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周防灘を前に僕は幼少の時間を過ごした。
少年期は海峡が意味を持ち、思春期はその海峡と共に過ごした。その周防灘と海峡は隣り合わせで海峡の潮が周防に流れ、周防の潮は海峡に流れ込む。
そんな周防灘に面する海岸を一三と秋がさしかかる頃歩いた。幼少の頃の地形は既に無く、採石の為そんなに高くない名も無い山は半分に削られ、「かぶら島」は全く姿を留めてなかった。この陸とつながる島では磯魚を釣り、そのメバル等を食し喜ぶ父の姿を思い出す。釣った比較的大きな魚は二枚にして、仙台味噌付けにするのを父は好んだ。
そんな事を思いながらゴロゴロした丸みを帯びた石を踏みしめ一三と歩いた。彼はサンダルを履き歩き慣れない海岸を距離を保ち付いて来る。彼の興味ある漂流物と僕のそれがどうしても異なるので僕との距離は常に保たれる。
黒色、黄色、赤色の長い三角形のビニールを先端に取り付けた旗竿がその距離を無くした。四、五メートルはある旗竿でその中間に劣化した発泡スチロールが取り付けられ頑丈にロープで結わえられていた。多分、漁に使った網位置を示す旗竿だろう。
それを引きずり歩くと、もっと先に同色の竹旗竿が半分砂利に埋り三色のビニールがはためいていた。
なぜか掘り起こし、その旗を岩場に立てる作業に夢中になった。
高麗川での石採取よりも一回り大きな石で竹旗竿を積み込み、倒れないようにする石の量は思いのほか大量で重労働だった。かなりの時間を費やしたが、途中追い付いて来た一三も無言で石を運んだ。
彼は石の積み込みに五月蝿い。僕が据え置いた石を何度も何度も表情に笑みを残し、無言で積み込み直した。僕達は等間隔に長い距離を保ち三本の竹旗竿を岩場に立てた。
それぞれの三色は周防の潮を強く意識させるはためきのそれであったが、幼少に受けた無邪気な潮風ではなかった。帰る途中に僕達は何度も振返り、黒、黄色そして赤色の動きを確認した。
漂流し、漂泊した周防灘の岩場に立てられた新たな三本の竹旗竿だった。
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