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南京

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2月9日(金)

去年暮れの中国旅行の話の続きをします。

旅の最後は,南京と上海でした。
上海は何回も行っているので珍しくありませんが、
南京は初めてですし、“大虐殺”の話もあるところですから、若干緊張もしていました。

東京より西に2000キロの所にありますが、日本との時差は1時間ですから、、、

暮れの時期、現地時間の朝7時前に日の出となります。
南京といいますと、秦の時代からの古都ですから、、、
私は古色蒼然とした中国っぽい雰囲気を想像していたんですが、、全然そんな所はありません。

泊まったホテルの建物は30階クラス!、


ホテルの真ん前にあった共産党の建物もれんが造りのどっしりとしたものでした。

その周りにあるのは、、、超近代的な高層ビルばかりです。


ただよく見ると、現在の町のインフラが作られたのはここ100年位のようです。
戦前は、ここに蒋介石の中華民国政府がありました。
その後、日本が侵略して、蒋介石の政府は西の重慶に移り、、、
ここ南京には日本の傀儡の軍閥政権があったようです、、

日本の敗戦後は、蒋介石は台湾に移り、軍閥政権は消え、、
その後は、毛沢東の中共政権の南部の要衝として栄え、、、
1980年以後の改革解放の時代には、上海に次いで発展してきたようです。

今の南京は、上海に続け!とばかり町の至る所で開発が進められています。

道路は広くなり、公園は整備され、超高層ビルがじゃんじゃん建設されています。
見ていて、大丈夫かよ!?と言いたくなるほどです。
中国の発展ぶりにはただただ驚くばかりです。
とにかく南京は大きいので、まだ続きがあります。         

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毛沢東は生涯にわたり「南京虐殺」に言及せず

戦後になって東京裁判(極東国際軍事裁判)で「20万人」、南京での軍事裁判では「30万人」といった死者数が一方的に持ち出された。
ちなみに東京裁判で証言したことに対し、ベイツは中華民国政府から勲章を授けられている。「南京虐殺」を何としても捏造したかった戦勝国側の事情が垣間見える事実だ。

このころまでは「南京虐殺」のプロパガンダを主導していたのは中国国民党だったといえる。
一方の中国共産党はといえば、中華人民共和国建国の父・毛沢東が生涯にわたって「南京虐殺」には言及していないなど、この時期は目立った活動をしていなかった。

毛沢東は南京戦の5カ月後に当時、中国共産党の本拠地だった延安で「持久戦論」の講義をした際、南京戦に触れているが「日本軍は包囲は多いが殲滅が少ない」と、むしろ日本軍は生ぬるいという趣旨で批判していた。
その後、20年ほどは南京事件は国際的にほとんど問題とはされなかった。

2017/2/19(日) 午前 7:50 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]


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