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南京
無題
2017/2/19(日) 午前 7:50
毛沢東は生涯にわたり「南京虐殺」に言及せず
戦後になって東京裁判(極東国際軍事裁判)で「20万人」、南京での軍事裁判では「30万人」といった死者数が一方的に持ち出された。
ちなみに東京裁判で証言したことに対し、ベイツは中華民国政府から勲章を授けられている。「南京虐殺」を何としても捏造したかった戦勝国側の事情が垣間見える事実だ。
このころまでは「南京虐殺」のプロパガンダを主導していたのは中国国民党だったといえる。
一方の中国共産党はといえば、中華人民共和国建国の父・毛沢東が生涯にわたって「南京虐殺」には言及していないなど、この時期は目立った活動をしていなかった。
毛沢東は南京戦の5カ月後に当時、中国共産党の本拠地だった延安で「持久戦論」の講義をした際、南京戦に触れているが「日本軍は包囲は多いが殲滅が少ない」と、むしろ日本軍は生ぬるいという趣旨で批判していた。
その後、20年ほどは南京事件は国際的にほとんど問題とはされなかった。
深夜便
無題
[ s4n*j65*i0a* ]
2015/1/13(火) 午後 10:21
お疲れ様です。
いきなりのコメント失礼します(≧∇≦)キャー♪
既にm31**314431**さんのブログはお気に入りに入れちゃいました(o゚▽゚)o
今まで凄く落ち込んだりして
凹んだりして凄くつらい日々を過ごしてたんです。
でもでも、m31**314431**さんのブログに巡り合えて変わったんです。
やっぱり色んな所で共感したり、そうなんだって新しい発見があったりとか。
こうした縁も大事だと思っています。
色々相談をしたいし、仲良くなりたいなぁって思ったので
一応勝手ながら載せちゃいました。(○゚ε^○)
ayundamon@i.softbank.jp
これ、m31**314431**さんがもし確認できたらコメントごと削除してもらって全然かまわないので
宜しくです
[ iss*i*891 ]
2013/1/12(土) 午前 7:30
[ h nishioka ]
2012/12/17(月) 午後 3:36
[ 今里から美しい日本 ]
2012/7/5(木) 午前 7:03
百済第31代の王として即位した義慈王は、朝鮮半島の覇権を狙って自国と高句麗・新羅がせめぎ合う中、手痛い失策を繰り返して国を疲弊させ、660年には唐・新羅連合軍に攻められて百済を滅ぼしてしまった。
見かねた豊璋が天智天皇元年(662年)、朝廷から兵をつけてもらって帰国したものの、現地で内部分裂を起こした上、翌年の白村江の戦いで大敗を喫してしまう。これにより豊璋は高句麗へ逃亡、軍も完全崩壊し、百済復興の夢は潰えてしまう。
百済が新羅と戦った際、倭国は百済を応援したが白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れ、多くの百済難民が日本に来たのは歴史の事実である。
百済人の住む所や、職業、婚姻、名前等の重要なことは日本人の許可の元に決められていました。
仏教はインドで漢字は中国からきました。日本と朝鮮半島の約2000年間の文化を比較すれば、朝鮮半島に見るべきものはありません。


