線路巡礼♪

本日をもちまして、線路巡礼のブログは廃線の仲間入りです。長い間ありがとうございました。LUN(2019年8月31日)

線路巡礼昔語学生時代

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1983年3月21日、小松島線小松島駅および小松島港駅を訪問。

中田駅7:56→小松島港駅8:01
小松島駅まで歩いてもどり(笑)、
小松島9:42→小松島港駅9:43
この一駅区間は、200mくらいでしょうか。
写真1:小松島駅から、フェリー桟橋施設がもう見えます。

小松島港駅というのは、小松島駅の一部と考えられていました。
起点の牟岐線中田駅から一駅1.9キロ、これは国鉄最短路線として有名でした。
その最短路線のわずか一つ目の小松島駅が終着駅で、そこの構内扱いで小松島港駅がありました。
なんだか良く分かりません(笑)?

小松島駅は見事にY字に分岐した駅(写真2)。
ここ止まりの列車は右側に、小松島港駅に行く列車は左側のホーム。
このY字の間に線路が広がり、海に向かってちょっとしたヤードを形成。客車が留置されていました。
当時は、ワムも草生したレールの上に放置されていました。
いい雰囲気(写真3)。

小松島駅左側ホームを出た列車が、ゆるゆると前進すると小松島港駅に到着。
ここにはちゃんと機周り線が健在でした(写真4、5)。
この駅の改札口のそばに、和歌山港行きのフェリー乗り場があります。
たぶん、青函連絡船や宇高連絡船の乗り場よりも、鉄道から船に乗り換えやすかったのではないでしょうか?
でも、せっかく便利でも、利用客は少なかったみたいです。皆バスで徳島に向かっていたようです。

この駅は竹輪の立ち売りが有名でした。もちろん、食べましたよ、美味しかった!。
本物の竹輪と言うのは、本当の竹に魚肉をまきつけたものだったのですね。
恥ずかしながら、この時初めて知りました。

当時、私は一生懸命入場券を買い集めていました。
小松島港駅の入場券は、小松島駅と同じでした・・・。
本当に、ひとつの駅の扱いだったんですね。
(ちなみに、返品するわけにもいかず、同じものが二枚となってしまいました。もったいないなぁ、竹輪一本は絶対に買えたと思います(笑))

私は酔狂にも小松島駅から小松島港駅までの一駅区間をわざわざ乗車しました。
もしこの区間の切符を買ったら、どうなったのでしょうか?
(私は四国ワイド周遊券利用だから分からなかったのですが・・・)
同じ駅構内の移動だから入場券でOK?
そもそも切符を発券していたのでしょうか?(普通、歩きます(笑))
今となっては謎のままです。

国鉄は、本当はこの路線を敢えて廃止したくはなかったみたいです。
一日10往復。小松島に客車区もありましたから。
こっそり、牟岐線の方を廃止にしたかったみたいです(笑)。

でも、やっぱり小松島線は廃止されてしまいました、残念。
便利なバスがありますから、誰も反対しなかったみたいです。
そもそもフェリー自体が、小松島港より直接徳島港に入港するようになってしまったみたいです。

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内子線はとっても不思議な路線でした。
1983年3月に巡礼しています。

まず終点の内子駅。(写真1〜4)
この線は予讃本線の新線として偉くなる運命にありました。
他の国鉄ローカル線が特定地方交通線として廃止のタイムリミットの中でもがいている中で、なんと幸運なのでしょう。
ですが終点内子駅は、山の上の新駅に200mくらい移転することになり、既存の内子駅はあわれ廃止の運命となりました(こういう場合、廃棄でしょうか?)
こじんまりとした、貨物の雰囲気も感じられる、とても良い駅だったのですが。
車止めの周囲の様子も最高です。

新線移行後、この駅と、線路切り替え部分からここに至る200mくらいの線路は、その後も残され、何かの映画の撮影に使われたとか、聞いたことがあります。
今でも駅と線路はそのままで残っているのでしょうか?
その後、新線の列車の車窓から、ちらりと旧内子駅舎が見えたような気がしたのですが。
線路までは分かりませんでした。
当時の駅舎から右奥の方に、すでに新駅が見えていました(写真3)。

