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1992年11月22日(土) 新宿〜青梅かち歩き大会 というのに参加してしまいました。 マラソンより長い43キロを、ただひたすら歩くだけ。 千人近く参加しているのではないでしょうか? 年に1回くらい開催されています。 毎年参加する人もいるらしい人気企画? 当時、 奥さんがホノルルマラソンに出たいというので、 その前に、そもそも歩けるのか試してみましょう、 ということだったのかな? 早朝の新宿西口の中央公園に集合。 8:30スタート 青梅街道をひたすら西へ。 はじめの10キロまでは列を組んで歩くのです。 その先は自由、勝手に歩け。 ここまでは快調。 列を組むのはうっとうしいから、ここから本番だ! 20キロまでは、 順調だったのですが・・・ そこを越えたら、 一気に疲れちゃいました(泣) もうツライです。 途中でリタイアも出来ます。 リタイアすると、救護車が運んでくれるの(笑) 何人も運ばれていきます。 おまけに、これは時間制限があるのです。 10時間以内にゴールしなければいけない。 もうひとつ変なルールがあります。 途中で飲まない、食わない、買い物しちゃイケナイ(?) もっとも、 みんな途中で飲んでましたけど(笑) 青梅街道を、 変なゼッケンを付けた人々がばらばらと歩いていきます。 沿道では、けっこう有名な風物詩らしいです。 途中のガソリンスタンドなんか、 かち歩きの方、トイレ使用お断り、なんて張り紙があるくらい(笑) トイレは途中のスーパーとかコンビに。 当然、買い物しますね? なんとか、 30キロ通過。 もうふらふらです。 足が棒・・・ ここを過ぎると、 もう何も喋らずに歩いていたみたい(泣) 制限時間も気になります。 落伍者が増えていきます。 40キロ通過。 もう暗いです。 涙です。 目が見えない。 何故か最後は奥さんの方が元気だったみたい。 青梅線をくぐって、 ゴールの体育館へ。 9時間ちょっとで歩けたみたい。 完走記念品?と、パンと牛乳が配給されます。 帰りの青梅線はツラカッタなぁ〜 −−−−− この時、まがりなりにも43キロを歩きとおしたことは、 その後の妙な自信につながります。 アチコチ歩きに行っても、 あの時の43キロに比べれば、なんでもないさ♪、という感じ。 でも、 この時よりも辛かったのが 2006年〜07年の旧東海道お散歩の旅! もっとも、この時も いざとなったら43キロくらい歩けるさ、という根拠のない自信で歩いていましたけど。 結局、肝心のマラソンというのは未だに参加せず・・・ あのかち歩き大会は、 今でも開催されているみたいです。 もうアレだけは絶対にイヤだ!と奥さんが申しておりますぅ(笑)
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1992あさかぜ+九州/他
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1992年12月23日。 奥さんと佐野までラーメンを食べに行きました。 何かを食べに行くことだけを目的に遠出するなんて、 これがはじめて。 佐野ラーメンの名店を調べて。 開店時間に間に合うように出発。 東武線です。 「とかの」という店。 開店時間に行っても誰もいません。 アレ? と思ったら、あっという間に満席に。 青竹で踏んで腰を強くしたラーメンらしいです。 と〜っても美味しかったです。 餃子も美味しかった なんで写真残していなかったのでしょう。 今回は「食べる」だけが目的。 だから3軒くらいラーメン屋をハシゴするつもりだったのに・・・ これだけでお腹一杯になってしまいました(笑) 当時はまだ大食いじゃなかったんだなぁ。 とっても有名な佐野厄除け大師に行って (意外と小さいのね) 佐野線に乗ったついでに佐野駅まで折り返して帰りましたとさ。 オシマイ −−−− ところで佐野ラーメン。 とても気に入ってしまいました。 これのお土産用の生麺が売っています。 「コルト45秒」 箱に回転式ピストルが大きく描かれ、 〜湯で時間は45秒、麺に凝だわるとこうなる、だからコルト45〜 くだらないネーミングに爆笑 でも、本当に美味しい。 当時は佐野駅、宇都宮駅、小山駅のキオスクで買えました。 この時も買いましたし、 その後も何度か買っています。 もちろん、湯で時間は45秒(笑) 今も扱っているのかな? 記事を書いていたら、久々に食べてみたくなりましたぁ (決してラーメン宣伝ブログではありませんので、悪しからず)
