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線路巡礼:岩内線。 1981年6月の第2次北海道線路巡礼にて。 岩内線の終点、岩内駅は模型のレイアウトのようにすばらしい駅でした。 小沢駅9:54→岩内駅10:17/12:03→小沢駅12:27 終着駅でたっぷり時間があり、駅前ラーメンを食べました。味は全く覚えていません。 こじんまりとしていながら配線は複雑で、しかも貨物が現役でした。 旅客ホームの先に貨物ホーム側があります。 到着した気動車はこの貨物ホーム側線に一旦引き上げられます。 貨物留置線の終端から見た駅の全景。 手前の線路に白い貨車(冷蔵車)が停まっています。 折り返しを待っている間に、 先ほどの貨物列車が出発! たぶん、私がラーメンを食べている間に、駅で貨車の編成作業が行われていたのだと思います。 この頃は線路に興味があっても、貨物列車が走るシーンにはそれほど執着しなかったみたいです。 今だったら、こんなモノ見たら大騒ぎですね(笑) 旅客駅・貨物駅の終端からみた駅。 これが岩内線の本当の終端。 どうして逆方向(車止めから先の風景)の写真を残さなかったのかなぁ?(大疑問) 考えてみると ローカル線の終端駅で偶然貨物列車を見かけるなんて、これが最初で最後だったかも・・・ とっても貴重な岩内線でした。 ちなみに岩内線の沿線は民家も多く、 ちょっと他のローカル線とは違いましたね。 (でも。残念ながら再訪の機会はありませんでした、泣) 当時のお約束の入場券。 |
線路巡礼昔語学生時代
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1981年。大学2年生でした。 時刻表の目次欄の小さな記事で初めて知ったのです。 石勝線が開通するにあたり、夕張線の支線である登川線が6月末で廃止になるとのこと。 これを知ったのは廃止の5日前。 とにかくあらゆり用事を片付けて、ほんとギリギリで夜行急行に駆け込みました。 これが第2次北海道線路巡礼。 登川線にたどり着いたのは、なんと運転最終日でした。 当時は廃止といってもマニアが大挙して押しかけるほどではなく、 地元の人と和気あいあいとしていました(今じゃ考えられないでしょうね)。 せかくだから二往復も乗ってしまいました♪ 片道所要14分です。 中間駅は楓駅の一駅だけ。 車窓から将来の石勝線への切替の工事区間が見え隠れします。 線路巡礼(鉄道旅行)にカメラを持参するようになったのはこれが初めて。 やっと宮脇俊三の呪縛から逃れられたわけですね。 カメラの扱いに不慣れで線路写真をどう撮っていいかわからなかったようで、 どうも駅全体の線路の雰囲気がわかるものがありません。 でも、線路はキチンと見て記憶していました(線路メモもばっちり残しています) 私の鉄道写真(現存する)のたぶん第1号です(子供の頃の数枚を除く)。 草むらのなかの車止めドアップ(これじゃ何処だかワカリマセンね、汗) この車止めまで行くのは実はタイヘンでした。 線路の終端を極めるためには何でもします(笑) 車止めから登川駅をみたところ。 登川線(地元ではこう呼ばれていたようです)のサヨナラ紅葉マーク。 (以前「おびとけさん」からコメントがありましたが、夏なのに紅葉です、笑) 素晴らしい駅舎とキレイなルピナス。一緒に映って満足のLUNさんです。 この時は、本当に苦労して駆けつけたので、 記念写真をたくさん残してしまったみたいですね(笑) 本当にノンビリした最終運転でした。 線路もちゃんと記録できたし。 万難を排して来た甲斐がありました(行ってよかった) 写真を撮っても、線路図はちゃんと残します(当時の私はエライなぁ) −−−− 石勝線開業後。 紅葉山駅は新夕張駅と名前を変えて、 場所も少し移動して立派になりました(旧駅の跡はいつまでもそのままですね)。 楓駅は名前を残して新駅に移りましたが、話題を提供しただけで結局廃止。 世俗から取り残されて静かに廃止された登川駅は、きっとルピナスだらけでしょう。ね?(笑)
