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1989年にも 名鉄ローカル線巡礼の書き忘れ 名鉄築港線 土曜日の夕方 名古屋で時間を捻出してちょこっと 鶴見線大川支線みたいな路線で 朝夕の通勤時間帯しか電車が走りません 名鉄常滑線大江駅 貨物駅のような雰囲気を醸し出しています 実際 昔は貨物取扱いがありました 電気機関車にトラさんが残っていました 保線用なのかな 右にグイッと曲がるのが築港線 大江駅→東名古屋港駅 (何時の電車に乗ったのか不明) 当時のメモによると まるでゴミ捨て場の中を走るような車窓だったとか!(汗) でも ゴミ溜めに鶴、 じゃなくて平面クロス線路! 名鉄の廃車体もいました 東名古屋港駅 終端側から見たところです ところが車止めがありません 線路はその先まで続きます 港に向かって続く線路 とっても気になりますが 折り返しの電車の都合でこの時はここまで この線路の先にも
そして平面クロスしていた線路の先にも ものすごくいいものがあったのですが、 それを巡礼したのは、 この16年後の2005年 その話はまた今度 |
線路巡礼昔語国鉄時代+
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1986年8月10日 臨時急行あおもり 名古屋駅22:01→青森駅18:05 この列車に乗りたくて 名古屋駅で時間を潰して待ちます 8月10日ということから 念のため指定席をとっておきましたが 列車は30分前に入線 指定席はそこそこ埋まっていますが 自由席はガラガラ!(汗) ということで 指定席券を払い戻して自由席へ 12系という当時はフツーの客車 正統派の夜行列車と言うのはこういうものです(笑) 翌朝、 直江津辺りからずっと起きていました ずっとガラガラ 長岡駅7:30なので 上越新幹線からの乗り継ぎ客もなし このまま青森駅までずっと1ボックスを一人です 帰省シーズン真っ只中 なんて贅沢な(笑) でも単線区間は行き違い停車のオンパレード 特に弘前から先は酷かったです(臨時急行だから仕方ないけど) でもなんとか無事に青森駅に到着 残念ながら この時の時刻表が手もとにないので 同年代1982年の時刻表から抜粋 夜行急行「あおもり」 指定席は名古屋駅から新津駅まで、その先は自由席だけ ほぼ並走して 夜行急行「きたぐに」 大阪から追いかけてきます 途中、 あおもりは新潟駅に寄りませんが きたぐには新潟駅に寄り道します 所要時間(乗車時間)は あおもり19時間1分(22:00−17:01) きたぐに18時間50分(22:10−17:00) 寝台特急では もっと長距離長時間の列車がありましたけど (東京駅−西鹿児島駅、はやぶさ号、富士号) 寝台車両ではない フツーの自由席車両だと あおもりが日本最長所要時間の列車だったのでは? ということでした 乗っておいて良かったです 今頃自己満足(当時は別に意識してなかったので、笑) 昨今の恥ずかしい金満列車とは対極をなす
美しい青い「自由席」列車の伝説でした |
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1986年夏 豊橋鉄道を巡礼した後は 岡崎駅で乗り換え 岡崎駅0番線ホームが岡多線の発着番線 あんまり本数多くありませんが 0番線以外からの発着もあったみたいです 岡多線の線路終端 その手前にあるのが あの恐るべき 「チャレンジ20,000km」の立て看板 私はこんなのやっていなかったので というかバカにしたので 当時ローカル線の起点駅終点駅に乱立していたこの看板は無視していましたが ここに偶然写っていました 今となっては大発見(爆) チャレンジ20,000km 断末魔の国鉄が始めた迷惑イベント(1980年-1990年) 線路趣味は鉄道会社のお膳立てでやるものじゃありません (というより、このキャンペーン開始当時、すでに全国線路巡礼を始めていたので 今さらこんなものやてられるか!、ということでしょうね、苦笑) さて 気を取り直して岡多線 岡崎駅13:41→新豊田駅14:07 単線ですが 複線用の敷地が確保済み 沿線に自動車工場があって 自動車輸送貨物扱いが活発でした というのが当時のウンチク でもすでに貨物取扱いは廃止 終点の新豊田駅 高架駅なので実に味気ない おそらく これは終点から先を見たところ 中央本線高蔵寺駅まで延伸する計画で すでに高架橋と線路まで用意されていました いつもなら 終着駅はその線路の先を追いかけて線路の美学を極めるのですが この高架じゃムリ(泣) それより 車止めが見当たりません? 延伸予定でも車止めはあると思うのですが (ここが本当に終点の新豊田駅の線路だったのか??汗) 折り返しの電車ですぐに戻りました この路線 名古屋近郊にありながら ものすごく存在感のないローカル線 いや ローカル線のくせにローカル線らしくないと言うべきでしょうか 面白みがない? 話題にならない無名の線路 この路線は 第○セクターになった後 延伸開業して豪華な路線名に変更されました その後「愛・地球博」の時に乗りに来ましたが その話はまた今後 もはや 岡多線という存在と名前がほとんど忘れられていると思いますが 私はちゃんと覚えていますよ と記録しておきます 次は武豊線です
