Essey

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意地悪な人々

和歌山県の太地町は、捕鯨で有名な町である。
そして、最近おせっかいな環境保護団体に目の敵にされている。

カンガルーよりも虎よりも象よりも、クジラが大切らしい。

日本の動物園や水族館のイルカの入手方法を巡って、世界の動物園水族館協会から除名勧告がきたという。

これは、明らかに捕鯨に意趣のある嫌がらせである。

大人だ、そういうことをいう人々は。けれど、こういうあからさまな嫌がらせをする。

本当に、迷惑な人々である。

私達はクジラを恒常的に食べているわけではない。
おそらく食べたことのない人の方が多いのではないだろうか。
けれど、まるで日本人が世界のクジラを食い尽くしたという勢いである。
もともと、クジラの数が減ったのはアメリカをはじめ、西欧諸国の乱獲が招いたものである。
一頭のクジラを何十人がかりで捕まえていた日本のやり方で、そんなに取れるはずもないのである。


アラスカでは、アザラシだって食べるじゃないか。

いつもそうだ。自分たちのことは棚に上げて、いじめて金になりそうな人をいじめる。

そういう大人を見習うから世の中が良くならないのである。

環境は大切だ。けれど、人としてのモラルがあってこそ問題提議ではなかろうか。

応援演説

昨日、土砂降りの渋谷にいた。選挙運動?応援演説なのかどうなのか、おっさんがしきりに
「この土砂降りの中立っているのがふじいたかおです。このバカがふじいたかおです。小渕元首相の甥です」と連呼していた。

はい。応援演説者に「バカ」呼ばわりされる候補者に投票する選挙民がいると思っているんですかね。
頼む方もバカならば、公衆の面前で候補者を「バカ」呼ばわりするほうも、たいていバカですわな。

あきれてものが言えないというのは、こういうことを言うのではなかろうか。

今風?若者受け?何を狙っているのか知らないが、公職につくということは、そんな軽いことではない筈である。

本当にバカバカしい。

年を取るのが恐ろしい

私には、母と同じような年代の知人がある。良くして頂いている。感謝もしている。が、本当に大変である。
何かにムカつくとする。最低12回私は同じ話を聞かされる。一回最低30分である。
一度、「もう気が済んだでしょ。えーかげんにし」と諌めたことがある。その話は諦めた。が、他の文句は延々と続くのである。

生きているとそんなに文句ばっかりあるのでしょうかというくらい、文句が多いのである。

一緒に暮らしている人の文句。
取引先の人の文句。(これは複数なので、大変なことになっている)
子供の文句
故郷の知人の文句
昔から怒っていることの文句

私は楽しい事が好き。大抵の人は私と一緒にいるとよく笑う。
けれど、このおばちゃんには通じないのだ。もう、心がもんくで凝り固まっているのだな。

先日、身近にいる人のもんくをいい募り始めた。私だけでも12回は聞いている。
ちょっと粗相をされたのだ。それは、腹の立つことなのかもしれない。けれど、一緒にいる人である。今はしらんが、一度は自分が好きになって一緒にいるのである。そして、その人はまだボケている訳でもない。
それを、来る人来る人に言い募るのである。そして、その言われている人は、これからも、おばちゃんが言いふらした人々に会う機会もあるのである。

日本には「嗜み」とか「慎み」という言葉がある。年を取るとそういう言葉も忘れるのであろうか?そう思うと悲しくなった。

いくら腹が立ってもしてよい行い、悪い行い、言ってよい事、悪いことがある。そして、思いやりという心がなければ、人ではないのではなかろうか。

私は、そういう日本の心が好きだ。

勿論、私の母もたまに、父の事で文句を言うことがある。けれど、私が頼んで結婚してもらったのではない。自分たちで決めたことだ。そういうと、ちょっと黙る。

けれど、自分の行いに責任を取ると言うことはそういうことではないのだろうか。腹の立つこともあれば楽しい事もある筈である。楽しい事を探して、笑いあって暮らす方だもんくの垂れ流しより、よほど見ていても気持ちいい。

こうやって、人々はおばちゃんから離れていくのだと思う。が、しょうがない。私だって、限界がある。
やっぱ楽しい事がいいもんね。

私は、もんく垂れ流しの年寄りになりたくない。やはり、サウナは重要である。

Identity

ニュースを聞いていると、多くの若者がIslamic Statesに参加しようとしているらしい。
先日、イギリスで、まだ少女と呼んでいいような子供たちが国を抜け、渡航したと言う。

日本は、アメリカ、カナダ、オーストラリアやニュージーランドのように移民の国ではない。
それでも、一般に「在日」と呼ばれる人々を内包している。

移民はその国の民になれるのだろうか?国籍を取ることはできる。仕事をすることもできる。生活をすることもできる。けれど、それはその国の民になると言うことではない。税金を払い権利を主張することとその国の民であることは違うと思うようになった。

私は、某国で某語を学んでいた時、「これはあかんな」と思ったことがある。歯が立たない。けれど、弱気になった時に思ったのである。

幕末と呼ばれる時代、辞書もロクにない環境で、日本国の未来を切り開かんと、勉学にいそしんだ先人の私は子孫なのである。教材もあり、辞書もあり、またその国に赴いて言葉を学ばんとする私が、諦めたのでは、ご先祖様に申し訳が立たないと。もっと古い時代、異国の良き文化を学ばんと、今から考えれば恐ろしく小さな船で、隋へ唐へ渡った人々の子孫なのである。弱気な心を蹴っ飛ばして、奮起し、なんとか頑張ったのだ。

