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線路巡礼:宮之城線。 1981年、第2次九州巡礼にて。 山野線の薩摩大口駅から乗りました。 これは終点側から乗ったことになるみたい。 マイナーな山野線から分岐する、 さらに超マイナーな路線。 でも。 薩摩大口駅の線路は良く覚えています。 マイナー路線通しの線路分岐。美しい。 薩摩大口駅11:40→川内駅13:38 ものすごくノンビリ走った記憶があります。 途中駅の停車時間が長くて、入場券をたくさん買ってしまう羽目に。 線路の写真を撮っておけば良かった(泣) 沿線最大の見せ場は 薩摩永野駅。 スイッチバック駅です。 たいした山越えでもなかったのに、 どうしてここがスイッチバック線路配線になったのかは、謎です。 乗客を飽きさせないため?(爆) (このスイッチバックの先端の線路終端の写真を残さなかったのは最大の汚点です。泣) 宮之城駅。 いちおう路線名になった駅です。 ちょっとは大きい駅だったのかな? (記憶がありません〜、汗) 川内駅に着く直前。 沿線の畑で枯れ草が燃える火事がありました。 煙の中を徐行運転しながら走った記憶が残っています。 だけど。 川内駅の様子は全く覚えていません。 ここで乗り換えて、西鹿児島駅に行くのですが、見学時間は十分にあったのに。 何していたんだろ? 宮之城線に乗ったのは、
これが最初で最後。 この線路もあっさりと廃止されました・・・ |
線路巡礼昔語学生時代
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線路巡礼:山野線。 1981年第2次九州巡礼にて。 これも終着駅がなくて、 おまけに写真を残していないので、 記憶が曖昧です(泣) でも。 記事を書き出したら、ものすごい想い出が蘇りましたよ! 西鹿児島駅5:36→山野駅8:08(栗野駅経由) 当時、こんなすごい直通列車があったのです。 山野線というくらいです。 途中駅の山野駅には、それなりの需要があるのでしょう。 区間運転列車があってもおかしくはありませんが・・・ 山野駅は無人駅でした。 アレ?中心駅じゃないの? この駅で、水俣行きの後続列車を待つつもり。 この時、とんだ勘違いを! いつものように、山野駅そばの線路を見学に。 荷物は停車中の列車の中に置いてきました。 後続の列車は、この駅で停車中の列車を増結するものと思っていたのです。 とんでもない。 停車中の列車は8:12発として、 栗野駅方面へ走り去ってしまいました。 私の荷物を乗せたまま・・・ ボーゼン。 焦りました〜 無人駅なんです。 連絡の取り様がない。 公衆電話もないし(もちろん携帯なんか生まれてない) この時。 ここに保線用の線路があることに気がつきました。 ひょっとしたら。 いました。 保線掛の人が偶然歩いていたんです! 事情を説明したら。 線路脇の鉄道電話(箱の中に入っているヤツ)を使って、 薩摩大口駅に連絡してくれました。 私の荷物は、そこで降ろしてもらって、 しかも水俣行き列車に載せてもらえることに。 ありがとうございますぅ〜(感涙) たぶん。 私が線路の保線掛さんと話をしたのはこれが初めてでしょう!(爆) これが歴史に残る山野駅事件です。 山野駅に次の水俣行き列車が到着。 運転士さんが、 あんた、荷物を忘れたLUNさんかね? はい。ごめんなさい〜。 私の荷物は、ちゃんとボックスシートを占拠していました(笑) 山野駅8:29→水俣駅9:23 途中の菱刈駅で入場券購入。 こんなモノでも乗ったという記念にはなりますね。 写真を残した方が100倍も貴重なんですけど(泣) 水俣駅に無事到着。 このあと、宮之城線にのるため、薩摩大口駅まで引き返しますが。 その待ち時間に 水俣駅を線路巡礼。 水俣と言えば チッソ。 駅の外れから、 チッソ工場まで専用線が出ていました。 この線路が工場に入っていくゲート。 ここの異様な雰囲気はまだ覚えています。 警戒厳重。 米軍基地線路よりスゴイ。 玄関前をブラブラするだけで警備員に睨まれちゃった。 ここも写真がないのが残念だなぁ。 工場線路の写真を撮ったら逮捕されたかも? でも、線路図なら大丈夫〜(笑) 山野線をチッソの貨物が走ったことがあるのかなぁ?(ムリヤリ結びつける) 山野線に乗ったのは、これが最初で最後。 県境にループ線があることも有名でしたが、ループ線路の記憶がありません(汗)。 その後、 あっけなく廃止されてしまいましたが。 山野駅事件とチッソ線路のおかげで巡礼の記憶が蘇りましたよ〜 あの時の保線掛さん。 ありがとうございました。 今はどこの線路を守っているのかなぁ? 線路脇にある鉄道電話の箱って、こういうときに使うのですね!(爆)
