|
楽しい時の過ぎるのは早いものです。
私達は八重山諸島に来たらどうしてもはずせない竹富島に行きました。
石垣島からは高速艇で10分ほどで竹富島に着きます。
この島は昭和62年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
約480年前の琉球王朝時代に島出身の偉人西塘(にしとう)が竹富島で八重山を統治したという
歴史があるのです。
その為、この島には当時の役所の跡「蔵元」や赤瓦の古い町並みなど、沖縄の原風景が
色濃く残っています。
民家の密集している地域は白砂の道と石垣に囲まれた赤瓦の家並が続いています。石垣の間からは
ナスタチューム、やハイビスカス、ベニデマリ、ブーゲンビリアなどの花々が顔を覗かせています。
そこには昔の生活そのままの素朴な風景が当たり前のように残っているのです。
そんな町並みを自転車で回る人、水牛車で回る人、歩いてとそれぞれ思い思いにのんびり回ります。
村の道を通り、どんどん進むと10分ほどで海岸にたどりつきました。
まず☆砂で人気のあるカイジ浜です。
こちらの浜は、殆ど珊瑚でできているようなもので岩かと思えば珊瑚なのです。
なので遊泳禁止ということです。
次は5分程でコンドイ浜です。
この海岸も思わず声をあげたくなるほどの綺麗な海岸でした。
コーラルグリーンの遠浅がどこまでも続くのです。
船浮のイダの浜と違う所は竹富島全体が人気があるので裸足になって水遊びに興じる人がかなりいました。
この島は民宿や飲食店も多いのですが決して景観を壊していないのです。
商用で使われている家もちゃんと景観に溶け込んでいるところが人気のある所以かと思います。
帰る頃になったら3日間もっていた空模様が怪しくなり雨が降り出してきました。
慌てて港に戻り帰路に着いたのですが午後から凄い暴風雨になったのです。
石垣島から名残惜しくも慌てて沖縄に向かいました。
その後の便から飛行機が飛ばなくなったようなので危機一髪でした。
でも私達も那覇空港で足止めになりました。
出発まで2時間も遅れるということで当然空港のレストランで最後の宴会です。
手荷物の泡盛も開けてしまい、最後までとことん飲みました。
正直、こんなに飲んだ旅は初めてでした(汗)。
そして天候に恵まれた私達の島巡りは本当に運がよかったです。
土曜夕方、石垣島の市場から発送したおみやげは火曜日の午前中には着いていましたから
早いものです。
必須のサーターアンダギー (沖縄風穴なしドーナツ)、トーフヨー、ソーキ(豚の角煮)の他、
八重山そばなども。
タンカンや完熟マンゴーが思った以上に美味しくて毎日食べています。
そして夜は泡盛を飲んでは、行けなかったまだ見ぬ島に思いをはせています。
この他にもお菓子あれこれや地ビール、ミミガーチップ、砂肝ジャーキー、島豚ジャーキーなども
買ってきたのでこれから楽しみです。
いつになるか分りませんが早くもこの次は与那国島や、黒島、小浜島、波照間島
などにも行きたくなっております。
今回は諦めた石垣島の泡盛蔵見学も画策しております。
|
同じ日本とは思えませんね・・・海開きもやったみたいですし沖縄行ってみたいな〜
2006/3/22(水) 午前 10:18
この時期、日本は北は摂氏0度以下から南の夏まで幅がありますよね。パスポート無しでこの範囲を行き来できるのですからぜいたくです。
2006/3/23(木) 午前 0:56
これぞ沖縄(実は本島じゃないのかな?)って風景。ミミガーチップ、砂肝ジャーキー、島豚ジャーキー・・・よだれが・・・
2006/3/27(月) 午後 1:45
あらら、コメ見逃していました(汗)。ごめんなさいね。今は本島より八重山諸島の人気の方があるようですよ。
2006/5/7(日) 午前 3:23
ロバート・バウン号事件から14年後の1866年6月17日、中国人苦力340人を乗せた船が、竹富島蔵元前の浜で台風に遭って座礁した。
溺死者114人、行方不明者62人、生存して帰還した者は166人で犠牲者は半数に達した。
溺死者114名のうち、竹富島へ流れ着いた中国人の死骸は39人、小浜へは24人、高那村へは1人、黒島村へじゃ34人,冨崎浜へは19人であったという。
イギリス人船の船主から「海上航海用の食料と用水、その他船具などの所望品を用意してくれるように」と要望があり、それに応えた。
2018/2/18(日) 午後 10:43 [ 安全は大切ですね ]