m12ozの日記

お絵描きと粘土遊びで考え感じた文字。

Museo/美術館

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櫟蝶。

(www.solopianoradio.com)
Nameless One / Robert Huntley.
Picture Window / Anne Marie David.


正式な名を知らないが、櫟蝶はいる。
冬の寒い朝、陽が差し込む櫟林の落ち葉の中から無数に湧き、舞う。
高く大空に舞うのではなく、やわらかく重なる凍てつく櫟の落ち葉を愛撫するように、低い位置での射し込む陽を浴びてキラリと瞬時に輝き、黄土色の小さな蝶は舞う。
僕は数度、吉村と薪ストーブの暖を取りながらガラス戸越しに見た。その美術館は前と左右に牧草地を従え、背後には櫟の森である。時々、野生の鹿が夜中から早朝に姿を現し鋭く鳴き、季節を問わず天空には満天の星を仰ぎみて、春から晩秋には牛達が牧草をゆったりと食む、そんな麻生鶴の台地に位置する櫟林の中、それは舞う。
遠い昔ではなく、つい最近の二年前ぐらいだろうか、その舞を見た時が何月であったかを思い出せないし、僕の問い掛けに吉村が「蝶だ」と断言する言葉の前後さえも憶えていないが、冬の寒い早朝である事は確かだ。
今日のように暖かく、やわらかい陽の早朝には、暖かさを浴び抜ける小さな蝶が舞うことだろう。
それが、櫟蝶。

Come Thou Fount / Jon Mutchier.
Inverness / Suzanne Ciani.

櫟の森美術館 3。

ほとんど僕は甘いものを食べない。
しかし有明海から美術館に向う阿蘇外輪山の秋を走行中、夏の終わりの太陽を浴びながら見えぬ阿蘇山を前にソフトクリームを食べた。看板を見て、「食べたい」と云う強い衝動を持ち、食べたいと感じ、「食べる」と決断した理由があの時にはあった。
が、それが何で在ったかを知る僕の細胞を今は無くしている。その衝動を裏付ける記憶を僕は持っていて、その記憶に於いて食べなければならない明確な理由と意味を持っていた。阿蘇外輪山の夏と秋の狭間の場所では意識下に、その記憶ゆえ、それを食べる意味があった。
今、その記憶が無い。
美術館での個展が終った2005年の12月、美術館に入る橋の袂に欅の木を櫟林の裏奥から吉村、一三と共に移植した。今回、その欅は見上げる程に成長していた。些細な事だが、欅の若木を掘り起こす吉村の大まかな、雑な、素早い作業や、一三の作業にまつわる「ゆるりの言葉」を思い出す事は出来る。移植した欅にバケツ一杯の水を橋下から汲み取り、掛放つ吉村の一部始終を記憶している。
だが、その欅の移植に関わった僕の行動の背後にあった記憶が消えている。
欅の木を移植する、その僕自身があの時に持っていた「意味」を記憶していた細胞が消失している。
何かの記念にとか、たんなる気紛れに移植した欅ではない。
僕の強い意志を裏付ける「その意味と記憶」が移植の背後にあった。

櫟の森美術館 2。

館内には、吉村郁夫の作品と櫟の森美術館で行われた吉村形による子供達とのワークショップでの作品も展示されていた。美術館背後に控える櫟の森で、子供達と形が自然の中で戯れた結果としての作品であった。僕等(一三、矢野、登、久美子、吉村郁夫)が櫟の森で戯れ、酔い尽くしながらの痕跡を美術館の至所に残した様に、彼もまた新たな痕跡を美術館に埋め込んでゆくのだろう。
その戯れの子供達からアートの世界に眼を向ける人の誕生も在るわけだ。
櫟の森に向う「山の神」が佇む自然石から成る階段は緑の苔で覆われて美しく変貌していた。「覆い尽くす」、何かが何かを覆い尽くす。覆い尽くすもの、覆い尽くされ隠されるもの。その苔の下に秘かに美しく隠された「もの」こそが櫟の森美術館なのだろう。
隠されたものは自然石であったり、櫟の落ち葉からなる腐葉土であったり、隠され覆われるそのものには意味はない。美しく隠され覆われる苔の存在でそれ等が意味をなす。
さゆみさんが僕達を迎えてくれた美術館裏で、日本茶を飲みながら僕はそんな事を思った。
僕自身が覆い尽くしている、僕自身がこの体と細胞で覆い隠している僕自身は何なんだろう。覆い尽くす僕は「美しい苔」と成りうるのだろうか。隠され、消えゆく細胞の裡にある痕跡と記憶はそれでも意味を持つのだろうか。

櫟の森美術館。

一年振りに、訪ねた。
向う途中の阿蘇外輪山からは雲に覆われた阿蘇山の気配を見た。刈り入れを終えた田んぼや遠くの町を見下ろすその向こうの見えぬ阿蘇山を友人と無言で眺めた。記憶の中に在る阿蘇で十分だった。噴煙を右に大きくなびかせる記憶だった。少年時代に残すその記憶で、多分最初の阿蘇山だったのだろう。
美術館の左右、前の牧草地には新しいトラックターが入り美しく整備され、牧草の種子を蒔いている。
吉村が残し逝った美術館はいつもの様にあった。
彼の巨大な自然石が座す左側にある牧草地は放ち置かれ、自然のまま草が自由に繁り、むしろ美しいと思え、あれほど吉村と一三、僕と三人で整備した水場も同様に自然のなすがままの姿だった。
秋の気配を知り、枯れる前の狂い繁る草の向こうには僕達の痕跡がますます錆び色強く、そこに在った。130ギャラリーのポスターにした有刺鉄線が巻き込まれた錆の塊は、宙に浮き微かに揺れる。数年の風雨と太陽を受け、今だに浮いていた。

彼を思う事は、まだ少し重い。
彼は吉村郁夫、画家であった。熊本県小国町の麻生鶴台地に彼の「櫟の森美術館」はある。
彼の個人美術館で、背後に連なる櫟の森と前面に広大な牧草地を眺める位置にあり、時々「一三の鹿」と名付けられた鹿の家族が横切る。その姿を僕達は一度見た。
そんな台地での真夜中の天空は星が時間の概念を消し去り、人の、個の、僕自身の在り方を星達の向こう側に在る闇の空間と対比させ、静かな混沌とした想いになる。
背後の「櫟の森」に入り込む石の階段は苔溢れ、数段昇る途中に地より突き抜ける自然石の先端が待ち受けるが、その石の先端は吉村夫人の「山の神」である。
無信仰の僕は石段を踏み、櫟に向い昇るさなかに「何も無い、ただの地中からの石なんだ」と思いながら、それでも必ず左手の掌を石の先端に添えて石肌を感じて櫟にたどり着く。
その吉村夫人から先日メールが届いた。
手打ち蕎麦会の案内で、旨い蕎麦を喰らい、櫟の森での焚き火と薩摩焼酎に酔う僕等の姿が駆け巡ったが、僕の参加は難しいと返答した。
蕎麦も、焼酎も吉村郁夫が逝った今は嫌だと思った。静かな混沌は、何処に行ったのだろう。
澄んだ「ありがとう」が言えない。

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