内子線起点の五郎駅。これも不思議な駅です。
駅を出た線路は鉄橋を単線で渡り、その先で内子線(左)と予讃本線(右)に分岐していました(写真5)。
ところが、内子線が予讃本線の新線扱いとして偉くなるとき、運転の都合から、線路は五郎駅ではなく、伊予大洲駅にくっついてしまいました。
だから厳密には、五郎〜新谷(次の駅)間は廃止されてしまったわけです。
デルタ線として残しておいてくれたら面白かったと思うのですが・・・、残念。

ここで不思議なのは、何故、内子線はこんな線形だったのでしょうか。
どうしてはじめから直通できるように作らなかったのでしょうか。
内子駅はとりあえず街の中に作りたかったからとして、五郎駅の方は謎です。全く意味がありません。

五郎駅には失礼ですが、昔から伊予大洲駅の方がメジャーです。直通列車だってこちらから出ています。
ちなみに、五郎駅というのは、野口五郎という古い歌手のファンに、たいそう人気がありました。
(太多線の広見駅(現・可児駅)も郷ひろみのファンに人気がありました、どうでもいいおまけ情報です(笑))

既設の軽便鉄道をそのまま国有化(内子線)してしまった、だけど赤字で困っていました。
それを予讃本線の新線に流用しようと考えた。
でも、起点と終点はそのままでは線路の具合が悪い(向きが逆)ので工事しました、というのが真相のようです。

今の時刻表の路線図を見ると、内子線区間だけわざわざ色が違います、地方交通線扱いのまま。
いきあたりばったりの不思議なこの線路の歴史を良く表しています(笑)

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1983年3月、牟岐線の終点、海部駅に来ました。
徳島県の東海岸をトコトコと走る路線も、当時は高知県に入る少し前のここで終着。
でも、この時すでに延長工事は行われており、海部駅の先の山にはポッカリとトンネルがあいていました。
折り返しの時間が1時間ありました。
私はこっそり線路に降りて、コンクリート製の車止めをよじ登り、このトンネルに進入、かなり先の方まで歩いてしまいました。。
懐中電灯も持たずに真っ暗な中を、楽しくお散歩してました(笑)。

国鉄解体も叫ばれていた当時、新線工事は全て中止、このトンネルの先の工事も当然中断されていました。
ここに来るまでの牟岐線ですらガラガラでした。将来、このトンネルに列車が走ることはまずないだろうな、と思いました。

ところが、このトンネルが開通したんです。正直、びっくり。
第三セクターなんてうまくいかないことはすでに分かっていたのに、それでも調子に乗って開業させちゃいました。恐るべし、地方のエゴ(笑)。

そして、予想に反してではなく、当たり前のように大赤字。
そして、さらに恐ろしいことに、早くも廃止がささやかれているのです(笑えない、大泣き)。
いい加減にしてよ・・・。

まぁ、鉄道好きの私はその新線区間も乗りましたけど(2003年、丁度20年目のこと)、とっても複雑な思いでした。(かつて、自分が歩いたトンネルを列車で走る、というのは気持ちとしては楽しいはずなんですけどね)

気を取り直して、線路解説。
今回は、2003年に再度訪れたときの写真も合わせてご覧下さい。
当時(83年)はホーム1本線路1本でした。始めから少し高架の駅だったようです。おまけに無人駅。
新線開業時に、どうやら山側に新会社のホームと線路を新設したようです。
建物があったみたいですが、取り壊してホームにしたのかな?
あの時の車止めがなくなるなんて・・・、こうして比較してみると、理屈は抜きにやっぱり感無量です(笑)。(写真1と写真5を対比)

当時のこの駅の名物?として、駅の反対側(徳島方面)すぐのところに、トンネルみたいな小さな構造物があります。
確か、山にトンネル作ってたら、周りが削り取られてしまい、コンクリートだけが残ったとか。なんじゃこりゃ?
この不思議なトンネルは(あくまでも、トンネルだそうです)、20年後も健在でした、立派な(笑)機も生えています。(写真4と写真6を対比)

当時の巡礼と今回の巡礼の違いは、旅行に観光要素を増やしたこと。
今回は新しい終着駅の甲浦駅から、さらにバスで室戸岬見学、奈半利駅まで通りぬけています。
やっぱり、ただ列車に乗って折り返すだけじゃ、旅の記憶は残りませんよね。

もうひとつ、こうして手持ちの新旧の写真を見比べるのは、実は初めてです。
結構、いいものだなと自画自賛。
ブログを書かなかったら、こんなこともしなかったかもしれません。

