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渋谷で 人と 待ち合わせがあって 解りやすいところと言うことで 岡本太郎の 大壁画の下で 待つことに。
人を 待たせることが 好きな性格ではないので、自分が待っている分には良いのです。
ボーッと立っているようでも 通過する人を 眺めているだけでも 面白い。
高校生の時に 岡本太郎さんの本を読んだり 絵を観たり 陶磁器の座ることを拒否する椅子に直接座って見たりして・・・・
岡本太郎さんに フアンレターを出したことがありました。
16歳の茨城の芋ネエチャンでした。
実質的には奥さんであった 敏子さんから お返事を頂きました。
1本の線がつながったような 嬉しさだった。
20歳を過ぎてから 六本木で 何度か 岡本太郎氏にお会いしたことがある。
まさか 16歳の時に お手紙を出したことがありなんて言えなかった。
太郎氏の黒眼が 深い藍色に見えたのが 不思議だった。
口角泡を飛ばして 何かを まくしたてていたのだが その内容は忘れてしまって 目の中の 深い青さだけが記憶にある。
そんな思いでもあり縦5メートル 横30メートルの明日の神話を じっくり拝見。
メキシコのホテルの壁を飾るはずでしたが、注文主の 経済的事情の悪化から、完成を見ないで、100以上に分割されて 倉庫の中に眠っていたのを 船で 日本に運んで 蘇ったそうです。
蘇生したと言っても 仕上げは 岡本太郎氏本人ではないせいか、イマイチ 芸術は爆発だ〜〜!と言った 迫力に欠けるように思える。
第五福竜丸の被爆した様子と それを乗り越えて 希望をもって 立ちあがる人間像。
鮮やかな極彩色のはずなのですが、少し霞がかかっているように見えるので、真下から 見てみると うっすらとホコリが・・・・
岡本氏は 「たとえ壊れたとしても 遮断してはいけない。ガラス越しの 芸術は 芸術ではない!」。と言っていた人。
年に一度の すす払いは しているそうですが、うっすら 埃がかぶっていようが ガラスの反射もなく 写真に写せたことも ありがたい。
キャンバスとしての素材に アスベストが 使われているそうです。
絵の具の被膜で安全なのかな・・・?
あの吹き抜けの 空間を 岡本氏の魂が、飛んでいるように 感じているうちに 待ち人がきました。
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