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Fraternity of the Hidden Light
Fraternitas L.V.X. Occulta, Japan Lodge

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魔術修行とは

「魔術師」になりたい… という思いを抱き、魔術を学び始める人は多くいます。自ら独学の道を選択する人もいれば、どこかの結社に入団して学びを進める人もいるでしょう。独学の場合、情報量や指導者の不足もそうですが、参入儀礼を受けられないという点からも、困難な歩みになるケースが多いと思います。「イニシエーションとはギフトである」と”By Names and Images”の著者であるPeregrin Wildoak氏は述べています。一人の志願者がニオファイトの儀式を受けるまでに、どれだけの人数のイニシエートが時間と労力と使ったのか、イニシエーションにあたる司官らが、どれだけの年数、修行を重ねてきたのか… そうした点を考えると、神殿に案内される志願者は、ギフトとして参入儀礼を受けるのだとわかります。参入儀式を効果的に行うには、単なる動きだけではなく、セカンドオーダーの団員だけに教えられるインナーワーキング(視覚化)などが多く含まれており、一人のアデプトが育つまでの大変さを考えれば、何人のもイニシエーターが集まり、一人の志願者を参入させることの重大さがわかるでしょう。もちろん、少なくともF.L.O.においては、イニシエーションの実施により金銭的に儲けを得る人は誰一人いません。

もちろん、個人の生活の状況により、独学でしか学べないこともあるでしょう。その場合は、できる限りの努力をするしかありません。独学であっても、その志が誠実なものであれば、不可視の領域にいるガイドは、その学徒を見守っているはずです。そしていつか、それが今生でないにしても、いつかは仲間のもとに導かれる日がくると思います。

さて、では魔術師の修行生活とはどのようなものなのでしょうか? 実践する魔術体系によっても違うでしょうし、ソロなのか、どこかの団のメンバーなのかによっても違うと思います。また教育カリキュラムがきちんと組まれた団であっても、やるかやらないかは結局は個人の選択ですから、修行などほとんどしてない、という団員もいるでしょう。イニシエーションを受けても、受けっぱなしでは霊的進化はさほど進みません。個人の努力なくしては成長はないのです。ミュージシャンになりたいのなら楽器を練習する、アスリートになりたいなら筋トレをするのと同じです。

しかし通常は、魔術の径の歩みのはじめに、学徒は学ぶことの多さに圧倒されます。本を読んでも最初はまったく理解できないかもしれませんし、学ぶべき分野の多さに途方に暮れることもあります。しかも、それが一生続くのです。魔術の場合、「全部学んだ」ということは絶対にありません。学んでも学んでも、まだまだ次があるのです。圧倒されて、挫折する人もいますし、途中で何年か休む人もいます。

逆に「一体、なにをそんなにやることがあるのか?」と思う人もいるかもしれません。私が20代のころ、交際をしていた男性が、私が魔術に興味を持っているのを知り、「なんだ、魔術か。自分は1週間で魔術をマスターしてやる」と、秋端氏の「実践魔術講座」(通称:赤本)を買って、必死になっていましたが、もちろん、一週間どころか、魔術においては一生あっても足りません。

まず知識として学ぶべき分野は多岐にわたります。カバラ、錬金術、タロット、魔術理論、占星術、神話、etc… 一つの分野だけを学ぶのにも、長い時間がかかります。実践面である儀式魔術においては、「瞑想法」「視覚化」「集中力」など、長年の訓練を必要とするものばかりです。また、レポートや論文作成も、団の位階の課題として絶え間なく取り組まねばなりません。

時に学徒は「秘儀をすぐに知ることができる術式を教えてほしい」という思いに駆られますが、そんなものは存在しません。例えば現在公開されている五芒星の儀式を一つとってみても、読んだだけではわからないだけでなく、実践してみても、その意味が分かるようになるには、相当の修行が必要になります。召喚する天使のテレズマ像の構築、それらの存在らと交流できる能力、召喚したエネルギーを感じ取る能力、召喚した諸力領域の霊視、護符の作成に必要な諸力に関する理解…。ただひたすら、謙虚な気持ちで「奉仕するために知りたい」という意図のもと、たんたんと訓練を続けるしかありません。

これらを考えると、時間はいくらあっても足りないのだ、と気が付きます。もちろん、仕事を休んで一日10時間の修行を続けてみたり、寝ないで本を読んだり、家族や仕事をないがしろにしたり、というのはいけません。また焦って次の位階に進もうと、適当に試験だけパスして上に行くのもお勧めしません。そういう意味では「ゆっくりと着実に進め」ということなのですが、それはなにも「だらだらやれ」ということではありません。「やるべきことはやりつつ、勤勉であれ」ということです。

まず学徒は、魔術の修行生活の基盤となるべく、きちんと収入源となる仕事をすべきです。魔術を始めたら、魔術師なんだから、お金が入ってくるんじゃないの? などという考えは間違いです。むしろ、径に歩みだしたばかりのころは、より困難な状況に陥ることさえあります。そして、きちんと心と体のケアをすること。特に心に関しては、精神障害があるうちは、魔術はしないほうがよいでしょう。心に抱く心像はやがては肉体に影響を及ぼします。そういう意味で、魔術は本当に「危険」なのです。半端な気持ちでやるべきではありません。

そして学徒は徐々に犠牲の意味を知り、犠牲の祭壇に、一つ、そしてまた一つ、と修行の妨げになるものを捧げていきます。それは強制ではありません。自然と自分の意志で、そうしたい、そうするしかない、と思うようになるのです。

また径においても、「犠牲」への意志を試される場所があります。その一つがサメクの径ですが、その神聖な犠牲の意味も、勇敢にその径に歩みを進めたもののみが知りえる秘儀/秘義なのです。

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