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1985年 只見線で会津若松駅に到着 この駅は 磐越西線がスイッチバックになっていることで有名です。 今では 頭端型(櫛刺し型?)と呼ばれる ホームですけど 当時は ちょっと違いました 線路が ホームの先まで延びていたのです すぐに踏切があって ホームの線路がそのまま延びて、留置線になっていました。 磐越西線のスイッチバック線路の真の終端♪ 素敵でしょ〜(笑) いまでは ホームがコの字型になって 留置線は撤去されてしまいましたが (駅は便利になりましたけどね、汗) この留置線が残っていれば あの観光SLとかが簡単に機周りできたのに。 (あんなモノはどうでもいいけど、笑) おまけ 当時の只見線&会津線の西若松駅 まだ貨物取り扱いが残っていました 会津若松駅の貨物もきっとまだ残っていたでしょうね もっともっと線路の写真を残しておきたかったです。ふぅ。
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線路巡礼昔語国鉄時代+
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1985年7月 只見線を巡礼しました 小出駅11:56→会津若松駅16:39 小出駅で時間があったので 構内の線路をじっくりと観察 右に曲がるのが只見線 ちゃんと上越線と線路はつながています 今でも只見線・上越線の直通列車は時々走りますね 私も2002年に只見線磐越西線一周号というのに乗ったことあります なかなかの長大編成 転車台が現役! ちょっとボロボロの線路がいい感じ 車庫から飛び出した線路 これが只見線の線路終端です。 列車に乗って 只見駅〜田子倉駅は「禁煙」なんです 当時は まだ国鉄は全面禁煙じゃなかったのですが、 只見線のこの区間だけは特別だったみたい。 只見駅 新しい路線なので線路配線は味気ないのですが、 何気なくDEさんが停まっています。 客車だったのかな?貨物列車だったのかな? 会津川口駅 当時の時刻表で この駅でこんな感じで写真を撮っている表紙があったので 真似してみました。 昔はおおらかでしたねぇ。。。 この先の話は会津若松駅編に続きます ところで現在 只見線はまた災害不通らしいですね。 これで何度目だろう? 今度こそ、そのまま(殴) 廃止対象だったのに なんかJRは目をかけているみたいで やらせSLとか走らせて沿線を一生懸命PR そんなことしないで、普通に列車本数を増やしてくださいよ。 無駄な肩入れのし過ぎで
廃止できなくなっちゃったかもね(笑) |
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1985年6月 京成電鉄と仲間たち(?)の線路を巡礼 まずは 京成上野駅10:20→成田空港駅11:37(特急) 自慢じゃないけど 私の初めての海外旅行は1987年 つまり 初めての成田空港は、 海外旅行でもないのに京成線巡礼した、このときが初めて(笑) でも 当時の京成空港駅というのは ここから空港まで、さらに連絡バスだったのです(不便) だから、 正確には成田空港には行っていません(苦笑) (この駅は成田空港への新線が出来たあと、仕方なく東成田駅に改称して残留) ユーカリが丘駅 時刻表を見ると 駅から北にのびる変なオメガループが気になりませんか? 山万線 線路を極める者としては こういうモノも巡礼しておかないと(笑) 京成千葉駅 当時の京成千葉線はここまで すでにこの先の高架と線路はずいぶん前から敷かれていたと思うのですが。 この線路を電車が走るようになるのは、ずいぶん先のことです。 京成津田沼駅から 新京成電鉄に乗り換え 新京成のグニャグニャ線路に感動♪ でも 今回の巡礼の一番のお目当てはココ 新京成電鉄北初富駅 ここから見事に線路が分岐(複線分岐) 高架上の 北総開発鉄道の新鎌ヶ谷駅とつながっています 線路がつながっているだけじゃなくて 新京成の新松戸駅から北総開発の千葉ニュータウン中央駅まで直通運転があったのです 当時 北総開発鉄道は 新鎌ヶ谷駅と千葉ニュータウン中央駅の間が開通しているだけ とりあえず松戸経由で客を増やそうという苦肉の策だったのですね。 北総開発鉄道を往復してから松戸駅へ 松戸駅 北総開発のゲンコツ電車が乗り入れていました。 (常磐線各駅停車の千代田線電車が写っていて分かり易い) フランスの電気機関車みたいな斬新なデザイン もっとも、 あんまり流行らなかったみたいですけど。 (京成高砂〜新鎌ヶ谷駅が開通すると、松戸駅からの奇妙な乗り入れも廃止。 そのまま残しておいても面白かったのに。残念) 常磐線を経由して金町駅へ ここから またも京成電車に乗り換え ああ、 当時は車止めと茶色ワムさんと一緒に見ることが出来たのです。 青砥駅から西馬込駅直通電車に乗って帰ります。 これで 京成グループの線路を巡礼完了。素晴らしい。 いまの京成線はずいぶん変わりましたよね ひょっとして 関東の大手私鉄の中では一番路線が激変したのではないでしょうか。 身近な路線もマメに巡礼しておななくちゃ(笑)
