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1982年4月。 加古川駅を起点とする巡礼を済ませた後。 さらに西に向かって姫路駅へ。 線路巡礼:播但線飾磨港駅。 たくさんホームがあった姫路駅の中で 外れにあった小さなホーム。 姫路駅17:49→飾磨港駅18:00 列車は あの有名な姫路モノレール(すでに休止中)の橋脚の下を通って 工場の中を走っていきます。 あの鶴見線以上に、 工場の中!という感じ。 終点の飾磨港駅は 扇形に広がる貨物ヤードの中にありました。 これは 旅客ホームの終端。 こちらは 貨物線の終端。 飾磨「港」駅というくらいだから 海に近いのかと思いましたが。 見えませんでした。 (背後に見える建物の先が港だったみたい。汗) 折り返しに乗ったので、 わずか7分間の滞在時間(泣) 駅員さんに聞いたら お客はみんな、併走する山陽電鉄のほうに流れて行くそうです。 そうでしょうねぇ なにしろ、 一日2往復だけの路線ですから(爆) (朝と夕方に1往復ずつのみ。それでも清水港線の2倍も本数がある?) この線路は 貨物輸送のために存在するのですが。 線路好きのために?奇跡的に旅客列車も動かしてくれるのです(爆) 感謝感謝。 折り返しで 姫路駅に戻ってきました。 (今考えてみると。山陽電鉄で戻れるのだから、 飾磨港駅の線路をもっと見学しておけばよかったかも?) ちなみに 乗客は往復ともその筋の人だけでした。。。 さて、 この路線は 播但線(姫路駅〜和田山駅)の支線でした。 通称・飾磨港線。 というか、 播但線の起点が、この飾磨港駅だったみたい。 (飾磨港駅に路線紹介のパンフレットが置いてありました。 それに書いてあったから間違いない、笑) もっとも 播但線(本線)との直通は全くなし。 (昔々は貨物列車が直通運転していたらしいですけど) あの駅で 入場券を売っていたのが驚き。 そもそも切符売り場があったのも驚き(笑) でも。 頼みの貨物輸送は近日中に廃止ということでした。 廃止ローカル線の候補にも入っていなかったので(何しろ播但線でしたから)、 旅客営業はひっそりと終わったらしいです。 巡礼しておいて本当によかった。 そして
そんな奇特な線路は もう残っていません(泣) |
線路巡礼昔語学生時代
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線路巡礼:加古川駅 1982年4月、 加古川線の3支線を巡礼して 加古川駅に戻って来ました。 ちなみに、 このときは野村駅〜谷川駅は巡礼していません(汗) 何年か後に、やっと巡礼。 加古川線という名前のおかげで廃止対象じゃないから 先送りしたわけですね(笑) 地上駅だった頃の加古川駅。 山陽本線ホームから少し離れて 山側に加古川線と高砂線のホームがちょこんとありました。 共用だったのかな? 加古川線と高砂線の直通列車はなかったみたいですけど。 高砂線の線路は 大阪方で山陽本線を跨いでいました。 (記憶が薄いけど、汗) 山陽本線と 加古川線・高砂線が交わる 美しい線路の十字路。 (写真を残さなかったのは痛恨の極みです。泣) なんとなく 東三条駅(信越本線・弥彦線)の線路配線に似た感じでしたね。 高砂線が廃止されたあと。 この駅は高架駅になりました。 加古川線も無理やり高架に。 当時の面影まったくなし(泣) (写真は昨年の巡礼から。こんな近代的な線路は、ちょっとつまらない。) 加古川線と3支線巡礼の後は 当然に高砂線の話に続くのですが・・・ 高砂駅は すでに6年も前に記事にしてありました。 今回。さらに写真を追加しておきましたので、ぜひ見てね! http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/17892695.html ということで
次は同じようなローカル線に続きます。 飾磨港線! |
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1982年4月。 加古川線を三木線、北条線と巡礼して、 いよいよ、 線路巡礼:鍛冶屋線 野村駅12:36→鍛冶屋駅13:05 野村駅の次の西脇駅はとても大きな駅。 乗降客も多いです。 それに比べると 終点の鍛冶屋駅は の〜んびりとした感じ。 線路は これまたのんびりした感じで、 さらに先にのびていました。 線路終端。 どうしてグニャリと曲がっているのか不明ですが、 これがまた、そこはかとなく美しい(笑) それでいて 機周りの機能美も有しています。 日本有数の美しい線路終端と言っても過言ではありません(独断)。 この美しい線路には その後、理不尽な仕打ちが待っていました。 でも、 美しく散っていった線路の歴史は 今に語り継がれるのです。 