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韓映学習ノート

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◆5.18光州民主化運動(5.18광주 민주화 운동)とは◆
1980年5月18日〜27日の10日間、チョン・ドファン(全斗煥)軍政下において全羅南道の道庁所在地であった光州市で発生した民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民運動と韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した事件。

◆光州とは◆
歴史、風土、気候から朝鮮半島東部分にあたる慶尚道と西南部にあたる全羅道は対立状態であった。その関係の深刻さが増したのはパク・チョンヒ大統領時代。
漢江の奇跡と呼ばれる高度成長をとげていた。大統領は慶尚道出身であったため慶尚道は優遇され発展する一方、穀倉地帯である全羅道は繁栄から取り残され、失業者が街にあふれ小作農は農業をやめ、職を探して都会へ流出して行った。このことからも反政府に傾いて行き、その中心となったのが光州。
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◆事件背景◆
1979年10月26日、パク・チョンヒ大統領暗殺事件勃発。「ソウルの春」と呼ばれる全国的に民主化を求める運動が盛んになる。

12月12日保安司令官チョン・ドゥファンがクーデターを起こし、軍を掌握(12.12粛軍クーデター)
チェ・ギュハ(崔圭夏)政権はわずか8か月で倒れる。
翌年の1980年になると学生運動は拡大するものの、ソウルでは事態を楽観視していた。

しかし光州においては5月17日全羅道木浦出身で民主化運動の核となっていたキム・デジュン(金大中)やキム・ヨンサム(金泳三)ら26名を逮捕される。そのことで光州市民は彼らの釈放と民主化要求が激化。
軍の会話で「彼らの要求は釈放です」と言っているセリフがある
その後市民は軍事施設や予備軍の武器庫、光州市庁、公番などを襲撃。
ミヌがジヌを殺された後、車で武器庫に突っ込み、フンスが屋上から機関銃で光州支庁を狙う。バスをタテにしていた事実も描写されている
22日〜26日は市民軍によって自治が行われる。
フンスが男性を集めて演説をし、軍隊経験があるものは前へでろと言っているシーン
しかし27日早朝、韓国軍が戦車で市内に侵入し、武力鎮圧する。
光州市民が武装し、光州支庁に立てこもる。そこへ軍の戦車が来て攻撃するシーン
多数の死傷者が出る痛ましい事件の幕引きとなる。

◆原題『華麗なる休暇』◆
『華麗なる休暇』とは光州に軍隊が投入された作戦名

◆報道◆
メディア関係は軍統治下であったため報道はされなかった。情報は外国のメディアによってもたらされたとの事。
市民が武装しているときにテレビが嘘の放送をしているのに怒るシーンと、棺が並んでいる所でミヌがジヌの棺の前で動けないでいるシーンで、後方に外国人の記者が写っている。英字新聞を広げて世界にこの事実が広まったと言ってるシーン
◆ドラマ・映画 ◆
ドラマ:『砂時計』(1995年) 、『第4共和国』(1995年) 、『第5共和国』(2005年)
映画:『花びら』(1996年) 、『ペパーミント・キャンディ』(1999年) 、『華麗なる休暇(邦題:光州5・18)』(2007年) 、『懐かしの庭』(2007年)

◆参考サイト◆
当時の写真:http://www.518.org/main.html?TM18MF=A030105
↑これらの写真を見ると、映画がいかに現実に忠実だったかわかります
Wilipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E5.8F.82.E8.80.83.E8.B3.87.E6.96.99
当時のニュース:http://www.youtube.com/v/iz1199XZeQ0
プロモーションビデオ:http://www.chosunonline.com/article/20070720000024
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映画『王の男』でチョン・ジニョンssiが演じていた王は歴史上有名な暴君 燕山君(ヨンサングン)。
朝鮮王朝の第10国王。