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1983年3月、ついに四国上陸です。
そして、これが学生時代最後の線路巡礼になりました。

3月19日(夜行)〜3月24日(夜行帰り)
18切符で名古屋まで行って、そこで四国ワイド周遊券を買うという頭脳プレーをしてみました。少しは安くなったはずです(笑)。
宿はいつものように夜行列車普通座席。
予讃本線夜行急行伊予1泊、土讃本線夜行快速2泊、いつもの常宿の大垣行き2泊です。

四国の国鉄は意外と要領よく全線乗車できました。
初乗り路線:宇野線、宇高連絡船、予讃本線、内子線、高徳本線、小松島線、鳴門線、牟岐線、土讃本線、中村線、予土線、徳島本線
(線路巡礼ポイントは、別途記事にしていきます)

この時の国鉄路線で、現在までに完全になくなってしまったのは、結局小松島線だけみたいです。
線路的には、一番興味深い路線だったんですけど。
それと、内子線はこの当時は五郎駅起点だったのが、今ではえらくなって予讃本線の新線扱いとなり、線路も伊予大洲駅にくっついてしまいました。

この時の巡礼で線路以外でよく覚えているのは、小松島港駅で食べた名物の竹輪が安くて美味しかったこと。
それと非常に不愉快な思い出として、混んでる夜行列車で馬鹿な鉄道マニア共がカメラ機材を座席に放置、席取りで一般客の顰蹙を買いケンカ沙汰になったことでしょうか。
もともと一人旅ですが、それでも以前は鉄道好きのお仲間と思しき人と情報交換もしたのですが、その事件以来、同好の士と旅先で交わる?ことはキッパリとなくなってしまいました。
ちょっと悲しいけど、あの連中と同類と思われるのはもっとつらいので・・・
鉄道マニアが世間から白い目で見られるのが、なんか理解できてしまい、やや自虐的になったかもしれません。
もっとも、それでも鉄道好き、線路好きは止まりませんでしたけど(笑)。

この時、全国の国鉄特定地方交通線は、転換に向けての協議のテーブルに着かざるを得ない状況に追い込まれつつあり、さらに赤字と労使問題で腐敗した国鉄そのものをなんんとかしろ、という世論が沸き起ころうとしていました。
まだ、誰も国鉄が本当に解体されてしまうとは思っていなかったと思います・・・。

これにて巡礼の歴史、学生編終了。
最後は線路巡礼にふさわしく「四国国鉄巡礼」でした。
次回からは会社編です(あんまりかわらないと思いますけど(笑))。

(2012.1追記)
このときの四国ワイド周遊券アップしました。
いま気がついたのですが、これには大阪・神戸−高松のフェリー券も付いていたのですね。
知ろませんでした(汗)

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1983年3月15日。
18切符が手元にあり、飯田線巡礼に出かけました。
飯田線はこれが初めてでした。
このあと現在に至るまで、何回となくお世話になっています(笑)。

上諏訪9:53→豊橋16:38

私が乗った飯田線は、なんと荷物電車付きでした(写真を見て改めて気づきました)、渋い色ですねぇ。
もう、こんな荷物列車はどこにも走っていません。
でも、飯田線は現在でも車両の一部をカーテンで仕切って、荷物を運んでいます。
貨物列車はなくなってしまったみたいですけど、荷物運搬はいつまでも続いてほしいものです。

終着の豊橋駅。
この駅が、というより豊橋〜小坂井間を国鉄と名鉄が線路を共用している、という事実を知ったのはいつでしょうか?すっごく新鮮で驚きでした。
飯田線は本数少ないから良しとして、名鉄はどうやって運行管理しているんだろう?
鉄道好きなら誰もが一度は疑問に思うことではないでしょうか。
豊橋〜名古屋〜岐阜で熾烈な競争を繰り広げる両社の線路が、肝心の豊橋駅のところで「共用」なんて、ちょっと滑稽です。
普通に考えれば、独立している東海道本線の方が圧倒的に有利なような気がするんですけど、そうでもないんですよね。

その豊橋駅。当時の写真にもパノラマカーが写っていました。
駅の雰囲気は当時も今もあんまり変わっていないような気がします。
(実際、駅の構造はあまり変わっていないみたいです。二俣線ホームを使用しなくなったくらい?)
変わったのは飯田線の車両、でも、名鉄パノラマカーは不滅のようです。
こんなに昔から走っていたのですね、エライなぁ。


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