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1983年3月 線路巡礼:飯田線 前の年は 就職活動で忙しかったみたいで、線路活動はお休み。 この年になってから就職までの間 精力的に線路巡礼しています。 18切符(たぶん発売開始2シーズン目)の残り1枚で 長い路線をのんびり旅してみました。 高尾駅6:15→上諏訪駅9:02 上諏訪駅9:53→豊橋駅16:38 豊橋駅17:21→→川崎駅22:31 この飯田線グルリ旅は その後18切符が余る度に何度も繰り返しています。 これが栄光の第1回目でした(笑)。 豊橋駅にて。 飯田線と名鉄線の線路相関図は この当時からあまり変わっていませんね。 車窓は良かったのですが 終端駅がないので、 肝心の線路終端の写真がありません(汗)。 (今日は仕事で宴席。酔っぱらい。こういう疲れた日は、昔の線路ネタでもシミジミと)
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線路巡礼昔語学生時代
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1982年5月 水戸線、烏山線と巡礼しましたが、 このときの「目的」駅は、さらにその先。 さて どこでしょう? 目的駅その1 目的駅その2 東北新幹線というモノが出来る直前の話。 新幹線が出来ると 在来線で消えてしまう駅があったのです。 その駅の「入場券」を買いに行ったのです。わざわざ(汗)。 当時は 入場券というものに それほど執着があったのです(!) 今から考えてみると 全く意味のない馬鹿げた行為ですね(あほー) 新幹線開業にあわせて 駅名が変わっただけなのです。 今では 新幹線が出来ると 在来線そのものが廃止になってしまいます(怒) それに比べたら 駅名が消えるなんて、本当にどーでもいいことですね(爆) 実は この年に発売開始の 青春18のびのび切符の最後の1枚が残っていたのです これがあったから、 わざわざ買いに行ったのです。 注目すべきは 当時は、 利用期間が5月末までということ! 今の4月10日までなんていうケチな設定とは雲泥の差ですね。 入場券はどうでもよかったけど、 そんなことを思いついたおかげで 急行「つくばね号」や烏山線を巡礼するきっかけになったのですから、 結果オーライ?(笑) −−−− 当時は 西那須野駅、東那須野駅と並んでいました。 今は片方だけそのまま残ってしまいました。だから変な感じ? 磐城西郷駅は 駅に隣接した工場に専用線があって、 当時からその線路を見るのが好きでした。 駅名が変わっても専用線は残っていたのですが・・・ いつしか、工場そのものがなくなってしまいました。 でも、 今でも往時の線路の一部が残っているのが好印象です(笑) 駅名は消えても、線路は死せず!?
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1982年5月の話。 すでに当時貴重だった、 上野発仙台行きの旧型客車に乗って友部駅へ ここから急行「つくばね号」という、 小山短絡線を走る素晴らしい列車に乗った後、 http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/23631088.html 友部駅7:50→間々田駅9:08(途中の結城駅から急行扱い) 烏山線も巡礼 宝積寺駅12:25→烏山駅13:01 途中の仁井田駅では キリンビール栃木工場に伸びる専用線がまだ現役でした。 (写真残しておかなかったのは失敗、汗) そして 終着の烏山駅 烏山線の線路終端。 もはや芸術品でした。惚れ惚れ。 併設の貨物線ホームもステキです 本物の貨物取り扱い線路。 こういう光景って 鉄道模型のレイアウトだけじゃなかったのですね(笑) 時間があったので、 駅員さんに、この先どうなっているのか聞いてみたら、 烏山駅から水郡線常陸大子駅までの延長計画があったそうです。 常野線。 あまり話題にならない計画線ですね。 私もこの記事を書くまですっかり忘れていました(汗)。 こんな素敵な烏山駅ですが。 その後、 魅惑の線路終端は見事にバッサリ切られてしまいました(泣) 今はどうなんでしょうね?心配。