父である第9国王成宗(ソンジョン)の在位は1469年から1494年までの25年と長く、政治的には一応の安定を見た。映画の中でも「先代は・・・ 先代に・・・」という言葉がよく出ていた。それだけ慕われていた。

第9国王没に伴い、18歳で王位についた燕山君は当初、貧民を救済して、「国朝宝鑑」など多くの書籍を編纂し、外勢の侵略を阻んで城を築くなど、安定した政治を行っていた。

ところが即位して4年経った時、王は豹変する。まだ幼かった頃に実母を殺されたため、事実を知らなかったが、この時実権を握ろうとするものから実母の死の真相の密告を受けた。
ドラマ『チャングムの誓い』でも冒頭、母を殺され怒り狂う王の様子が描かれている。
激高した王はその関係者を処罰する。
死薬を主張した官僚たちが最初に血祭りにあげられた。その次に廃妃へと母親を追いやった張本人たち、祖母の王太后と父王の二人の側室を自分の手で殺してしまった。王の横暴な振る舞いをいさめる閣僚や官僚を即座に左遷・配流としたり、酷い時は殺すこともいとわなかった。父王の兄嫁、つまり叔母に当たる人に暴行を加えて自殺に追いやった。美貌の人妻を自分の寵妃にすえて酒色におぼれ、贅沢や遊興に国庫を使い果たした。

一方、高級芸者・妓生の文化が栄えた。妓生の身分が細かく整えられ、技能向上がはかられ、貴族たちの宴会になくてはならない存在となった。また、外国の使節を接待する重要な外交手段としても活躍した。
朝鮮王朝では賎民とされた大道芸人を、臣下の反対を押し切って初めて王宮に召し抱えたのも燕山君。
彼は結果的に、口を利くのはもちろん、目を合わせることさえ許されないくらい身分差のある芸人たちに活躍するチャンスを与えた

このあたりは映画の中で描かれているとおり。

王権を利用した凶暴な独裁政治を行ったため、臣下たちの離反を招き、1506年9月クーデーターにより江華島に流される。配流からおよそ2ヵ月後、燕山君は30歳という若さで病死した。餓死したという説もある。
燕山君の寵姫である張緑水(チャン・ノクス)は反対勢力の手により処刑された。

暴君として廃された王であるため、廟号、尊号、諡号、陵名はない。
「君」という王の兄弟としての名前で呼ばれる(通常、王には「宗」、「祖」の称号が贈られる)

後継の第11国王には成宗の次男で燕山君の異母弟である晋城大君(チンソンデグン)懌(のちの中宗)が推戴された。ドラマ『チャングムの誓い』でヒロインのチャングムが仕えることでも有名な中宗(チュンジョン)。
チャングムでも、幼いチャングムが中宗にお祝いのお酒を持ってくるシーンにこのあたりが描写されている。
第12国王仁宗(インジョン)は幼少から病弱で、チャングムが自らの舌を麻痺させてまで治療法を発見するシーンと最終話に登場、第13国王明宗(ミョンジョン)は痘瘡でチャングムに助けられるシーンに登場。

ちなみに図の第4国王世宗(セジョン)はハングル(訓民正音)の制定を行ったことで知られ、朝鮮王朝時代の歴代君主中もっとも優れた君主とされる。ヨイド公園に世宗王の銅像がある。
*映画レビューの学習ノート部分抜粋です

■イ・スンマン大統領
  朝鮮戦争後、38度線で分断され、北はソ連の後押しで金・日成、南はアメリカ留学経験があるイ・スンマンが大統領としてアメリカに後押しされる。こうして初の韓国大統領が生まれる。
■四捨五入
 1954年当時の憲法では、大統領の任期は2期までで、3選はできなかった。そこでイ・スンマン及び与党自由党は「初代大統領にかぎって三選禁止規定を撤廃する」という改憲案を提出した。
 11月27日の国会投票では、議員203人中、賛成135票、反対60票、棄権7票、無効票1票という結果になった。
 可決には議会の3分の2に至る135.33票以上、136票が必要だったが、1票届かず、改憲案は否決されるはずだった。
 イ・スンマン派の国会議長は、135.33票とは社会通念上の通念である四捨五入を用いれば135票であり、改憲に必要な3分の2を超えているとして改憲案の可決を宣言した。