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線路巡礼:松前線。江差線。 1980年第1次北海道線路巡礼にて。 そーです。だから写真がないんです(泣) 函館9:30→江差11:31(急行)えさし1号 江差12:16→木古内13:18(急行)えさし4号 木古内14:29→松前15:52 松前17:02→函館19:10(急行)松前4号 この時は両線とも終着駅でノンビリしています。 江差駅では海岸まで歩いてみたし。 松前駅では松前城まで歩いて城内を見学しています(覚えてないんだけど、汗) 木古内駅ではタイクツでアイスを買い食いしたらしい。 ああ、写真があったらもっと臨場感ある線路が説明できるのですけど(泣) でも。 ちょっとびっくりなのは「急行」の存在。 当時はこんなローカル線にまで立派な「急行」が走っていました。 確か木古内駅で分割併合もしていたと思います。 どちらが本線というわけでもない感じでした。 ところが、 廃止ローカル線選別のとき、 江差線が生き残り、松前線はあの世行き。 実際には、木古内駅から先は、松前線の方が旅客数は多かったのに、 函館(五稜郭)〜木古内駅が線路の戸籍上は江差線だったという理由だけで、 松前線は廃止、江差線が残った、というのは有名な話。 当時はこういう悲喜劇が日本の各地でありました。 悲劇の松前線。 喜劇の江差線。 本当はどちらが生き延びた方がよかったのかな? 歴史趣味的には、 どちらも函館戦争の古戦場跡なんです。 ちなみにこの時、函館五稜郭によって、土方歳三最期の地とか訪問しています。 趣味人でしょ? その後十数年後。 江差線は再度巡礼する機会がありました。 五稜郭〜木古内は青函トンネル開通後は全く別の線路ですね。 その先は長閑な雰囲気でしたけど。 肝心の江差駅は あまりに変貌していました。 線路が1本だけ。 あの時の美しい線路の面影は全くありませんでした。 (この時の写真はあるはずなのですが、探す気になれない) 私の青春(線路)を返せ〜 ちなみに。 松前線と江差線を一緒の記事にしたのは、 自作の線路図が一体だからです。 それだけ。悪しからず(笑) これにて
1980年7/31〜8/10 第1次北海道線路巡礼の美しき線路の紹介はオシマイ。 宗谷本線、興浜北線、興浜南線の記事は既にアップしているので、今回さらに追記してあります。 ご興味あったら見てね。 |
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線路巡礼:士幌線。 1980年第1次北海道線路巡礼にて。 当時の帯広駅は、 東西に走る根室本線に対し、北に士幌線、南に広尾線と、 線路の十字路を形成していました。 その士幌線ですけど。 当時から変則営業運転で有名でした。 代行バス。糠平駅〜十勝三股駅。 ようするに、 ただでさえ利用者の少ないローカル線ですが、 終端の糠平駅から先は皆無の状態。 だから、代行バスで十分ということ。 この区間、線路は現役ですけど列車は走りません。 線路というのは 列車に乗って巡礼しなくちゃいけないのです。 そこが現役の旅客営業区間である以上は。 (非旅客営業線路なら仕方ないけど) こういう中途半端な扱いの線路は困るなぁ といいつつ、たぶん当時こういう代行バス区間は日本でここだけ。 だから別の珍しさもありました(笑) 例によって、写真がありませんので、自作の線路図にて解説。 糠平駅に着くと小さなマイクロバスがお出迎え。 線路に沿って走ります。 途中駅の幌加駅前にもちゃんと立ち寄ります。 何故か終点の十勝三股駅から少し離れたところが終着。 駅前まで道路が整備されていなかったからかな? 十勝三股駅。 列車が来なくなってどのくらいたっていたのでしょう。 線路はそのままの状態のようですが、草がボウボウ。 それはそれで趣がありましたけど。 