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1992年10月31日と翌日の話。 奥さんが、伊豆の伊勢エビまつりに行きたい!というので、 安く上げるために、伊豆半島の弓が浜にある民宿へ。 (ここも会社の協定民宿) 伊勢エビまつりというのは、宿泊して、お得な値段で伊勢エビを食べましょ、 という東伊豆半島のキャンペーン。 民宿でもOK。 伊豆の民宿、なんか料理が美味しそうでしょ? リゾート21に乗ってみるのも今回の目的。 これがデビューする前。 これが東急線でお披露目運転されたのに、 乗ったことあるんですよ(自慢、笑) だけど肝心の伊豆急で乗ったことはありませんでした。 東海道本線普通電車で熱海駅へ。 熱海駅から伊豆急下田駅でリゾート21。 もちろん、一番前の特等席ですよ。 下田から先に行くのは、実は初めて。 路線バスで石廊崎まで。 線路好きは線路の終端を目指します。 これと同じ理論で、 半島好き?も先端の岬を目指します。 石廊崎灯台の先が伊豆半島の先端でしょう。 これで伊豆半島制覇? (一周したことないからダメかな) 弓が浜にもどって、民宿泊。 ここの温泉は家庭の風呂と同じでした(泣) 料理は団扇海老というのを追加注文してみたけど。 TVの旅番組の民宿紹介だと、 このくらいの料理は基本料金で出てきますよね?(泣) 夜は近所で一晩中太鼓の練習?をしていて、 うるさくて眠れなかった!と奥さんも怒り。 翌日は、 近くのタライ岬遊歩道を歩いて。 またリゾート21で帰りました。 今度は横に座って海側が見えるシート オシマイ。 −−−− ところが。 後日、この民宿から電話がかかってきました。 追加の団扇海老の料金を請求し忘れました。 払ってください。 振り込み手数料はこちらで負担します。 バカやろー! あのサービスで、 ちっともお得感がない料金だったのに、 勝手にミスしたそんなもの 誰が払うか! と言いたいところですが、 ここは会社の協定民宿。 あとで問題になってもつまらないし・・・ 不愉快だけど仕方ないから、 支払ってやりました。 アホー 伊豆半島嫌いになりました(泣) 今の私だったら、
宿の勘定を済ませた段階で支払い義務は完了している、と言って 絶対に払わないでしょうね(怖いぞ?笑) |
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1992年5月3日。 普賢岳の麓にて 島原鉄道強行突破列車に乗車した興奮冷めやらぬまま、 フェリーに乗って 有明海を横断。 三角駅からJRで熊本駅へ。 もう17時でしたけど、 精力的に遊んじゃいます。 水前寺公園に行き、庭園鑑賞。 富士山があるんですよ。 5月4日。 ここからは九州横断定期観光バスにお世話になります。 観光バスと行っても、長距離路線バスみたいに利用できます。 私が乗ったのは「あそ1号」(JRの特急じゃありません、バスです、汗) 熊本駅前8:20→ 阿蘇西口で火山見学1時間→ 八本松(ドライブイン、昼食40分)→ 別府駅前15:20着。 他にもいろんなバリエーションがありました。 長崎発の設定もあるんですよ。 まさに九州横断バスですね。 熊本駅前を定刻出発。 豊肥本線に沿って走ります(乗ってあげなくてゴメンネ) 阿蘇駅付近から、阿蘇山火口に向かいます。 ここで観光用の時間があって、 しっかり火口まで行けます。 有毒ガスもなく、こんなに近くまでいけました。 大怪獣ラドンはいませんでした。 このあとが大渋滞。 やっぱりGWのバスはダメだね。 近くの内牧温泉地までわざわざ迂回しなくちゃイケナイし・・・ バスの乗客に、 このあと大分空港から飛行機に乗る予定の客が結構いて、焦っていました。 ちょっと無謀ですよ。 ウチはこの日は別府に宿泊だから、そんなに焦らなかったけど。 間に合わなかったみたいです。 どうしたんだろう? 別府の手前の「鉄輪」というバス停で下車。 渋滞で到着が遅れたので今日の別府観光はナシ。 