当時、この「四捨五入」が流行っていて、ハンモも「妊娠5か月を過ぎていれば四捨五入したら人間だ。産め!」と説得。
■馬山事件
1960年3月15日、大統領イ・スンマンの当選が報じられると、特に不正がひどかった慶尚南道馬山では民主党馬山支部が「選挙放棄」を宣言。それが即座に不正選挙を糾弾するデモへと発展し、これに市民も参加。「デモは共産党主義者の扇動」を主張する当局がデモ隊に発砲し、8人死亡50人以上が怪我という惨事になった。
 4月11日、このデモを見物に行き、そのまま行方不明になっていた高校生・金朱烈が馬山の海岸で頭に催涙弾を打ち込まれた遺体で発見された。
 市民・学生などは、当局に彼の死因を究明する要求を掲げ、再度デモを行ったが、当局は再び「デモは共産党主義者の扇動」とこれを鎮圧し、デモの主導者を逮捕した。
■4.19革命
 馬山事件に抗議するデモは瞬く間に韓国中に飛び火し、4月18日には高麗大学の学生が国会前で座り
込み(帰宅途中に暴漢に襲われ、多数の負傷者が出た)、翌4月19日にはソウルで数万人規模のデモが行
われた。 各主要都市でも学生と警察隊が衝突し、186人の死者を出した。
 ナガンが生まれた日のデモはこれにあたる。
■4月26日午前 イ・スンマン 辞任
 政府は各主要都市に非常戒厳令を布告した。
 デモは約1週間続き、4月26日午前、イ・スンマンはラジオで「国民が望むなら大統領職を辞任する」と宣言した。その後、パク・チョンヒが5月16日に軍事クーデタをおこし、政権を掌握。イ・スンマン政権は終焉。
ハンモがラジオを聞いて、大統領の写真を取り換えてるシーンがここ。
■大統領と警護室長、情報部長
理髪店を訪れたのはチャン警護室長。官邸でハンモが「豆腐一丁」ですといったときに一人だけ笑っていない人がパク情報部長。
閣下に四捨五入のナガンの話をしているときに、閣下は日本陸士学校で学んだと言っている。四捨五入は日本から来たもの。
サングラスをかけて3人で爆笑したあと、「今日も最高の・・・」という日本語のセリフがある。
実際にパク・チョンヒ大統領は日本語をよく使っていた。 映画ではなんて言ってるか聞き取れない
日曜日のランチで子供が悪ふざけしたときに、閣下の子供がナガンに突き飛ばされたとき、情報部長が「警護室長は何してる!」としかりつけている。このことからも警護室長と情報室部長の確執が見える
■ハンモがびびっていた様子
ヒゲそりを失敗したときや閣下に四捨五入の話をした後、ハンモが夢でうなされたほどびびっていたのは
泣く子も黙る情報中央部の恐ろしさから。
■理髪店で手伝いをしているチンギ
お店でツイストを踊りながら、ベトナム戦争の話をしている。映画『ラブストーリー』でもフォークダンスの時、テスが突然アメリカの曲に変えてみんなツイストを踊る。当時、とても人気があった。
ベトナム戦争のシーンでアメリカ兵士に馬鹿にされるシーン。実際、差別は厳しかった。
戦争からかえってきて口数が減った。『ホワイト・バッジ』でも戦争で人生が変わってしまった兵士の苦しみを描いている
■北朝鮮の侵入
 山で銃を持って用を足すシーン。『シルミド』はこの北朝鮮の侵入に備えて準備したもの。
■竜
山寺のお医者様のセリフ「数年後に竜が死ぬから」と言っていた。それは大統領の死。
韓国は王や大統領を竜としていた
■大統領暗殺
「今晩、警護室長と情報部長と一杯やるが一緒にくるか?」と大統領がハンモに言ったセリフ。この日が
1979.10.26パク・チョンヒ大統領暗殺。映画『ユゴ〜大統領有故〜』や『DMZ 非武装地帯 追憶の三十八度線』
『ユゴ〜大統領有故〜』を理解するために、蚊取犬が勉強した内容です。
この映画を見るヒントになると思います。

