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Fraternity of the Hidden Light
Fraternitas L.V.X. Occulta, Japan Lodge

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もう15年以上も前のことです。20年近く経つかもしれません。私は魔術の学徒として、すでに複数の魔術団で修行を開始していました。私の場合、訓練をうけた教育機関としての魔術団はドロレス・アシュクロフト=ノーウィッキ氏の指導下にあった英国のServants of the Light(SOL)や米国でBOTAの伝統を引き継ぐポール・クラーク氏指導下のFraternity of the Hidden Light(FLO)など、ある意味「まじめ」な団体ばかりだったのですが、まだ若く刺激を求めていた私は、例えばサタン教会創始者のアントン・ラヴェイの本などを読んで喜んでいました。


生命の樹にもとづく瞑想、タロットカードの塗り絵、SOL修行時代には、自分になじみのない英国の文化色が強い象徴群などを、一生懸命に学んでいました。カバラの「カ」もろくに知らない状態からはじめ、SOLで学ぶなら必須のアーサー王伝説さえ、初耳だったのです。まだアマゾンでオンラインショッピングができるような時代でもなく、ネット検索もまだそれほど普及していませんでしたから、ビデオ屋にいって映画の「アーサー王伝説」を探して買ったのを覚えています。


そして永遠と続く日々の修行。毎日瞑想ばかりです。そしてよくわからない文書を読み、レポート作成をしたり、はたしてなんの役にたつかわからないヘブライ語を暗記したり…。行うべき真面目な修行にうんざりして、時々ラヴェイ氏をはじめとする一部の本や、キリスト教原理主義者が作成したプロパガンダ的ビデオ(セクシーな薄着の女性魔術師等が登場して意味不明の儀式をする系)を見てうさばらしをしていた感はあります。


そのような体験は、特に若くして「回帰の径」に入った学徒にはよくあることではないでしょうか? そんななか、ある日、一部の魔術師仲間の間で「イボケーションをやってみよう!」という話で盛り上がりました。イボケーション(evocation)とは日本語ではよく「喚起」と訳されていますが、悪魔をはじめとする霊を三角形のなかに目に見える形で顕現させることです。有名なところでは1896年にGDのフローレンス・ファーらが行った水星の霊タフターサラスのイボケーションなどが伝わっています。最近ではロン・ミロ・デユッケット氏などが自身の体験を著書で記していたり、またポール・クラーク氏のよき友人でもあるポーク・リニヨン氏などはイボケーションを中心とした実践をよく行っている人物として知られています。

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さて、若き日の私とその仲間たちが話題にしたイボケーションは結局行われることはありませんでした。今思えばやらなくて大正解だったと思います。


このイボケーションはそれとよく比較されるインボケーション(invocation=召喚)と違い、なにかと誤解が多い分野ではあります。15年くらい前にニューエイジ系のプラクティショナーであるアメリカ人の知人が以前、ポーク・リニヨン氏のビデオを見て、眉をしかめていたのを覚えています。「一体あんな非友好的なものを呼び出して、なにになるんだ?」と。「ああ、ああやって霊を呼び出すことで彼らの進化を促すんだよ」といったような回答を当時、彼にしたのを記憶していますが、どうにも理解されるはずもなく、なんとも気まずい雰囲気になりました。(そもそも魔術には無縁の彼がなぜそのビデオを見たのかが不可解ですが…)


たしかにこの儀式ばかりは、いくら人類への奉仕を語っても、理解されにくいように思います。ではGD系列の団においては、イボケーションはどういう位置づけなのでしょうか?


まずイボケーションによって喚起される霊は、いったいどこからくるのでしょうか? 近代魔術の思想では、ヘルメス学的原則「上のごとく下もまたしかり」に従い、人間は宇宙を映す鏡である、つまり小宇宙である、と言われています。つまり自分のなかに天使も悪魔も宇宙におけるすべての諸力が存在しているという考えです。


悪魔喚起の場合、三角形のなかに顕現させる霊は、魔術師の一部であり、そしてまた集合意識の一部でもあるわけです。


さてイボケーションを行う際、魔術師は円のなかにとどまりますが、この円は「神聖なる高次の意志」を象徴し、魔術師はそれと自分を同一視します。そこから顕現させた霊に命じることで、そうした存在らを「高次の意志」の下に置くことになります。そのため、イボケーションにおいてもやはり自分の利益のためではなく、ここでもまた「奉仕」という概念のもと実践されるべきです。


私の友人であり魔術師仲間でもあるPeregrin Wildoak氏は自身の著書By Names and Imagesのなかでイボケーションは6=5位階で行うべきと述べ、以下のように話しています。


The magician, therefore has little concern about personal development as such as and begins to focus more and more on transpersonal service.  This comes to fruition during the following grade of Adeptus Exemptus. (従って魔術師は個人的な発展にはほとんど関心を持たず、ますます個を超えた奉仕に焦点を当てるようになっていく。これは次の位階アデプタス・イグゼンプタスにおいて完遂する。)


ゆえにイボケーションは神の「意志」を実践し、剣を持って「悪」と戦うアデプタス・メイジャー(6=5)以上に到達した達人によってのみ実践されるべきです。どんな悪や霊と対峙してもブリアーレベルの意識レベルを維持し、微動だにせず彼らに命令できるレベルに到達したもののみが安全に行えるものです。

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もう少し具体的にイボケーションの危険について考えてみます。霊に姿を与えるのは主に円の中にたつ魔術師のエーテル体です。お香やハーブの煙で十分ということはありません。術の目的が「悪魔と対峙し、それに命令し、そして再統合を果たす」ことであれば、魔術師自身のエーテルエネルギーを使う必要があります。ようは霊に形を与えるのは魔術師自身のエーテル体だということです。


エーテル体は肉体や物質のまわりにある「オーラ」のようなものですが、これが傷つけば肉体にも損傷が及びます。いかなる病も肉体に発現する前には、エーテル体(その前にはアストラル体)に現れるといわれていますから、イボケーションのリスクはこの点からも明らかです。未熟な状態で試みれば、憑依されたり、病気になる可能性も高いでしょう。エーテルリンクを確立すれば、その下位にある肉体のみならず、より微細なアストラル体(感情)やメンタル体(思考)にも影響が及びますから、発狂する可能性もあるでしょう。


儀式をやっていて、間違えることはよくあります。そのようなときはやり直しをしたり、あるいはそのまま過ぎ去ってしまうこともあると思います。しかしイボケーションにおいては一つのミスが取返しのつかない事態になることさえあるのです。イスラエル・リガルディーは「全書」のなかで次のように書いています。


Dependingon the nature of spirit, and the degree of manifestation, it is likely that thespiritual progress of the magician is at an end – at least as far as hiscurrent incarnation is concerned. (霊の性質および顕現化の度合いにもよるが、魔術師の霊的成長が終わってしまうことさえある。少なくとも今生においては。)


魔術のことを知れば知るほど、私は儀式をするにもより慎重にならざるを得ません。事実、儀式中のミスにより、大変な事態になったケースをいくつか知っているからです。宇宙の諸力を扱うのですから、つねに畏怖の念を忘れるべきではないと、私は考えます。25年くらい前、まだどの団にも所属していなかった頃、激しい感情に突き動かされ、本の知識だけを頼りに行ったやるべきではない儀式でひどい痛手を負い、その後何年にも苦しんだ私が自らの体験をもとに言うのです。魔術を実践するのなら、霊的成長と奉仕というしかるべき態度を持って近づくべきです。


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