みつの絵日記

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子供のころ、これから 出かけようとする時に、スカートの裾がほころびて垂れ下がっていたり、ボタンが取れそうだったりするときに、着衣のままに、針を使うことを、出先針と言って、祖母や母は忌み嫌った。
私が、金切り声をあげながら、早く 早くと急かそうものなら、「どうして ちゃんと準備をして置かなかったのか・・・。出がけに針を使って、何か 間違いがあっては困るから・・・」と「西行が旅の衣に急がれて、着て居て縫うも、めでたかりけり めでたかりけり、あびらうんけんそわか〜アビラウンケンソワカ〜」と歌いながら、縫ってくれていた。
家をあわてて飛び出して行っては、災いを呼んでしまって、碌な事が無い。
前の晩から、明日の朝 着て行くものは、きちんと点検して置くようにと、言われ続けていたのに、そんなことは、すっかり忘れて、いつも朝の出がけに大騒ぎ。
高校生になって、古文で中世の文学などを、少しかじるうちに、西行法師の和歌などを、習った時に、家のおばあさまが、西行法師を知っていたのかしら・・・?と 疑問にも感じつつ、浪曲や講談と相撲が大好きで、何でも良く覚えている御婆様だったから、もしや、知っているのかもしれないと・・・半信半疑だった。
誰それが、蒲郡に御嫁に行くんだそうですよ などと報告をすると、即座に 蒲郡出身の関取の名前をあげるような、祖母だったが。
そんなうやむやな思いが、数日前にはっきりした。
西行伝承の世界と言う本の中に、昭和の初めごろまで、旅をして歩く渡り職人の様な人たち、大工や鋳物職人など、旅法師の西行をもじって、そのような人たちを、サイギョウと呼んでいたのだそうです。
お醤油を絞る職人さんが、3〜4人で、数日泊まって、一年分の醤油を絞り終えてから、また 何処かに、出て行った記憶もある。
この職人さん達は、夜になると、花札をしていた。
子供だった、私が、座敷わらしのように、覗いていると、「おいで おいで」と、面白がって、呼んでくれるのですが、その遊びを、覗いていることがいけないことと、家の人たちに叱られるので、近くまで、行ったことは無い。
20歳を過ぎてから、あの パチン パチンと音を立てて、札をやり取りしていた、ゲームが、花札だと知った。
何も知らない、田舎の子供にとっては、渡り職人イコール西行は、異文化を運んでくる人たちにも、思えた。
萱屋根ふき職人さん達の、記憶もある。
御ばあさまに、西行を知っているの?と面と向かって、聞いたことが無かったのですが、45年来の謎が解けました。
草花の好きな、祖母でした。
 願わくば 花の下にて春死なん その如月の 望月のころ  に亡くなりました。

私には 孫が4人いますが、このような歌を伝承したいのだけれど、そのような生活環境ではない事が、ちょっとさびしくもある。

ヒイラギの花です。

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