私にとってのルーツは日本である。が、その国に住んでいるからと言って、同じ民族意識を共有するわけではない。ユダヤがよい例である。あの人たちはユダヤであり、どこかの国に属しているようには見えない。そして、寓話から人を蹴散らかして、自分たちの国を打ち立てた強者である。彼らは、其々の国に住むユダヤであり、アメリカ人でもイギリス人でも無いように思える。

私の知っている在日韓国人は、日本で暮らしていて日本語しか話せないが、正月に法事をする。それは韓国の風習である。食べるものも私が育った食べ物とは違うもの食べる。考え方も、私たちとは、かなり異なっていることが多い。

では、イギリスやアメリカに住んでいるイスラムの人々はどうなのか?彼らが、私のように「ご先祖様に申し訳が立たない」と思う時、それは、誰を言うのだろうか?リンカーンか?女王さまか?そうではないと思う。
日本でも、豊かな様々なものを享受して暮らしている外国人の、ご先祖様がヤマトタケルである筈がないのである。

異国で暮らすということは、色々と難しいことだ。自分の生まれ育った国でちゃんと生活できるのであれば、誰も国を捨てて異国で働いて暮らさない。それは自国で暮らすことが出来ないからだ。もちろん、今は選択の自由で、望んで海外で暮らす人々もいる。けれど、ほとんどの人はそんな理由ではないはずである。

どこの国にも差別はある。昔は先進国と言えば、努力をすれば勝ち上がれた。が、長きにわたる経済の低迷、高齢化による生産、消費力の低下により国力自体が右肩下がりである。その閉塞感が、おとぎ話のような新国家構想に結びついても、不思議ではない。

自分のルーツがイスラムだと信じていて、夢のような国をつくるために立ちあがろうと言われれば、異国で、居心地の悪い思いをしている若者は、飛びつきたくなるのも、わからなくはない。

ISはある意味、新興宗教に似ている。

これを思う時、大変心を痛めることがある。ハーフの子供である。国際結婚で生まれた子供たちは、どうなるのだろうか?まっとうな教育を受け、まっとうに考え、自分の立ち位置を見つけ出せればよい。が、そうでなければ、心の根なし草になるような気がする。

私の経験は、私だけのものかもしれない。が、私は、先人達に思いを馳せ、自分を叱咤激励することが出来た。
他人から思えばバカバカしいかもしれないが、そういう心のよりどころは人を強くする。また、自分を戒める。

20世紀は色んな意味で混迷の世紀であった。21世紀は、人々の心の混迷の世紀になるのかもしれない。

新印象派

久しぶりに美術館へ足を運んだ。ルノアールやモネが印象はとすれば、スーラやシニャックが新印象派と呼ばれている。

それにしても、江戸の美術館はいつもとても混んでいる。どこから人が湧くのでしょう?いつも年配の人がとても多い。リタイヤ組でしょう。

美しいものを見るのは良いことである。わかっても分からなくても良いことである。が、なにぶんお年寄りが多く、何故か携帯電話が鳴ったりする。私の好きな「静謐な空間」は江戸の美術館では感じられないのが、残念である。

興味深いのは、絵の近くでしげしげと見つめている人々である。100人いれば大抵99人くらいは絵に可能な限り近づいて見ている。絵の勉強をしているのか?点々の数を数えているのか?どちらでしょうね?私は少し離れたところから眺める。絵によってはその方が光の構成が鮮やかに浮かんだりする。今日もモネの絵の一点がやはり斜め左方向から見ると素晴らしかった。

スーラは点描で有名な画家である。本当に絵というのは素晴らしい英知の結晶だと、つくづく思う。一枚の絵を完成するために何万回、何十万回と点々するのである。凄い。この時代(1980年代後半)になると、色彩も科学され、色彩工学に基づいて描く手法なども取り入れられている。

私は点々の労力を思いながら、確か横山大観画伯の作だと記憶している「浜千鳥」という絵がある。これも、点々ではないけれど、何回この波を描いたのでしょうと思わず思わせてしまう力作である。

日本画も西洋画も、美しいものは努力なしには完成しないのだ。

そして、やはり好きでなければ出来ない仕事だと思う。

点々の素晴らしいこと。点描ながら写真の様な現実感があったりする。

セーヌ川に映る樹木など、ため息しか出ない力作である。

色あせを防ぐために、古代の技法をつかったりもされている。

何点か、浮世絵の影響を受けたとみられる作品もあった。点々x浮世絵である。おもしろい。

新印象派後期とカテゴライズされているが、後半の点描は点々が大きい。もっともらしい事が書いてあったけれど、細かい点々に疲れたのでは?と勘繰ってしまいました。

あれだけ細かい点々は、大変な時間と労力が必要である。そうそう作品を作れないでしょう。
点々が荒いと早いと考えるのは商売人の悲しい性でしょうか?

今日の一点はシニャックさんのピエール・アレの風車だな。

風が見えた。

一瞬南仏の光と風の空間を旅した。
素晴らしい一点であった。

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