど長続きはしませんでした。

フリードリヒ2世の英断は、
ローマ教皇の逆鱗に触れます。
異教徒と交わるもの、
として破門されてしまいます。
その後、彼は死ぬまで教皇と戦うことになります。

一方、アルカミル。
彼の英知も、残念ながら彼の周囲には受け入れられなかったみたいです。
彼の死後、王朝は崩壊。
新王朝は和平条約を継承しませんでした。

その後、800年、現代に至るまで、
当時の二人の王様のような英断を下せる人物は、
残念ながら、この世に現れていません(泣)。

ローマ教皇さんは数年前、
さすがに当時の十字軍は悪かった、
とやっと詫びを入れたそうです。
イスラムの人々は、どう思ったのかなぁ。

もっとも、フリードリヒ2世は、未だに破門されたままらしいですけど。


200年ほど前に、
シチリア島にあるフリードリヒ2世の墓が、
調査されたことがあるそうです。

墓の中には、
イスラムの法衣を身に纏った彼の姿がありました。
そして石棺には、
アルカミルを友と呼ぶ言葉が、アラビア語で書かれていたそうです。

感動しました。
ちょっと、シチリア島に行ってみたくなりました。
あそこには、ジェットコースターのような鉄道があるそうです・・・(笑)。

美しい線路に感動する私ですが、
美しい歴史にも感動してしまいます。

やっぱり、歴史は必須科目でしょ?(笑)

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鉄道好きには有名な話?ですが、川崎市を縦断する南武線には「武蔵」駅名が4つも続きます。
「武蔵小杉」「武蔵中原」「武蔵新城」そして「武蔵溝ノ口」。

川越線、武蔵野線、中央線にも「武蔵」駅はありますけど、こんなに続きません。
五日市線は頑張っていますけど、3連続です。残念でした(笑)。
そのくらい、川崎市民は「武蔵」にこだわりがあるんです。いじらしいでしょ?。
今日は、その「武蔵」の話。

今、旧東海道を江戸日本橋から京都三条まで散歩しています(まだ、小田原ですけど)。
ある日、横浜市戸塚の山の中で、「武相国境之木」に出会ってしまいました。
ここが、武蔵国と相模国の境なんです。
こんなところに両国の境があったのですね、恥ずかしながらここに来るまで全く知りませんでした。
ビックリ。感動しました。

武蔵国と相模国の境界が多摩川ではないことは知っていましたが、この低い「山」が境なのですね。

でも、それなのにどうして、「多摩川」が東京と神奈川の境になってしまったのでしょう?

私の、歴史好き、地理好きに火がついてしまいました。

昔は武蔵の国だった川崎市は、どうして東京都になれなかったの?


すごい疑問です。
私は神奈川県川崎市生まれの川崎育ち、結婚後10年ほど東京都に浮気していましたが、今は立派な川崎市民に更正しました。最寄駅は南武線の「武蔵」の駅。
でも、今までそんなこと、全く気にしていませんでした(笑)。
だいたい、地元の小学校でも全く教えてくれませんでした。
郷土愛がありませんねぇ。

今の都道府県の範囲(領土?)は、だいたいが江戸時代までの国を再編することで成立しています。
ほとんどが、1国1県(山梨県=甲州、他)、または複数の国を合わせたもの(岐阜県=美濃+飛騨、他)です。

でも、神奈川県は違うんです。
何故か、相模と武蔵(一部)をあわせて出来ているんです。

何故なんだろう。
どうして武蔵と相模をひとつの県(都かな)にしなかったのでしょう(東京都=武蔵+相模とか)。
どうして川崎市は東京都(=武蔵の国)になれなかったのでしょう。
なんで、川崎市だけ、切り捨てられちゃったの?
(実際には、横浜市の一部も武蔵の国です。川崎市と同様、切り捨てられています)


気になって仕方ないので、今日の会社の帰り、中原図書館に寄って調べてきました。
さすが川崎市立図書館です。
神奈川県の本はたくさんあります。
でも、県内各地の歴史とか、ペリー上陸の話とかばかりです。
一番肝心の、今の神奈川県の版図が、いつ、どのように決められたのか?、についてはほとんど触れられていません。
いつの間にか、神奈川県は生まれているんです(泣)。

それでも、少し分かったのは・・・

もともと、今の都道府県の基は、明治維新の版籍奉還にさかのぼります。
この時、日本中の諸大名の名藩が、そのまま県になりました。
武蔵の国は武蔵県(?)になりました。
相模の国がちょっと他と違ったのは、横浜(神奈川)という貿易上重要な場所があったことです。
ムリヤリ、横浜の周辺10里四方(40キロ四方)が、神奈川府というものになってしまいました。
どうやら、この時に川崎市と横浜市の一部は、この神奈川府に編入されてしまったようなんです。

この時の神奈川県は、未だ4つに分かれていました。
1.六浦県(金沢八景のあたり?)
2.神奈川府
3.小田原県
4.萩野山中県(伊勢原のあたり?)
その後1と2が合併して神奈川県、3と4が合併して足柄県となりました。
さらにこのふたつも合併して、神奈川県が誕生しました。

でも、この後大波乱がありました。
この時の神奈川県には、三多摩(府中周辺、八王子周辺、奥多摩)が含まれていました。
これがムリヤリ東京都に割譲されてしまったのです。
なんでも、東京の水道水(多摩川上流)を確保するためだったとか?
神奈川県はたいそう反対したそうですが・・・。


こうして、神奈川県は作られました(笑)。

ちょっと想像してみてください。
ひょっとしたら、23区と川崎市・横浜市をあわせたものが東京都、相模の国と三多摩をあわせたものが神奈川県になっていたかもしれません。
(そしたら、神奈川県ではなくて足柄県とか相模県でしょうか?)