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1984年12月 水島臨海鉄道を巡礼後、最後の目的地へ 倉敷駅から路線バスで児島駅へ移動 児島駅といっても 今のJR瀬戸大橋線の児島駅ではなくて 下津井電鉄の児島駅 世にも不思議な下津井電鉄 なにしろ どの鉄道路線とも接続していないのです。 だからバスで行くしかない。 元々は 国鉄宇野線茶屋町駅〜児島駅〜下津井駅だったのですが 茶屋町駅〜児島駅は廃止、 先っぽの児島駅〜下津井駅だけ残ってしまいました。 なんとなく 逆のような気がするのですが? でも、 下津井の人のための線路だから これでいいのだ? 児島駅 ナローゲージです。線路幅が狭い。 線路幅と関係なく 線路終端の撮影に固執します(笑) プレハブの駅舎 廃止になった区間の線路跡が手に取るように分かります!(爆) 小さい電車出発 児島駅10:37→下津井駅10:55頃 車内は揺れる揺れる 当時の私のメモでは、鹿児島交通を想い出すとか。 鷲羽山を越えて 本四架橋児島ルート(当時はこう呼ばれていた)の 工事中の橋桁を見て 下津井駅に到着 上から見たところ 小さな電車区になっています 使われていないと思われる 反対側のホームには 何でもありの様相 こんな バスケットカーまで展示中 昔はここに「サカナ」を積んだのでしょうか? 線路の終端方面 車庫(みたいなモノ、笑)があります そこの線路が合流して これが 下津井電鉄の線路終端 材木屋さんじゃありません(笑) この下津井から 対岸の丸亀までも定期航路があったのです 元々は 本四連絡の一環を担っていた鉄道だったのですが。 すぐ近くに宇高連絡ルートがあれば要らないですよね。やっぱり。 児島駅まで戻って そこから茶屋町駅行きの下津井バス このバス路線 廃止された区間の線路跡に沿って走ります。楽しい。 国鉄宇野線茶屋町駅 往年の下津井電鉄のホーム跡が バス停として見事に再利用されています。 あっぱれ?(笑) 他の鉄道と全く接点を持たない鉄道 世にも不思議で楽しい鉄道 その後、
残った区間も、やっぱり廃止されちゃいました。哀れ。 |
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1984年11月 岡山県の中小私鉄を巡礼(国鉄線以外も巡礼しておいてホントに良かった) 岡山臨海鉄道http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/35572471.html 同和鉱業片上線http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/35662246.html 水島臨海鉄道 下津井電鉄 このときに使ったのが 岡山・倉敷ミニ周遊券 (ワイド周遊券以外にもこういう使い勝手がいい切符があったんですよね〜) 岡山臨海鉄道と同和鉱業片上線はすでに記事を書いているので 今回は 線路巡礼:水島臨海鉄道 起点は国鉄倉敷駅のすぐそばの倉敷市駅 倉敷市駅7:33→三菱自工前駅7:53 駅を出ると すぐに並行する国鉄山陽本線のヤードと線路がつながります。 工場地帯を走って 旅客営業の終着駅は 三菱自工前駅 工業団地の中のホーム ここが終着駅という雰囲気なし というのは そのまままっすぐ線路が続いて行くから! 複線ではありません もう一本の線路は 手前から伸びてきた貨物支線 ちょっとしたヤードになります 貨物だけじゃなくて 気動車も混じっています ここが倉敷貨物ターミナル駅(この当時もそういう名称だったのかは不明) さらにまっすぐ歩くと この踏切の先は入れません。 ということで、 ここを終端ということにしましょう 踏切で振り返って三菱自工前駅方面を見るとこんな感じ 帰りの列車は ひとつ手前の水島駅発なので 一駅歩きます その途中で さきほど併走していた支線が分岐するところ 本線から貨物列車がやってきました このあと 工場の中をひたすら歩いて やっと水島駅 ちょうど高架工事の真っ最中。 地上駅ならではの美しい線路に間に合って良かったです。 ここからも分岐する貨物線 DEさんがやって来ました。いい感じ。 当時はこういうところに行けば、フツーに貨物列車に出会えたのですね 水島駅9:05→倉敷市駅9:23 このあと 下津井電鉄に向かったのでありました。 あれから もう30年近く経っていますけど この臨海鉄道は意外と健闘しているようです。 神奈川臨海や京葉臨海も
ここを見習って 旅客営業してほしいものですね せっかくの線路なんだから(笑) |






