線路巡礼♪

本日をもちまして、線路巡礼のブログは廃線の仲間入りです。長い間ありがとうございました。LUN(2019年8月31日)

線路巡礼昔語学生時代

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角館線の終点、松葉駅。
1981年7月21日、第2次北海道旅行の行きの途中で立ち寄りました。
当時1日3本の運転。
角館駅6:26→松葉駅6:56、短い距離で、何も覚えていません(笑)。
松葉駅折り返しは7:00発。
わずか4分しか停車時間では、悲しすぎます。乗った気がしません。
駅舎らしいものもなく、無人駅でした。
列車の座席に荷物を残して、急いでレールの終点を見に行きます。車止めまでも結構距離はありました。車止めから松葉駅ホームと列車が遠くに見えます。(写真2)

その本線?レールに平行して、松葉駅列車ホームの反対側からレールが伸びていきます。
これが建設中(当時は工事凍結だったかも)の阿仁合線比立内駅まで続く新線レールです。工事用車両が停まっていました。
不思議なことに、本線と新線はレールはつながっていませんでした。

新線レールは、どこまでも延びていきます。
このレールの先まで見ずに、とても帰れません。列車の発車時間は迫ります。

なにを思ったのか、この新線レールの上を走り出してしまいました。
7:00発じゃなくて、7:04発と、自分で勝手に解釈したのか、今となっては良く分からないのですが、トンネルの手前まで走ってしまいました。

駅に急いでもどりました。
本当に勘違いしていたようで、まだ列車はいると思っていたのです。

列車の影もありませんでした。おバカさん。
北海道旅行用のバックがそのまま列車の中です!

角館駅に電話して、到着した列車から降ろして、駅で預かってもらいました。
さらに幸いなことに、バス便がありました。

8:10発のバスで角館駅9:00着。
9:12発の大曲駅行きに間に合いました。
国鉄さん、おバカな旅行者のために、ありがとう。

このミスで、その後の予定がどう狂ったのか覚えていませんが、松葉駅の思い出は、しっかりと脳裏に焼きつきました(笑)。

その後、角館線は目出度く、秋田内陸縦貫鉄道として生まれ変わり、阿仁合線と直通するようになりました。
二度ほど通して乗りました。今年も行ったんですよ。
桜を求めて、角館駅から弘前駅までの直通列車、最高でした。

でも、残念ながら、松葉駅はなんでもない中間駅になってしまいました。
私が時刻表を無視して走ったレールは、いったいどこまでだったのか、何度乗っても思い出せません(笑)。

<線路巡礼格付け>
巡礼当時:地元教育委員会推薦レベル(未成線のレールは興味深いけど、線路が単純すぎます)
現在:ただの中間駅。

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線路巡礼:雄武駅。
1980年8月3日に訪れました。北海道は初めて。
当時、私は旅行にカメラを持って行きませんでした(大泣き)
線路図?で我慢して下さい(笑)

北見枝幸駅から宗谷バスで未成線の旅をして雄武駅に到着。
当時は、この区間の連絡バスは鉄道好きには有名でした。
列車の待ち時間の都合で、雄武駅をじっくりと観察できました。

雄武駅の線路の先にはトンネルがあります。
トンネルは意外と短く、時間があったので向こう側まで探検しています。
(柵があって中には入れなかった)
トンネルの向こう側に立つと、路盤が遥か北見枝幸方面まで路盤が続いていました・・・。

ところで、そのトンネル前まで至る線路は、転車台からさらに延びたレールだったのでしょうか?
(記憶が空ろです)
それとは別に、道路を越えて貨物専用線が延びていました。
道路を越えると(確か、踏み切りなしで道路を越えてました)、レールは二つに別れていました。
でもそこはゴミ置き場と化していました。石油積み出し設備が悲しく残っていました(泣)。

当時、終着駅でレールばかり見ていたのは、たぶん私だけでしょう(笑)。

ところで、鉄道関係の本を見ると、写真の官製?の線路配線図を時々みかけます。
線路の様子が良く分かって、特に写真が残っていない昔の駅のものは大変重宝します。
これはなんというものなのでしょうか?
どこかでまとめて手に入るものなのでしょうか?
(ちなみに写真は、別冊歴史読本:国鉄・JR廃線4000キロという本からスキャナーしたものです。
残念ながら、どこから掲載したものかの記述はなし。)
(→これは自作のモノに差し替えました。)

この線路図の名前、入手方法、またはたくさん載っている本があったら教えてください。お願いします。

当時も今も、列車の写真よりも、線路に夢中な私です。
たぶん、ちょっと珍しい?と思います。

(追記)2009.5.1
線路図を自作のモノに差し替えました。
あのゴミの山に向かう専用線の様子が伝わるでしょうか?(笑)

1981年にも興浜南線を再訪しています。この時はカメラを持ってきたのにフィルム破損(泣)
その時は、宗谷バスが高いので再度はバスに乗りませんでした。

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線路巡礼:高砂駅。
おめでたい名前の駅です。
1982年4月25日、加古川線の3支線に乗った後、高砂線に乗りました。
高砂線は貨物輸送が活発で、私が訪れたときも貨物列車がいました。いい感じ。

