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キリスト教では、他の人を裁くな、赦せということが言われているようです。 赦すとは、どのようなことでしょうか? 誰かが何か自分にとって不愉快なことをして、その相手に対して怒りを感じた。 でも自分の怒りを抑えて、その相手のしたことを我慢するということではないでしょうか? 感情というものは、人が生きていくために必要なエネルギーです。 そのエネルギーに従って何らかの行動をすることで、エネルギーは開放されるのです。 抑えるべきものではありません。抑えたように見えても五感を超えて相手に伝わってしまいます。 怒りは怒りを生じさせます。 では、どうしたら良いか? 赦せるような怒りであれば、元々生じさせないようにすることが出来ます。 あらゆる物事は、因果律により生じます。原因があって結果があるのです。 誰かが何か自分にとって不愉快なことをした。 しかし、その行為には、そのようにしたなんらかの原因があるのです。その原因は何か? このように、相手の行為を理解しようと努めると、不思議と怒りの感情は生じ難くなるものです。 自分自身から生じる感情を理に適ったものにしましょう。
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赦しを我慢と考えると、不幸ですね。
キリストは、赦しは我慢と違うと言われました。「赦した回数を数えているようでは、赦してないのと同じ」(マタイ18:21-22)
ペテロは、故なく十字架で死なれたイエスを見、その後肉体をもって復活されたイエスに会い、聖霊を受けてから悟り「罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。」(1ペテロ2:20)と書きました。人間の理性を超えた言葉です。全く言われなく悪の仕打ちを受けても怒るな、赦し(解き放ち)なさいなんて・・・この世は悪の力が存在するので、故なく苦しみに会うものと聖書は言います。
「赦す」というギリシャ語には「解放する」という意味があり神秘的です。オクさんのおっしゃっている開放に通じるように思います。
キリストの言われた「赦し」とは、地上の理性によらず、神の霊によって自分が悪より解放されていなければ辿り得ない境地だと思います。
失礼。私見を書かせていただきました。
2007/8/14(火) 午後 8:41 [ nakanonobokusi ]
付け足したいことが出てきたので、トラックバックを貼らせていただきました。
2007/8/22(水) 午後 3:25 [ nakanonobokusi ]