海沿いの船員保険保養所に宿泊。 5月5日。 さて別府地獄巡りスタート。 地獄巡りパスポートみたいなのを売っています。 7つくらいの地獄の共通入場券。 だけど、くだらない地獄が含まれています(ワニとか、釜とか、泣) その地獄ギルドに加盟していないのが 「坊主地獄」 何故かこれに魅かれてしまい、 おまけにドロ温泉に入浴しちゃった♪ その後、メジャーな血の池、海地獄、竜巻を見て・・・ 最後は、 海岸に出て、 砂地獄! じゃなくて砂湯です。 別府にも砂湯があるのです。 市営みたいで、結構安い。 おもしろかったデスよん。 (別府には昨年2007年に寝台特急日本一周の旅で再訪しました、この時より寂れてましたね) JR特急にちりん号で別府駅から博多駅へ。 天神で屋台。 小さいギョーザが美味しい。 福岡空港からANAで帰りましたとさ。 長崎→雲仙→小浜温泉→島原→熊本→阿蘇→別府 これにてGWの九州横断の旅はオシマイ。 −−−−− あれ、 どうして大分空港から帰らなかったのでしょう? 博多の屋台に行きたかったから? 昔のことって、本当に覚えていませんねぇ・・・
早く記事にしなくちゃ。 老後にはとってオケナイ(笑) |
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1992年5月GW。 この時に九州横断に出かけた最大の理由は、 島原鉄道の火砕流強行突破列車に乗りに行くこと。 普賢岳が噴火したのは1990年11月。 火砕流のおかげで、翌年から島原外港駅〜深江駅は運休。 ところが、 その翌年1991年12月には復活したのです。 ちょっと変わった運転方式で。 火砕流強行突破列車(私が勝手につけた名前です、笑) 島原外港駅〜深江駅は6.4キロ。 途中に3つの駅がありました。 運転再開にあたり、 この区間を通る列車は、 全て通過扱いとする。 万が一、火砕流が発生した場合、 途中の駅に停まっていたら、 列車の出発が遅れ、巻き込まれて即アウト! この危険エリアは 一気に強行突破するしかない! 全速力で走れば、列車は火砕流より早いんだ!(かな?) 確かそんな事情だったと思います。 (以上は私のうろ覚えの記憶。後で調べてもワカランのです) 1992年5月3日。 路線バスで小浜温泉から再び雲仙温泉へ。 ここでバスを乗り換えて、一気に島原市街へ。 途中、水無川を通ります。 この川が火砕流の通り道。 この時は大人しくてよかった。 被災地は、そのまま保存してあるようにも見受けられましたけど? 島原市街に到着。 ここにはコンクリートの城があります。 ちょっと観光。 城内に自衛隊の普賢岳災害派遣隊の基地がありました。 まるで戦国自衛隊みたい。 この頃は災害対応も一段落。 装甲車に乗せてくれたりのファンサービス♪ なかなかいい城下町でした。 武家屋敷跡?には水路が残っていて、お決まりの鯉も泳いでいましたよ。 さて、 いよいよ島原鉄道で災害危険エリアへの旅に挑戦。 島鉄本社前駅から深江駅まで乗車します。 島原外港駅から先は、 通過! ホームが白いです。火山灰? 車窓右手の普賢岳からは、もくもくと噴煙が。 途中で停まったら、火砕流に巻き込まれてしまうかも!急げ急げ! 無事に深江駅に到着。 深江駅のホームからもすぐそばの農道からみた普賢岳。 再び列車でもどります。 もちろん強行突破運転です。 わざわざ危険エリアを往復したわけです(笑) その時に利用した復旧記念切符はいい記念になりました 島原外港駅にもどり、 ここで島原鉄道の旅はオシマイ。 ここからフェリーで熊本に渡りました。 九州横断完結編に続く! −−−−− さて。 その後の島原鉄道。 翌93年に噴火のため再び休止に追い込まれ 強行突破列車も終了。 この強行突破列車の運転は 日本の鉄道史上に残る素晴らしい英断だと思います。 冷静に考えてみると、よく許可されたなぁ。 この時の島原鉄道は立派ですね。 線路も立派だ。うんうん(笑) 些細な事故で無意味に運休する都会の鉄道に見習わせてやりたいです。 でも、 その後は醜態。 災害復興と称して、 バスで十分な路線に多額の税金を投入。 伝説の強行突破列車を生んだ栄光の線路なのに、 晩節を汚したなぁ(泣) 強行突破列車体験の話は、
島原鉄道南半分廃止の前に記事にしたかったのですが・・・ 間に合わなかったみたい(笑) |




