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Fraternity of the Hidden Light
Fraternitas L.V.X. Occulta, Japan Lodge

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2018年3月末から4月上旬にかけて、アメリカのダラスロッジおよびオーストラリアのアデレードロッジからアデプトたちが東京に集結しました。

直前まで日本は季節外れの寒波に見舞われ、雪が降ったりしましたが、彼らの来日に合わせたように日本には温かい日差しが降り注ぎ、桜は満開を迎えました。

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魔術の径を歩む者は時に孤独を感じるものです。趣味でやっているうちは家族や友達にも気軽に魔術の話ができるかもしれません。しかし真剣な気持ちで魔術の学徒になる者は、「秘密」を抱えることになります。周囲の人に話せない、話してもわかってもらえないから話さない秘密を背負うことになります。それだけではなく魔術には「沈黙」という原則および美徳がありますから、そもそも周囲にべらべらと話すものではありません。

魔術の学徒は、一人の時間には、小難しい魔術書を読み、テレビをみてだらだら過ごしたい気持ちと闘い、己を鍛えるために意識を集中させ、儀式や瞑想をします。東京の場合、友人を自宅に招くことがなくても友達として付き合うことは可能でしょうが、恋人となると話は別です。自宅に魔術書がたくさんあったり、ないしは瞑想のための場所、神殿などを作れば、人を家に呼べなくなることもあるでしょう。魔術の学徒になることで、恋愛関係が破たんしたり、配偶者の理解が得られず離婚に至ることさえあるのです。

そのような孤独な径を歩む学徒にとって、仲間は大切です。グループとして活動することにより、魔術団の歴史で我々が目にしてきたように、衝突もあるでしょうが、エゴの増大は錬金術的変容の一環です。それらを乗り越えて仲間としてのきずなを形成したのなら、それは魔術という厳しい道のりにおいて、大きな支えになります。

彼らは1週間の滞在において、各種の儀式や講演会など、食事もまともに取れないようなタイトなスケジュールをこなしてくれました。時差ぼけもあったでしょうに、日によっては3時間くらいしか睡眠がとれないほど予定が詰まっていたにもかかわらず、強靭な精神力で乗り切ってくれました。もちろん仲間としてのきずなを深めるため、観光をしたり、一緒に食事をしたりして、親睦を深めました。これもまた、団の兄弟姉妹としての重要な活動です。

今回、私が彼らと一週間共に過ごすことで、気づかされたことは多いのですが、そのうちいくつかを今回、みなさんと共有したいと思います。

一つに回帰の径を歩むべくイニシエートを受け入れる魔術団とは「誰かの所有物」ではない、ということです。世界には現在、いくつもの魔術団があり、それぞれに「創始者」は「創設者」と言われる人が存在します。またそれらの団には支部があり、各支部の代表者がいます。しかし注意すべきなのは、そうした団や支部は、だれかれの団、だれかれの支部ではないということです。つまり魔術団は「だれだれさんの団」ではなく「サードオーダーの団」なのです。

“接触を受けた”魔術団というのはあくまでも非物質の領域にいるサードオーダーらの指揮下にあることを絶対に忘れてはいけません。我々人間は、サードオーダーに許されて働かせてもらっているのだということを常に覚えておく必要があります。サードオーダーはすべておみとおしです。リーダー的存在の人物が団に破壊と分断をもたらすような行動を続ければ、サードオーダーとのリンクを失います。そしてそうした人物は団から外されるか、ないしは団や支部そのものが一度解散になり、新しい形で再生したりします。アデプト位階に到達し指導的立場に立つようになった者は、セカンドオーダーのカリキュラムである儀式魔術を実践するなかで、徐々に自己の中に魔術的能力の目覚めを自覚するようになるでしょうが、それはあくまでも奉仕のために使うべき能力として与えられたのであり、「ああ、自分はこんなことができるんだ、すごいんだ」という誤解を抱けば、あっという間に傲慢という悪徳に陥ります。そのような状態になり、傲慢の極みをつくせば、サードオーダーから「解雇」されます。また、ティファレト位階で傲慢を克服できなければ、そのうえのアデプタス・メイジャーに進めないだけでなく、進んだとしても、ラメドに待ち受ける女神の正義の剣に切り刻まれ、ゲブラーの炎に焼かれてしまうでしょう。自分の欲だけで秘義を知ることは、こういう点からいっても、絶対に無理なのです。

サードオーダーとの接触がなくても団として存在しているところもあります。しかしリンクがあるかどうかは、中にはいってみればすぐにわかります。そこには真の意味での奉仕の精神が存在するはずです。しつこいようですが、回帰の径において秘義を知るにはそれしかないのです。

さて、もう一つ、私が今回、痛感したこと。「儀式は美しく行え」

儀式というのは物質レベルで高次宇宙を表現したものです。それゆえに言葉も身振りも、すべて美しく表現し、高次元からの光のなか、恍惚の意識レベルを表現するものであるべきだと思います。美しく儀式を行い、同じ美をあらゆるレベルで顕現せよ。ということです。

暴力的な言葉はふるまいは自我の現れです。宇宙の意識に自分の意識を融合させ、恍惚の光に溶けいくのなら、当然、そこで表現されるものは、美しいものであるはずです。ときどきネットの動画サイトなどで五芒星の儀式をはじめとした各種儀式を目にしますが、自我を激しく表現するようなやり方よりも、儀式で調和と美を表現できる魔術師になりたい、と私は考えます。


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