1枚目:ホームにて。加古川駅方面を見ます。
2枚目:高砂駅とヤード。終端側から。
3枚目:加古川駅方面の踏切から駅を撮影。

駅のホームは、ちょいと広いヤードの左端に、おまけのようにありました。
高砂駅から線路が高砂港貨物駅まで、さらに1キロくらい延びていたそうです。

そうです、というのは、残念ながら、線路の終点まで行っていないのです。
何故歩いて行かなかったのか、今でも後悔しています。

乗ってきた列車で折り返してしまいました。
高砂駅でそこそこ時間はあったのですが、
高砂駅から港とは反対側に国鉄高砂工場というのがあり、
そこにつながる工場線を見に行ってしまいました。(ここは何故か写真を残していません、泣)

もうひとつ、高砂線でさらに後悔しているのは、途中の野口駅で別府鉄道の気動車を見かけたのに、それに乗らなかったことです。これは私の鉄道人生の三大後悔のひとつだと思っています。(後の二つは考え中、何だろう?)

後悔しないように、楽しい鉄道人生を歩みたいと思っております。

ところで、三大後悔の残りのひとつは、
地元南武線の貨物駅の写真を残していないことです。
川崎駅、鹿島田駅、武蔵溝ノ口駅、津田山駅、登戸駅、稲城長沼駅、西国立駅。
どれも魅力的な貨物線がありました。
いつでも写真を撮れると思っていたら、消滅してしまいました・・・。
もし、これらの駅の貨物線の写真があるHP、ブログがあったら教えてください。お願いします。

残りひとつは・・・、本当に、何だろう?(笑)


(2012年2月。写真を追加)
古い記事は写真をWiki文法が使えなくて(汗)
でも。すでにたくさんコメントいただいているので
別途リニューアルするのは遠慮しておきました(笑)

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1982年4月下旬に訪れた、若桜線の終点、若桜駅です。

終着駅ホームから、レールがさらに延びて車止め、という好きなパターンです。

貨物ホームもあったら最高なんですけど、既に貨物取り扱いはなかったようです。

そのかわり、転車台に給水塔という、最高の構築物が現存していました。

まだ、第3セクター化、なんていう話はなかったので、終着駅は余計なもの(レールバスの車庫とか)が新築されず、全くそのまま手付かずで、本当にいい風景でした。
今はこの風景も大きく変わってしまったのでしょうか?

当時は珍しくない、客車でした。
ということは、この車止めに向けて伸びるレールを使ってDLの機廻りがあったはずです。
なのに、記憶がありません。というより、そんな楽しいシーンは絶対に写真をとったはずです。
まさか、プッシュブル?

多分、当時凝っていた、入場券でも買いに、外に出ていたのでしょう。
今となっては、入場券なんて全く思い入れないんですけど。失敗しました。
駅舎の写真も撮影しそこねています。後悔後悔。

風の便りに聞くと、第3セクターに転換されても、元気にやっているようです。
機会があったら、もう一回くらい訪れてあげましょう。
駅の雰囲気が変わっていないと、うれしいんですけど、無理かな?
いまだに国鉄(JR)に乗り入れている、というのが良いですね。がんばって欲しいです。

ところで、この若桜駅はその名のとおり、桜の名所らしいんですけど、当時の写真にはなーんにも写っていません。とっくに散ったあとなのか、それとも、もともとないのか。
当時は、恥ずかしながら、桜の花に、たぶん全く興味ありませんでた。

今だったら、絶対に桜の時期を選んで訪れますね。年取ったのかなぁ(笑)。

≪線路巡礼ポイント格付け≫
当時:重要文化財確定レベル(終着駅に必要なものが全てそろっていました、あと貨物専用線があれば間違いなく国宝でしょう)
現在:?

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(この記事はリニューアルのため写真を削除してあります
 写真はそれぞれの巡礼記事をご覧ください。礼)


国鉄加古川線からは、3本の支線がひょいひょいと延びていました。
三木線、北条線、鍛冶屋線です。
クイズ:どの写真がどこの終着駅でしょう?

歴史で習った、七支刀という宝剣を、よく連想していました。
(三本しかありませんけど・・・)

何で、こんな形で路線が形成されたのか、よくは分かりませんが、赤字ローカル線廃止の波により、3本のうち2本は第三セクター化、1本は廃止されてしまいました。

当時も廃止路線選択の矛盾とされていたのですが、加古川線の野村駅〜谷川駅よりも、鍛冶屋線のうち、野村駅〜西脇駅(わずか一駅ですけど)の方が地元としては重要だったと聞きました。事実、西脇駅は沿線でも珍しいみどりの窓口配置駅でした。
だけど、線路名で廃止路線を厳しく選別する方針により、この一駅区間は泣く泣く鍛冶屋線とともに廃止されてしまいました・・・。

写真は、それぞれの終着駅です。83年に巡礼しました。
3支線の路線の途中の車窓風景は、どれも同じ(笑)としか覚えていません。
終着駅線路は、どれも味わいがありました。

あれからずいぶんたちます。第3セクター化された駅の構内線路は、たぶん不細工な列車検車区・倉庫に化けているのではないでしょうか?行っていないので分かりません。

3駅の中では、廃止になった鍛冶屋駅の線路風景が一番好きでした。
(蛇足ですが、徳島の鍛冶屋原線とよく間違えました。こちらは、当時すでに廃止でしたけど)

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