昭和なつかし日記

ボクの昭和の記憶を記録します。

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海底少年マリン

小学生になる前に好きだったアニメに「海底少年マリン」があります。
このマリンという少年が海中の中で悪い怪物や悪者相手に水中ブーメランなどで
活躍するという物語です。
赤いウエットスーツの少年と可愛らしい人魚のネプティーナ、イルカのホワイティ、
P1−0号の乗組員のブルトンとガラリンなど忘れられない個性的なキャラで番組を
盛り上げていました。
このアニメは日本初のテレビでのカラーアニメだった「ドルフィン王子」の設定をもとに
一度、「がんばれ!マリンキッド」というタイトルで13話放映されましたが、人気も芳しく
なかったようで、アメリカに輸出され「Marine Boy」のタイトルで当時のアメリカの子供たち
から人気を得たようです。
そんなこともあって、アメリカで3シーズン78話のDVDボックスが販売されたので
買ってみると、日本で販売されているDVDの画質が色抜けしているのにくらべ見事な
発色でびっくりしました。
話は「がんばれ!マリンキッド」後の改題した「海底少年マリン」に戻りますが、この作品は
日本版78話が完全に放映終了されたのは昭和46年9月となります、
ちょうどこの頃6歳だったので「海底少年マリン」は特撮の「怪獣王子」とともに幼き頃の
「ブーメラン信仰」へと誘っていくのでした。
あーあの頃のように遊びたい。中年の私はそう願うのでありました。
 

怪獣新聞記者

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 「怪獣新聞記者」を1972年12月下旬発売の小学館の雑誌「小学館BOOK1月号」上で子どもたちに募集していました。ボクも講談社発行のテレビマガジンで1972年10月発売の11月号で募集していた「少年仮面ライダー隊」の募集と同様、この募集に早速申し込みました。返信用封筒に50円切手同封の当時のバッジ等の支払方法のパターンでしたが、ウルトラマンAの表紙の隊員証とAのバッジが同封されていてなかなかのお気に入りでした。忘れられないのは、小学館BOOKは昭和48年2月下旬発売の3月号でボクを「怪獣新聞記者14XX」として掲載してくれたことでした。当時のボクは有頂天になり「怪獣博士」であると自慢したものでした。
 それから、1973年6月下旬発売の小学館BOOK7月号では怪獣新聞記者の手帳とバッジをウルトラマンタロウにかえ、1974年1月下旬発売の小学館BOOK2月号までその募集を続けたのでした。講談社側もマジンガーZ・グレートマジンガーのファンを対象にした「マジンガーズクラブ」というものを募集をするなど、この頃の特撮ファンの子どもたちにとっては夢の時代でした。

1969年10月からテレビでタイガーマスク(1969/10/2〜1971/9/30)が放映されました。
この番組はボクの年代(30代後半〜40代前半)の人たちには強烈なインパクトがあるでしょう。
ボクは「やんちゃな」子供でしょっちゅう傷の絶えない状況でした。
当時の子供たちにとってはタイガーマスクはウルトラマンシリーズが中断しているときで大ヒーローで、幼児だったボクは中島製作所のタイガーマスク人形でよく友だちと遊んだものでした。
一番記憶に残っているのは、ロッテが1969年10月から発売した「タイガーマスクフーセンガム」で、10円という金額ながら、懸賞にあたるとタイガーマスクのベルト(第一弾)かタイガーマスクのマント(第二弾)を獲得できました。ボクはマントを3枚あてて、当時家の中を縦横無尽に駆け回ったものです。
中年になった現在、あの頃のような感激はないですが、デジタル機器に囲まれた現在、アナログだったあの頃がとても懐かしく感じられます。

昭和48〜49年ころ、特撮番組のレインボーマン(昭和47年10月6日〜48年9月28日)から替え歌があちこちでつくられた。

ボクの住んでいる北海道の小学校でも同様で次のような歌詞があった。

1.インドの山奥でんでんむし見つけたんぼの稲刈りんごをかじってんごくいったよ

2.インドの山奥でんでんむし見つけたぬきのきんたま○こをいじってんごくいったようちえんいって…

  以下失念

串間努さんという方が研究されているそうですが、この歌詞はなかったと思う。昭和48年ころですから、ひょっとして北海道釧路市がこの替え歌の発信地であった可能性はある。

ボクの住んでいた北海道には昭和40〜50年ころに、まんがパンと怪獣パンというのが販売されていました。記憶では日糧パンかイズヤパンが作ったと思いますが、今おとなに人気の食玩コレクションの元祖的なもので、「怪獣パン」は青や緑などの色の小さな怪獣フィギュアが入っており、「まんがパン」は透明な袋にマンガが描かれたシールがあるものだった。
ボクのこどもの頃(昭和40年代)の給食は、おいしくないパン1個と雪印のテトラパック(再生紙を使っていて、柄はスキーをしている人などがデザインされていた)に入っていた味の薄い牛乳がメインで、パンにつけるイチゴジャムやマヨネーズ、そして、おかずが一品あるだけだった。
ボクは不精ものであったせいか、まずいパンをいつも食べないで、おかずのラーメンだけをおかわりすることが多かった。まずいパンは机の中に格納され、カビが生えるまで置かれることがよくあった。
ボクの時代も6年生ごろになると米あまりから、米飯給食の試験導入などが行われたが、先割れスプーンで食べた学校給食のラーメンの味が忘れられない。パンはやっぱり学校では食べたくないなー。できればあの怪獣パンが緑豆パンからおいしいパンに変われば今でもボクは食玩集めで購入するかもしれない。あー馬鹿だねボクは……。

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