もちろん、県の境界としては戸塚の山よりも多摩川の方が適しているから、多摩川を境として今の神奈川県が出来たのだ、という考えもあります。
でも、だとするとどうして相模の国は初めから多摩川を境としていなかったのでしょう?
多摩川は、昔から大きな川だったわけですし・・・。


今日調べられたのはここまで。
気になるので、もっと調べてみようかと思います。
ここまで分かれば、後はインターネットでも調べられそうです。
社会科好きなんですね、私は(笑)。

また、趣味が増えちゃいそうです。

−−−−

追加のひとこと。
別に神奈川県民であることが、嫌なわけではありません(笑)。
知りたいのは、歴史的経緯を全く無視?して、なんでいきなり武蔵の国から切り離されちゃったのかな?ということです。
決して、住民税が高いからではありません。たぶん(笑)。

−−−−

さらに追加。
インターネットで調べたら、イロイロ分かっちゃいました。
明治維新の時、諸外国との条約で神奈川(横浜)には多数の外国人が居留していました。
当時の政府にとって厄介者の彼らが、国内で行き来を認められたのが、その4里(20キロ)四方でした。江戸(東京)との境に、ちょうどいい具合に多摩川がありました・・・。
外国人の管理を主要業務とする神奈川府の範囲は、そんな風に決められてしまったみたいです。
要するに、川崎市は不良?外国人のために東京都になれなかったのですね(あわれ)。
外国の圧力で県の範囲が決められたなんて、なんか香港やマカオみたいですね〜。

こんな重要なこと、どうして学校で教えてくれないのでしょう?

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私は歴史も大好きです。
この間、国道15号線をブラブラ歩いていたら、銀座京橋にて警察博物館というものを偶然発見、無料ということで入ってみました。
入り口1階の白バイ展示や制服記念撮影コーナーを見て、あまり期待はしていなかったんですけど・・・。

2階、歴史フロア。なんと、川路大警視のコーナーがあります。
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で、主役の西郷や大久保より、活躍した?人物です。

川路大警視とは何者か。
明治維新のドサクサの時代。
薩摩藩の超下級武士の彼は、西郷隆盛に比べて実力はあっても人気のない、大久保利通に敢えて取り入り、大久保の命により警察組織を設立する、という汚れ仕事を引き受けることにより大出世した人物なのです。
警察というのは、江戸時代の十手持ちと同類項とされ、社会の地位は低かったと思います。
でも、その必要性に目をつけて、敢えて警察の創設を担当、汚れ仕事を買うことで新政府の中でのし上がりました。
現代人の出世話だったら、すごくイヤなヤツですが、歴史の話としては許せます(笑)。

大警視というのは、彼がついた警察組織最高の位だそうです。

西南戦争にて、彼の作った警察隊も地元薩摩の反乱軍のを殲滅に一役買いました。
地元を裏切ったわけですね。
ということで、鹿児島では今でも非常に、ある意味では大久保利通以上に評判の悪い男、とも聞きました。

本の中で、彼の生まれ故郷のバス停には、「大警視」という名前がつけられたとありました。
本当に、現在でもあるのでしょうか?ちょっと、行ってみたくなりました。

そして3階、殉職警官の階。
この博物館の本当の存在理由ではないでしょうか。
浅間山荘事件だけでなく、交通取締により殉職した警官の遺影が飾られます。
皆、偉いです。これが有名な殉職二階級特進というヤツなんですね。ちょっとシンミリ。

この中で、今回の訪問の白眉は、「二・二六事件、殉職5勇士」です。
ちょっと名称は違うかもしれません(2階3階は撮影禁止なんです、詳しく覚えていません)。

あの二・二六事件のとき、政府を守るために反乱軍と戦い殉職した警官のことです。
あの事件は、加害者側の理屈ばかり有名になりましたが、彼らと勇敢に戦った者もいたのです。
でも、今だってあの事件を美化している位ですから、当時は加害者を称える風潮ばかりで、殉職警官側は泣き寝入りだったのではないでしょうか。

でも、警察組織の中で、殉職警官を敢えて勇士として称えているのは、ちょっと以外でした。
というか、聞いたことありませんでした。
だって、「勇士」なんて言葉は戦争に功のあったものに贈られる言葉です。
それを警察内で敢えて使っていたのは、軍人の専横に対するせめてもの抵抗だったのでしょうか。

青年将校なんて、私は全く格好いいとは思いません。
映画なんかでも盛んに美化されていますけど、殉職5勇士の方が、私は好きです。
最近では、終戦間際に戦艦大和に乗って殉職するのには崇高な理由がある、という映画が流行っているそうです。
もう少し、ましな題材はないのかな。

殉職5勇士のことから、二・二六事件の少し前に大阪で起きたゴー・ストップ事件のことを思い出しました。
これも、非常に重要な事件なんですけど、歴史で習いません。何ででしょう。
二・二六事件や大和の話なんかより、よっぽどヒューマンドラマとして映画の題材に適していると思うのですが。

大警視の話と、殉職5勇士の話。国家権力を守るため日陰者扱いされがちな警察組織の、自虐的な歴史を象徴しているようで興味深いです。
でも、今回の警察博物館の話とは逸れましたので、別の機会に書いてみたいと思います。

ちなみに4階。厳粛な雰囲気はガラッと崩れました(モンタージュ写真ゲームコーナー?)。
感動が薄れないうちに、さっさと帰りました。

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