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1986年8月 この5月に路面電車に乗ったばかりの豊橋駅に再びやってきました 今度は 豊橋鉄道渥美線 新豊橋駅 国鉄名鉄の豊橋駅に隣接していますけど、一旦外に出ないと乗り換えられない 乗り場 ホーム1面1線の単純な配線ですけど 駅近くの踏切から見たところ 国鉄の貨物側線が隣接していました ワムさん… でも駅では国鉄線とはつながっていません 少し離れた跨線橋から見たところ 美し過ぎる貨物線群の右端の電化単線が渥美線 新豊橋駅11:15→三河田原駅11:50 終点の三河田原駅 こういう線路終端が好き♪ 引上げ線として線路ギリギリまで利用されているのか それとも休車置き場? 昔は この先まで路線は延びていたそうです 不要不急で休止でそのまま廃止 いかにもそんな感じの線路終端 哀愁を感じます 堂々たる線路配線 駅舎も立派 いい感じの終着駅でした 帰路は 高師駅で途中下車 電車区があります、 線路もたくさん ワムさんに運転席を取り付けたような 貨物電車? ユニチカ紡績工場まで専用線があったのですが すでに草むらの中でした、残念 このあと 名古屋から始まる大冒険 臨時寝台急行「あおもり」に乗ったのですけど その話はまた今度 とてもステキな豊橋鉄道渥美線ですけど 乗ったのはこの時だけ(汗) その後 豊橋鉄道にも近代化の波 新豊橋駅からの線路はすっかり変更されてしまいました 終点の三河田原駅の線路も工事されてしまったらしいです 豊橋駅前のホテルに泊まって 何度も新しい電車は見たことがあるのですが やっぱり昔の線路の方が良かったなぁ 国鉄線とは今でも花田信号所でつながっているようです それだけが往時の名残 車両の授受シーンを見てみたいです (そういえば名鉄線と線路をつなげて直通運転という話もあったと思うのですが、アレは立ち消え?) 2006年豊橋駅前のホテルから渥美線を堪能した記事はこちら
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1986年5月 名鉄ローカル線を乗り継いだ後 まだちょっと時間があるので 豊橋駅で下車して サッと豊橋鉄道の路面電車を巡礼 東田本線という立派な名前があります (本線と言うくらいですから昔は支線もあったそうです) あんまり聞いたことない路線名です 現地でも使っていたかしら? 豊橋鉄道のHPでも「市内線」と書いてありますから ここでは市内線ということで 起点の豊橋駅前の電停は 「駅前」 ただそれだけ これは略してあるわけじゃなくて、そのまんま 普通なら「豊橋駅前」だと思いますけど? この当時は 国鉄名鉄豊橋駅から少し離れていました 疑惑の駅前電停から早速乗ります 約5キロ、20分ちょっとの路面電車の旅 終点の 赤岩口電停 残念ながら暗くなってきてしまいました スゴイのは 道路ど真中の線路終端 さらにダイナミックなのは ここで折り返して車庫線が分岐しています ちょいと車庫に入れてもらえました 電車区の中 古い路面電車が好ましいです この電車は 私は超古いですよと自己アピールしているのですね?(笑) ひと駅戻って 井原内科電停、 じゃなくて井原電停 ここから 支線が分岐しているのです 運動公園前電停(これもどこの公園だか分からず) 井原からたったひと駅だけの支線ですけど この区間が出来たのは1982年! この時点ではつい最近の事 廃止話ばかりの世の中で 路面電車の新線区間が出来るなんて素晴し過ぎます ちなみに この新線区間に分岐する曲線は 日本一の急カーブらしいです 豊橋駅前、 じゃなくて駅前に戻る途中 留置線が分岐しているステキな場所がありました 街並みの中にちょこんと かわいい 路面電車を大事にする街、豊橋 その後起点が豊橋駅まで延伸されて直結、さらに便利になりました エライ!(でも名前は相変わらず「駅前」だけ) この時の巡礼は名鉄岐阜市内線などを乗り継いで来た後なのですが あちらはモノの価値を知らない輩に葬り去られてしまいました(悲) |