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1982年の山陰線路巡礼の話。 帰路の話がまだ残っていました。 はやたま号、加古川線とその支線、倉吉線、山守線、その他もろもろ乗りまくって、 帰路の途中、 太多線に立ち寄ります。 線路巡礼:太多線 美濃太田駅9:48→多治見駅10:22 う〜ん。 ごめんなさい。 線路の終端のない路線って、 どうしても記憶が残らないのです(汗) 唯一の記憶(記録)は、 またも車内に旅行バックを忘れてきたこと(殴) なかなか見つかりませんでしたが、 結局、美濃太田駅で保管されていることが判明。 また 太多線に乗って美濃太田駅に戻ります。 忘れ物したおかげで 太多線を往復できましたよ。 それでも線路の記憶がないなんて(殴殴) 美濃太田駅まで戻ってしまったついでです。 こちらの線路に行っちゃいましょう。 線路巡礼:越美北線 美濃太田駅13:25→北濃駅15:24 川沿いの美しい路線でした。気に入りましたよ。 終着の北濃駅。 何にもないところ。 引き上げ線が、そのまま線路終端に。 路盤が妙に整備されてますね?(写真のピントが外れているだけかも) 現役(?)の 転車台もありました。 ちゃんと線路がつながっていましたよ。 この線路はここで終わりですが。 越美北線の九頭竜湖駅まで建設予定があったのは有名な話。 でも 実際の工事は全く行われていなかったみたいですね。 当時 途中の美濃白鳥駅から九頭竜湖駅まで国鉄バスが連絡していました。 未成線区間を走るバスを乗るのは大好きですが、 このときは乗る時間はなく諦め。 そして その後も乗る機会はなく 連絡バスは廃止・・・ でも 越美北線南線を縦断したいという夢は捨てがたく。 その十数年後に 町営バスと徒歩連絡で北濃駅から九頭竜湖駅まで辿り着いたのは 私の線路武勇伝のひとつです(笑) http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/41329841.html 読んだことがない方は、 ぜひ読んでみてね♪ さて 美しい越美南線の線路ですが あっけなく廃止。 第○セクターに成り果てました。 なのに 反対側の越美北線がいまだにJRのままで健在というのは なんか合点がいきませんけど。 利用客は南線の方が多いと思ったのですが(?) まぁ
越美南線が第○セクターで残ってくれたおかげで あの越美線徒歩連絡ができたわけですから、ちょっと感謝(笑) |
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1982年4月。 山陰線路巡礼は、やっと山陰地方に入りました(笑) 普通夜行列車「山陰」 京都駅22:04→大山口7:13(列車は出雲市駅行き) ぞの前の晩は 宴会列車「はやたま」で過ごしているのですが、 そのときに乗り合わせたおばさんが 「山陰」に乗ったことがあって、とても混むとのこと。 だから京都駅まで戻って乗ったのに。 ガラガラでした(笑) でも車両(今でいう旧型客車ですよ)がボロで、すきま風が寒くて(泣) この日は 倉吉線と若桜線を巡礼するだけでしたので ちょいと気が緩んでいたのか。 朝、下車駅を間違え!(殴) さらに戻る列車を間違え!(殴殴) 乗り換えのときに荷物を棚に忘れる(うぇ〜ん) ということで ふたつの路線の巡礼は散々な目に逢いました。 おかげで、倉吉線山守駅は闇の中になってしまいました(泣) (この前日は、 加古川線・三木線・北条線・鍛冶屋線・高砂線・飾磨港線と精力的に巡礼できたのに) ちなみに 倉吉線と若桜線の記事は過去に記述済み。 これを機会に内容を補完したので、見てね! おまけ この山陰巡礼は18切符デビューの旅だったのですが。 当時の「のびのび切符」には 「2日間」券という厄介なモノが付いていました。 これが実物。 この次の販売のときはもうなくなってしまった記憶があるのですが。 だとしたら貴重?(爆) 山陰線路巡礼を終え
また「山陰」に乗って帰路に着いたのです。 でもまだ帰らない。元気だね〜(続く) |