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線路巡礼:宮田線。 1981年8月。第2次九州巡礼にて。 筑豊線路コンプレックスのど真ん中にありました。 8月9日 直方駅13:44→筑前宮田駅13:58 筑豊路線網では、主要駅からの直通列車は当たり前。 この時。 わずか8分で勝野駅に引き返すことになってしまいましたが。 終着駅(筑前宮田駅)の線路の光景は忘れがたく。 その後、アチコチ巡礼して。 8月15日 私は宮田線筑前宮田駅に戻ってきました(エライぞ!爆)。 今度は、じっ〜くり線路を見させていただきます。 終着駅と炭鉱設備。 もう何も要りませんね。美しい。 まるでサービスのように。 ポツンとワムさんが残っていました。 宮田線の本当の終端。 終端部から駅構内を臨みます。 これだけ線路がちゃんと残っている炭鉱終着駅は本当に貴重でした。 宮田線。 とっても短い路線。 途中駅は磯光駅だけ。この駅からも炭鉱専用線が出ていました。 こっちも見に行けばよかったな。 旅客列車の運転本数は少なくなかったのですが、 意外とあっさり廃止されてしまいました。 当時の時刻表を見ると、 近くに宮田町という国鉄バス停がありました。 それに吸収されちゃったのでしょうか。 線路見たさに。 二度も巡礼してしまった美しい線路。 二度目は1時間半も、美しい線路をじっくりと堪能してしまいました♪ これくらいしないと。 あの複雑な筑豊線路群の中では印象が残らないですね(笑) |
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線路巡礼:香月線。 1981年。第2次九州線路巡礼にて。 中間駅。(ちゅうかん駅ではなくて、なかま駅) 筑豊本線折尾駅の次の駅。 ここから分岐していました。 短い赤字ローカル線。単線。 当時、この近辺にたくさんあった元石炭輸送線路なのですが。 実は、これがタイヘンなシロモノ。 当時の手書きの線路図をチェックして、 大変なことを思い出してしまいした。 話は折尾駅から始まります。 鹿児島本線貨物線は 折尾駅で曲がって筑豊本線に合流します。 この駅の南側で、鹿児島本線貨物線(複線)と筑豊本線(複線)が 合流していますが。 この当時。 なんと折尾駅から中間駅までは、 そのまま複々線だったのです。 (折尾駅の記事を書いた時は、すっかり忘れていました。ナサケナイ) 中間駅から先は、 まるで鹿児島本線貨物複線からつながるように、 香月線がのびていました。 (筑豊本線側は、この先はフツーの複線になります) つまり、 香月線のために、 折尾駅から中間駅まで貨物専用複線が必要だったわけですね。 これは凄い(笑)。 ということで。 前置きが長くなりましたが。 香月線です。 その終着駅の香月駅。 すでに貨物取扱いはありませんが。 線路がいい感じに残っていました。 終着駅の手前に 石炭ポットが残っていました。 そんなに大きくないサイズ。 時間があったので、もちろん見学。 いい光景でしょ? もし炭田の歴史を残すのなら。 この駅と構内をそのまま残すだけでいいのに。 くだらない博物館なんて笑止。 あの偉大な鹿児島本線貨物複線の真の終端は、 実は香月線の香月駅だったのです。 美しい線路の歴史がまたひとつ発掘されました。 忘れていただけ?(爆) 「香月」というと、
最近はラーメン屋か焼肉屋しか思いつかなかったのですが(殴)。 |
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線路巡礼:室木線 1981年8月、第2次九州巡礼にて。 鹿児島本線遠賀川駅から内陸部にのびるのが室木線。 遠賀川駅9:28→室木駅9:50 旧型客車でした。 当時はそれほど珍しくなかったけど。 室木駅で折り返しのためDEさんが機周りしています。 私は線路一筋で、 当時は、あまりこういうシーンは写していないのですが。 この駅の機周りは写しておいて良かったです。 タカラモノ。 機周り線がそのままのびて終端になりますが。 その先に、高架橋みたいなものがチラリと見えます。 線路の終端から室木駅を遠望。 この背後が先ほどの高架橋。 山陽新幹線なんです。 山陽新幹線の工事のとき、 室木線の線路を使って、貨物列車がここまで工事物資を運んだそうです。 なかなか美しい話です。 教科書に載せて欲しい美談です(笑) 旧型客車というのは、 一番後ろが特等席。 さらば。 室木駅の美しい線路ちゃん♪ ちなみに、 室木駅は入場券の扱いがありませんでした。 駅員さんはいたみたいなのにね? 代わりに、 車補(車内補充券)というのを買ったはずですが・・・ 室木線。 あっさりと廃止されてしまいました。 でも。山陽新幹線が開通できたのは室木線のオカゲなんだよ。
覚えておきましょう(笑) |