分かる人には分かるのです(うんうん) 第○セクター屋さんには分からないでしょう(笑) −−−−− 当時、加古川線というのは、 そのほとんどが鍛冶屋線に直通していました。 加古川発、鍛冶屋行きが一日13往復。 西脇駅までは さらに11往復もありました。 逆に 加古川線谷川駅行き直通は1本しかありません。 加古川線の本来の「行き先」が 谷川駅じゃなくて 鍛冶屋駅(もしくは西脇駅)だったのは誰の目にも明らかだったのですが。 線路の戸籍が 鍛冶屋線だったというだけで。 廃止候補入り。 あっけなく廃止。 むしろ、 野村駅〜谷川駅を廃止して 鍛冶屋線を残すべきと多くの人が考えたでしょう。 たぶん国鉄(JR)の人もそう思ったのではないかな? でも。 地域エゴというのは 自分を犠牲にして他人を助けることはないのです(失笑) 廃止後。愚行に気づいて(?)、野村駅を西脇市駅という駅名に改名してもらいました。 (写真は昨年の加古川線巡礼の車窓から見た鍛冶屋線の廃線跡。 鍛冶屋線はまっすぐだったのですね・・・) 鍛冶屋線の線路。 廃止後もそのまま残しておけば。 ひょっとしたら西脇駅まで復活があったかもしれないのに (あの可部線の廃止区間復活話みたいにね) もっとも、
線路趣味的には谷川駅で福知山線に接続しているほうが、 いろいろと面白いのですけどね(笑) |
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1982年4月。 三木線の巡礼後は さらに加古川線を北上して、粟生駅に来ました。 ここから分岐するのが。 線路巡礼:国鉄北条線。 粟生駅10:03→北条町駅10:30 一日13往復も走っていたのです。うち2往復が加古川線直通。 終着の北条町駅 北条線廃止反対だそうです。 当時はアチコチで見ることが出来たキャッチコピー。 これまた いい感じの線路終端。 線路脇の倉庫群もステキ。 昔は貨物取り扱いが盛んだったのでしょうねぇ さらに 貨物ホームもありました。 このまま残しておきたい終着駅の線路です。 反対運動も虚しくあっさり廃止。 じゃなくて これまた第○セクター。 悪質なのは、 この美しい終着駅は徹底的に破壊され、 これまた恥の上塗りで得意のハコモノになったそうです(怒) −−−−− 昨年の加古川線巡礼の車窓から。 粟生駅。 左に曲がる非電化の線路が、旧国鉄北条線の線路。 残念ながら 加古川線とはつながっていません。 つながっていれば、 まだ多少は愛情が注げるのですが。残念。 せめて、 廃止になっても線路だけ残してくれないですかね(笑) 粟生駅には 神戸電鉄も乗り入れています。 こちらは別の機会に巡礼しました。 両線をつないで直通列車を走らせるという計画もあったらしいのです。 これが実現していたら面白かったのに。 線路的には(笑) (国鉄時代に線路をつなげてくれればよかったのに) 次は
私の好きな鍛冶屋線です。 |
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1982年4月。山陰巡礼の途中。 「はやたま」に乗って わざわざ紀勢本線経由でやってきたのは 加古川駅です。 ここから加古川線と、 その楽しい支線を一気に巡礼。 ということで第1回目は 線路巡礼:国鉄三木線。 加古川駅7:50→三木駅8:23 三木線というのは厄神駅から分岐するのですが。 当時の時刻表をチェックすると、 一日9往復のうち、8往復が加古川線からの直通列車でした。 こりゃ便利だ?(笑) 終着駅の三木駅。 なかなかいい感じの線路終端。 昔は貨物ホームもあったのですね。 これまたいい感じ。 厄神駅に戻ります。 これは駅の跨線橋から見た線路。 左に曲がるのが加古川線で、右にまっすぐなのが三木線です。 まるで三木線の方が本線みたいですね(笑) (この背後に見える山の形に注目) 線路はいい感じだけど、 超赤字ということで廃止対象に。 さようなら。 のハズだったのに。 お得意の第○セクターになったそうです。 そして。 なんか最近、この第○セクターは廃線になったそうです。ふ〜ん。 晩節を汚す(怒) そんな哀れな三木線ですが、 昨年、数十年ぶりに巡礼した加古川線の旅から。 厄神駅です。 あっとビックリ。 小さな電車区ができていました。 (三木線が健在の頃は非電化でした。背後に見える山の形が往時を忍ばせます) この電車区は 加古川線と、三木線跡の間の狭い場所に誕生しています。 つまり 第○セクターなんかなければ、 旧三木線の線路を活用して、 電車区の線路はもっと面白い配線になっていたかもしれません。残念。 (ひょっとしたら電車区用地を新たに取得しなくて済んだのかも?怒) ちなみに 加古川線「電車」の中の路線図。 厄神駅から細長く修正の「白ペンキ」が塗られていました。 わざわざ作り直す価値もなかった、ということですね(爆) ということで
次は北条線です。これも辛い。。。 |