この代行バスを扱ったNHK番組を覚えています。 確か、代行バスの運転手の家族がここに住んでいて、 このバスの定期利用者は、その子供と郵便局員しかいない。 というものすごい内容でした(笑) 士幌線が廃止になった後、 無責任な第○セクターなんかにはならず、バス転換されましたけど。 あの終端の代行バス区間はどうなったのでしょう? 代行バスの代行バス? それとも、さすがに廃止したのかな・・・ 代行バスというのは、線路はそのままなんです。 これはいいアイデアです。 いっそうのこと、 士幌線全線を代行バスにしちゃって、線路だけは残してくれればよかったのにねぇ(爆) 士幌線にはもうひとつバカげた話があります。 さらに昔。 終端区間の線路がダム工事のため水没しました。 士幌線はわざわざ別線を作ったそうです。 ところが、そのダムが時々干上がって、その線路(コンクリートの橋)が時々顔を出します。 それがとてもよいモニュメントになっているそうです。通称タウシュベツ橋(だったかな?) すでにちょっとした観光名所。 キレイな写真をよく見かけますよ。 ここまでは現在の美談(だって廃止した線路が観光名所で蘇るのですから) でも当時、水没するのでわざわざ別線を作ったわけです。 それが先ほどの糠平駅〜十勝三股駅。 それが代行バスになって、 さらに廃止。 どうして代行バスで済む区間をわざわざ作り直したりしたの(泣) 地方エゴ丸出しの醜態(怒) もちろん、線路に罪はアリマセン。
タウシュベツ橋はルピナスの名所でもあるみたいだから。 機会があったら行ってみたいですね。 ところで、その橋に線路は残っているのかなぁ? |
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線路巡礼:手宮線。 1980年第1次北海道巡礼にて。 この年は、北海道鉄道100周年とかいう行事がありました。 手宮貨物駅で何か行事をしているみたいです。 (確か手宮線は北海道の鉄道発祥の地だったような気がします) 北海道には数多くの貨物専用線がありましたけど。 そういうことで手宮線は別格でしょう。 夜行普通列車「からまつ」で小樽駅に着いて、午前中は手宮線路見学。 小樽駅からテクテク歩いてみました。 当時はまだ現役の貨物駅。(ここも写真なし、泣) あまりの線路の美しさに、調子に乗ってこんなに大きな線路図を書いてしまいました。 一応、手宮線の本当の終端まで極めたつもり。エライ(笑) 手宮貨物駅には、 立派な転車台と機関庫があって。 北海道鉄道記念館みたいなものが併設。 記念行事というのは、 古いSLの「義経号」と「静号」とを、向き合って展示しました。というだけ。 歴史的に解説すると、 源義経と静御前は愛人関係だから、 これがご対面できるのは目出度い、ということでしょうか? 観光SLなんかどーでもいいです。 時間のムダ。 せっかくの百周年記念なら、 手宮駅まで臨時旅客列車を走らせるくらいの企画が欲しかったです。 絶対に乗りましたよ。 ところで、 今回ブログ記事を書くにあたり、 衝撃の新事実を知ってしまいました。 記事作成にあたり、当時の地図もフル活用。 私は手宮線は小樽築港駅から分岐するのだと思っていたのですが、 手前の南小樽駅から分岐していたのですね! (自作の線路図も間違えてます、汗) つまり、 小樽の町の貨物線は、二重構造になっていたわけです。 現在観光名所として有名な運河の脇の倉庫群にも、 貨物線がちゃんと延びていたのですね。 これよりずっと後に、小樽運河も観光したことがあったのですが、 これは気付きませんでした。 手宮線は手宮駅までの線路がキチンと残されていて好感触ですが、 倉庫の線路は残っているのかなぁ? 私の宝物の「国鉄線路図」にもちゃんと2本書いてありました。 小樽に行く人は、貨物線が2本あることを忘れないように!(笑) 温故知新。 ブログを書くと数十年ぶりの新事実を知ってしまいます。 他の路線も線路の新事実を発掘中です。
乞うご期待(かな?) |