◆パク・チョンヒ大統領◆
貧しい農家に生まれたが、とても優秀であったため満州国軍新京軍官学校を首席で卒業し
日本の陸軍士官学校に留学していた。その当時の名前は高木正雄。

1961年5月16日軍事クーデターを起こし、政権を掌握。イ・スンマン政権は終焉。
1963から、暗殺される1979年の16年間独裁政権を握る。
「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長を成し遂げる。そのためにアメリカから軍事支援、日本から経済援助を受ける必要があった
1968年ベトナム戦争への国軍派兵(*1)、また日韓国交正常化を断行する。
1969年は10月維新と呼ばれる憲法で禁止されていた「三選」(長期の独裁政権を避けるため、大統領の任期は二期と憲法で決まっていたのだが、三期にするというもの)を改定。(結局、三選には留まらず四選禁止事項までも消滅させた)
これらのことで、各地で学生や市民によるデモ(*2)が勃発していた。

1974年8月15日 日本植民地から解放された祝賀記念の光復節の行事で、夫人ユク・ヨンスが銃殺される(文世光(ムン・セグァン)事件)
その後、娘2人と愛犬(スピッツでパンウリという名前)と青瓦台(大統領官邸)の2階で生活する。
6時になると職員たちが帰宅してしまうため、かなりさみしかったとの事。娘のパク・クネはハンナラ党前代表。

◆主な登場人物◆
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シネマート六本木のサイトにある人物相関図が分かりやすいのでそれを見つつ、下記を参照してください。
↑クリックすると拡大します。

俳優名役名実名当時の年齢所属説明
パク・ユンシクキム部長キム・ジェギュ54韓国中央情報部(KCIA)大統領の腹心。チャ大統領警護室長との権力闘争に不利な上、肝臓を患っていることによる精神不安定。大統領を暗殺。80年5月20日ソウル拘置所にて絞首刑
ハン・ソッキュチュ課長パク・ソノ45韓国中央情報部(KCIA)KCIA儀典担当。大統領の宴会のために女性を調達する仕事に不満。キム部長のため暗殺に参加。80年5月24日ソウル拘置所にて絞首刑
キム・ウンスミン大佐パク・フンジェ40韓国中央情報部(KCIA)現役軍人でキム部長の部下で秘書。暗殺にはためらうがキム部長の恩義のため参加。1回の軍法会議で銃殺
イ・ジェグクォン・ヨンジュイ・ギジュ32韓国中央情報部(KCIA)チュ課長の部下。チュ課長と同様海軍出身。暗殺現場宮井洞(クンジョンドン)の警備員。絞首刑。
キム・サンホチャン・ウォンテキム・テウォン36韓国中央情報部(KCIA)チュ課長の部下。暗殺現場宮井洞(クンジョンドン)の警備員。暗殺当日非番だったがチュ課長に呼びだされ参加。絞首刑
キム・ソンウクウォン・サンウクユ・ソンオク-韓国中央情報部(KCIA)チュ課長の運転手。陸軍出身という理由からチュ課長の命令で暗殺に参加。絞首刑。
ソン・ジェホパク・チョンヒパク・チョンヒ63大統領1963〜1979の16年間政権を握っていた独裁者だが、部下からは”オヤジ"呼ばれるほど穏やか。KCIAでは女性を呼んでしばしば宴会を行っていた。キム部長により銃撃
クォン・ビョンギルヤン秘書室長キム・ゲウォン-大統領秘書室長主な任務は大統領の飲み友達。この暗殺の生き証人。キム部長の友人
チョン・ウォンジュンチャ警護室長チャ・ジチョル45大統領警護室長傲慢な性格でKCIAキム部長と確執。パク大統領にはかわいがられていた。暗殺現場で大統領と共にキム部長に銃撃される
チョン・インギシン・ヨンフンチョン・イニョン-大統領警護主任海軍で同期だった親友のチュ課長により銃撃
チョン・ウハン・ジェグクアン・ジェソン-大統領警護副主任狙撃の名手。チュ課長により銃撃
チュ・サンゴンシム・サンヒョシム・サンヒョ-宮井洞執事暗殺を一部始終見ていた証人。のちに逮捕され、拷問を受けるが不起訴。その後行方不明
チョ・ウンジチョシン・ジェスン-女子大生自称モデル。チュ課長から連絡があり宴会に参加し、暗殺を目撃
キム・ウナシムシム・スボン-歌手大統領のお気に入りの歌手。宴会に呼ばれ暗殺を目撃
キム・ヨンインチェ・ギュハチェ・ギュハ-国務総理パク大統領暗殺後、憲法に則り大統領権限代行となる
チョン・ジョンジュンチョン・スンファチョン・スンファ-陸軍参謀総長暗殺日にキム部長と夕飯の約束をし、宮井洞の別の部屋にいた

