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南海電鉄の話 少し話は遡ります 南海の難波駅 今では見られない面白い電車 ズームカーという愛称? 岸ノ里駅 和歌山線(じゃなくて南海本線)と高野線がクロスする駅 この時の南海電鉄巡礼の目玉は急行「きのくに」号に乗ること 急行きのくに14号 南海線経由、 国社直通で紀勢本線白浜行です 非電化路線を走るのでディーゼルカーですね 当時はこんな素晴らしい直通列車が走っていました 難波駅13:05→和歌山市駅14:07 あれ? せっかくの直通列車なのに 和歌山市駅で降りちゃ意味がないじゃん(泣) でも 南海の電気機関車を見ることが出来ました カッコイイ 電車を乗り換えて さらに和歌山港駅へ 南海和歌山港線の線路終端 でも 駅名表を良く見てください 当時はさらに先に「すいけん」という駅がありました 終端は2番線 1番線はその先へ この時は この和歌山港駅で折り返しでしたが 数年後 ちゃんと巡礼に来ましたよ わざわざ難波駅まで戻って 今度は高野線に乗って、ちゃんと高野山駅まで往復 (この時も高野山駅まで行っていました) これだったら 国社直通急行「きのくに」号で せめて和歌山駅まで行けばよかったのに… この時は同行者がいて 関西の民鉄線に乗る、 というのがルールだったのかな(泣) 同行者がいたおかげで 線路の写真のあちこちに「私」が変なポーズで写りこんでいます(笑) 先日
1996年南海高野線の記事を書いていたら それより以前の南海電鉄の線路記事を書いていないことが発覚 大手私鉄の線路記事は後回しのつもりでしたが 南海は面白いので、ちょっと続けます |
線路巡礼昔語国鉄時代+
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1985年9月 青春18切符2日分で伊勢線、名松線、明知線と巡礼して 最後が二俣線(掛川駅-新所原駅) 豊橋駅12:44→掛川駅15:15 東海道本経由なら1時間ちょっとだと思いますが 浜名湖の向こう側を迂回するとこうなります 豊橋駅からの直通列車ですから 少し離れたあの小さなホームから出発(このホームの写真がありません) 2両編成の気動車の車内は高校生で満員 浜名湖がよく見えます 平らな路線なのでスピードは意外と速かったらしい(これでも) 遠江二俣駅 沿線随一の主要駅(?)です 線路もたくさん 2面4線のホームが立派過ぎます 終点の掛川駅(こちらが起点駅ですけど) 当時は東海道本線上りホームの片側を使っていました 掛川駅の乗換階段 こういう写真を撮るのは私としては珍しい 今となっては貴重な光景 盲腸線ではないので 明確な線路終端がないのですが 新所原駅の線路をちゃんと見ておかなかったのが心残り この路線も 1987年3月の国鉄滅亡と一緒に廃止 第○セクター鉄道になりました 掛川駅では線路はつながったままですが 新所原駅では分断(終端駅らしくなった?) なんか とても遠い存在になってしまいました 東海道本線豊橋駅までの直通列車はなくなり 新所原駅の豊橋方にあった 上り線に合流するため東海道本線を跨いでいた「線路」も廃止 ところが どうやら私は二俣線の下りは乗っていなかったみたいで この「線路」を乗っていないようなんです。 上り直通列車しか乗っていない 残念 それでも この鉄橋はしばらくそのまま残されていましたが 1995年の関西淡路大震災を契機に 危ないからという理由で撤去されてしまいました 撤去の前 1993年7月に関西に向かう車窓から ようやく撮れた写真がコレ 二俣線は 東海道本線の代替路線として建設されたらしいです だから こんな仰々しい設備(線路)も必要だったのでしょうか でも 下り二俣線10本のうち 豊橋まで延長運転していたのは4本だけなんです 一日4本だけのための線路なんて
なかなか贅沢なモノでしたね 今でも築堤だけは残っていますので 車窓から見えたら、無駄だったなぁと往時を偲んであげて下さい |
