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完全なる悟りとは、その人が認知出来る世界で全体的な整合性を保つ方法を見出すことです。 簡単に言っていますが、釈迦でも出来なかったことです。 苦を滅するために全てから厭い離れよと言っているようでは、完全なる悟りを得るにはおぼつきません。 仮に釈迦よりも遥かに仏性が優れた人物がおり完全なる悟りを得たとします。 しかし、その人物が認知出来るのは五感で捉えられた世界のみとします。 我々は、五感を超えた世界を認知することで、釈迦よりも遥かに仏性が優れた人物の完全なる悟りを 簡単に超越してしまうことが可能なのです。
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認識論
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五感で捉えた事象からなる集合をAとし、その元をa1〜aNとしたとき、 現代科学が五感で捉えた事象に基づくのであれば、 全ての科学理論は、a1〜aNで表現可能です。 ここで、五感で超えた事象からなる集合をとBとし、その元をb1〜bNとし、 集合AとBは共通の元を持たないものとします。 このようにすると、全ての科学理論は五感を超えた事象について真偽を論ずることが出来ないと言えます。 また、集合A、Bに含まれる事象を全て認知出来る存在は、その真偽を判断出来る範囲が a1〜aN、及びb1〜bNで表現出来るように大幅に拡大します。 まさに次元を超えた知性です。 我々も次元を超えた知性を持つことが可能です。 認識論的にもう少し詳しく分かりやすい記事を書くかも。。。
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物事を理解すること、進化すること、アセンションすることは、論理的に演繹することとほぼ同じです。 数学的に定義可能ですが、数学的記号は使わずに説明しましょう。 ■物事を理解すること 物事とは、ある命題で表現出来ます。 自分自身で体験した事柄から、そのある命題を論理的に演繹することが、物事を理解することです。 ■進化すること 進化するとは、今までに出来なかったことが出来るようになることです。 例えば、道具が使えるようになるとか、言葉が使えるようになるとか等です。 これは、ある事柄が出来るようになることと言えます。 つまり、ある命題を論理的に演繹出来るようになることです。。。(←ちょっと強引か?) ■アセンションすること アセンションについて明確に定義したものは知りませんが、ここで明確にしておきます。 アセンションとは、霊的知覚を得るようになり、かつ、周りの人達との関係をも含めて 生きていくことに関して整合性を保つことと言えます。。。(←本当なの?) (↑ 論理的演繹との関係はどうなの?) インスピレーションを洗練中です。
徐々に明確に分かりやすくしていきます。 |
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真に理解するとは、進化とは、アセンションとは 物事の真偽を自分自身で判断出来たき、その物事を真に理解したと言えます。 このように一言で言えば簡単に思えますが、 本当にこれを行うのは、かなり困難ではないかと思います。 他の人(霊的ガイドも含む)の言ったことを鵜呑みにしてしまうということが、 往々にしてあるのではないのでしょうか? 教科書に書かれていること、学術論文に載っていること、チャネリングにより得られた情報 これらも全て他の人の言ったことです。 ◆ 素体験 他の経験からは理解出来ない経験を、素体験と呼ぶことにします。 例えば、生まれつき盲目の人は、色を理解出来ません。 赤い色を熱い感じと説明しても、赤という色そのものは、目が見えない限り理解することが出来ません。 この色を見るという経験は素体験と言えます。 ◆ 公理的ということと理解するということ 述語論理で記述すると言いたいところですが、なじみが無い人が多いと思いますので、 公理的という言葉を使います。 誰でもが認めるような明らかな事柄から、明確な推論規則に従って他の事柄を導き出すような やりかたを公理的と言います。 (「論理的に演繹する」「述語論理で記述する」と言う場合もあります。) ある事柄を真に理解するとは、素体験から明確な推論規則に従って、その事柄を導くということです。 この導くときに感情、思惑が入っていてはいけません。 正確に導くということが出来なくなってしまいます。 ここから分かることは、理解出来る世界を広げるということは、 いかに素体験を増やすかにかかっているということです。 進化とは、アセンションについては、後ほど。。。(いつになることやら)
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