*この後の文章は映画が分かりやすくなるように、役名で記述します

◆暗殺背景◆
1979年10月26日19:30 韓国中央情報部(KCIA)の宮井洞にて当時の大統領パク・チョンヒ暗殺事件が起こる。
主犯のKCIAキム部長がパク大統領とチャ警護室長を射殺。
KCIAチュ課長が大統領警護主任と副主任を射殺。
チュ課長の部下が大統領側の警備員達を射殺した。

事件の19年後にキム・ゲウォン大統領秘書室長の証言で明らかになる

◆暗殺当日の流れ(必要部分のみ抜粋)◆
時刻行動
午前パク大統領チャ警護室長、ヤン秘書室長らと共にKBS唐津(タンジン)送信所の竣工式出席
14:30  パク大統領ヘリコプターで青瓦台に戻る
16:00  パク大統領夜、大行事(宮井洞での宴会)を行うと部下に伝える
16:10  キム部長チャ警護室長から大行事の電話を受け取る。チュ課長に女性を調達するように命令
16:20  キム部長宮井洞に到着
16:40  キム部長ミン大佐にインターフォン。チョン・スンファ陸軍参謀総長に電話をし、宮井洞で夕飯の約束をする
17:10  チュ課長プラザホテルで女子大生シンと待ち合わせ
17:20  ヤン秘書室長宮井洞到着
17:40  キム部長・ヤン秘書室長宮井洞ナ棟(宴会場)に移動
17:50  チャ警護室長青瓦台の付属室へ
18:00  チュ課長ニューネジャホテルで歌手シムと待ち合わせ(本当は17:30の予定だったが、シムが遅れたため、チュ課長と女子大生シンは30分ほど待たされる)
18:05  パク大統領ら大統領、チャ警護室長、シン・ヨンフンが宮井洞ナ棟に到着。ハン・ジェグクは後続車で到着
18:15  チュ課長女子大生シン、歌手シムと共に宮井洞に到着
18:30  チャ警護室長合図があったら女性達を宴会場に入れろと命令。その間、女性たちは書類に署名させられる(宴会のことは口外しない旨)
18:40  キム部長宴会の席を立ち、旧館へ。チュ課長、ミン大佐に暗殺を打ち明ける。このとき、わずは1分ほどの会話だった。チュ課長はクォン・ヨンジュ、ウォン・サンウクに銃を準備させる。非番のチャン・ウォンテに出勤命令
19:20  ミン大佐宮井洞ナ棟に到着
19:25  クォン・ヨンジュ同僚ソ・ヨンジュンの銃を借りる
19:30  事件発生。ヤン秘書室長はテーブルの下に隠れ、事件を目撃。テーブルは掘りごたつのようになっていて、以前大統領が「何かあったらここに体をいれられる」と言っていたことがある。女子大生シンは大統領の右側、キム部長の向いに座っていたため、目の前で目撃。
19:35  チャン・ウォンテ宮井洞ナ棟に到着
19:58  パク大統領病院へ搬送される