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明知線明知駅。 すでに、第三セクター化されることが決まっていましたが、 やっぱり国鉄時代に乗っておきたい。 1985年9月 前の日に伊勢線名松線を巡礼した後、名古屋に一泊 恵那駅にて 明知線の気動車がやって来ました 当時は 言うまでもなくちゃんと中央本線と線路はつながっていました 中央本線名古屋方面ホームの片側が明知線です 恵那駅7:44→明知駅8:39 終着駅の明知駅。 森林の中を走った記憶があります。 途中の岩村駅だけよく覚えています。 明知駅は、ショックでした。 嫌な予感はしていのですが、終着駅の構内が、第三セクターの車庫つくりで、破壊の真っ最中だったのです。 写真からお分かりの通り、旅客ホームの脇には貨物ホームもあり、線路は引き上げ線として、さらに延びていきました・・・、と思われます。 車庫作りのため、引き上げ線は撤去されていました。 あぁ、なんでもう少し早く来なかったのだろう。 せっかくの線路が台無しです。 線路が剥がされたばかりの悲しい線路終端 もちろん、第三セクター化には、車庫が必要なのでしょうけど 線路命の私には、あまりに残酷な光景でした。 おかげで、そのあとの明知鉄道は、どうも好きになれません(今でも)。 恵那駅側から見たところ 腕木式信号機がたくさん生えています やっぱりいい駅だったんですねぇ ところで、明知といえば「明智光秀」 司馬遼太郎の「国盗り物語」の中で、 織田信長があんまりカッコイイ名前なので妬んだ、と紹介された名前です。 確かに、出来すぎの名前ですよね 名前を構成するすべての文字が光っています。名前負けしそう? あれ、明智光秀か、明知光秀か、どちらだか分からなくなってきました(やばい) そんな訳か 第三セクター後はこの駅の名前も明智駅になってしまいました どうでもいいけど 恵那駅で線路も切られちゃうし… |
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線路の歴史をまた少しさかのぼって 1985年9月 廃止直前の明知線に乗るため18切符で一泊二日の旅 伊勢線、名松線、二俣線も初巡礼 当時の伊勢線は四日市駅発着でしたが 伊勢線は川原田駅で関西本線と分岐します だったら 亀山行きの列車を川原田駅で降りて ココから乗ってみるのが一興では? 名古屋駅12:07→川原田駅13:12(亀山行き) 川原田駅13:32→津駅13:58 川原田駅は 関西本線から伊勢線が分岐してデルタ型になった複雑な駅 伊勢線のホームは離れていて 階段を上ると、とってつけたような小さなホームがありました 列車は1両編成でガラガラ 新しい路線なので味気ないです でも終着駅の「つ」に感動 伊勢線は終端がない路線 終着駅の印象が薄いので、 この車止めを強調しておきましょう もともと伊勢方面との短絡線目的の路線でしたが 杓子定規に廃止されてしまい 1987年3月に第○セクター化 おかげで伊勢方面に行く鉄道料金が不条理に加算されてしまいます 亀山駅経由は健在ですけど使いにくい ちなみに 当時の伊勢線の起点は 四日市駅でも、 川原田駅でもなくて、 南四日市駅だったそうです ふ〜ん |
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1989年11月 西武の所沢工場を見学するチャンスに恵まれました いまで言う 一般公開とは違います 普通に操業している日に お客様?で見学 所沢駅から見たところ 右側にグニャリと曲がるのが工場線 複雑な線路配線の所沢駅の構内でも異質な存在 これは 工場の中から出入口扉を見たところ 工場の建屋 たぶん 建屋の左側にあった線路の終端♪ トラバーサーがありました 一般公開日ではないので 人は乗せてはくれません(笑) 西武の黄色い電車がいっぱい やっぱり西武といえばこの電車ですよね この工場 検車だけじゃなくて 車両の新造もしていたみたいです 所沢生まれの西武電車なんて生粋の西武っこ、じゃないですか! その翌年 所沢に来たついでに また工場線路を見学 工場に至る線路 2枚目の写真の反対側です (こういう写真は外から撮った方がいいかも) グニャリと曲がった所沢駅から工場までの線路の途中 工場との境界杭も見えます 立派な踏切があったということは 昼間も 工場の出入りがあったのでしょうか? (深夜だったらこんな踏切は要らない?) こんなに楽しい所沢工場ですが 所沢駅前の一等地?という立地が災いして 廃止されてしまいました(武蔵丘車両工場に移転) でも 廃止後も工場はそのまま 数年前に 廃工場の中で芸術イベントもあったみたいです 行きたかったな 工場引き込み線はそのままで 工場跡もそのまま線路博物館にして 西武新宿や池袋から臨時電車を走らせる〜 野球なんかさっさと止めて 本業に精を出して欲しいです(殴) 西武といえば東急です(当時は) 東急の車両工場も見学しましたけど(その話はまた今度) あちらも JRに身売りしてしまいましたね(廃止じゃないだけマシですけど) ちょっと寂しい・・・
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