◆暗殺理由◆
1.チャ大統領警護室長怨恨説:朝鮮日報などがこの説を支持。日ごろからチャ室長の傲慢な態度や越権行為に立腹したいたとの事(*3)。暗殺日午前にKBS唐津(タンジン)送信所の竣工式へ出かける際も本来ならキム部長、ヤン秘書室長、チャ警護室長で大統領のお供をするのだが、ヘリコプターが満席という理由でチャ警護室長はキム部長にソウルにいるように言う。また、暗殺が実行された宴会でも大統領とチャ警護室長がキム部長を叱責した。

2.民主主義復活説:キム部長担当弁護士などが支持。パク大統領の弾圧を受けた言や人を救うため

3.米国関与説:キム部長は「私の後ろには米国がいる」と言っていた。CIAソウル支局長などと密会していたり、パク大統領の核兵器開発問題、コリアゲート事件、事件問題など当時の韓米関係は最悪だった

4.キム部長精神病説:短期な性格ですぐ相手をなぐりつける。ひとの意見に流されやすいと言われている。ただし、友人であるヤン秘書室長がこの説を否定。もしこの説が正しいなら宴会に同席していた女性2人も殺されていてもおかしくない。

5.キム部長肝臓癌説:毎日午後になるとKCIAの2階にあるキム部長の部屋で休憩をしなくてはいけないほど症状は悪化していた。担当医によるとあと2〜3年くらいの寿命ではなかったかとの事。ただし当時まだ癌ではなかった

6.キム部長野望説:パク大統領を殺して、自分がトップになる。ただし当時肝臓悪化で苦しんでいたため決定力に欠ける説と言える

◆事件後の流れ◆
パク大統領暗殺により、憲法に基づき大統領権限代行として当時国務総理チェ・ギュハが12月6日に大統領に就任。8か月在任する。
事件は当時保安司令官チョン・ドゥファン(全斗煥)が進め、キム部長を取り調べている。
12月12日チョン・ドゥファンがクーデターを起こす。陸軍参謀総長チョン・スンファを逮捕。チョン・スンファはキム部長から食事の誘いを受け、暗殺現場と同じ敷地にいたにも関わらず、キム部長を逮捕しなかったことから共謀の容疑をかけられる。(12.12粛軍クーデター)
このことでチョン・ドゥファンが軍事の実権を握り、大統領へ。

◆注釈(他の映画とのリンク)◆
1.映画『ラブストーリー』でチョ・スンウ扮するジュナが出兵。『ホワイトバッジ』もベトナム戦争関連
2.映画『下流人生』でや『夏物語』に出てくるデモシーン。『下流人生』が50年間くらいを描写しているので、映画が失敗し、軍事関連の仕事で設けているときがちょうどこの頃。『夏物語』はベトナム戦争反対デモ。学生デモのスローガンは「三選反対」
3.映画『大統領の理髪師』でも大統領府警護室長チャン・ヒョクス(チャ警護室長)と情報部長パク・チョンマン(キム部長)の確執が描写されている

◆参考サイト◆
シネマート六本木:http://www.cinemart.co.jp/yugo/
韓国歴代大統領:http://www.l-o-a.net/history/president.html
10.26朴正煕大統領射殺事件:http://1026.skr.jp/1026/

*誤り等がありましたら、お知らせください。調べ直します^^

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