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愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山
元禄3年(1690)に発見され翌年から昭和48年(1973)までに約280年間に70万トンを産出
東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれた場所
地中深くから掘り出された銅の鉱石を坑内電車で東平まで運搬し、そこで選鉱した後、貯鉱庫に貯め、索道を利用し、現在のマイントピア別子(端出場ゾーン)のある端出場へと輸送していた中継所となっていたところ
最盛期には、社員・家族を含めて約5,000人が周辺の社宅で共同生活する鉱山町でもあり、病院や小学校、郵便局、生協、プール、娯楽場、接待館などの施設も整備され、一時期の別子銅山の中心地として賑わっていた 現在は遺構だけが残り東洋のマチュピチュとも称されている
ここまでの道のりは少々困難である
端出場ゾーンから走ること約30.40分
目的地まであと約5.5㌔にさしかかったころこんな看板が
「この先、道路狭し!! 幅2.5mご注意ください!!」
「車高2.8m・車幅2.1m・車長7.1m 以上の車は通行困難です!!」
運よく対向車が来ることはなかったが遭遇すると狭い山道を何百メートルもバックするということにもなりかねない
そんな道のりを乗り越えやっと到着♪
先ず、目に飛び込んできたのは視界いっぱいに広がる新緑が眩しい山々の風景
と、ともに何やらピンク色が・・・
ズームにしてみる
おそらく花だと思うが詳細はわからない
凄く不思議な風景であった
それではお目当ての遺構へと進む
素晴らしい石積みは城壁のような佇まい
貯鉱庫跡
実はここまでは駐車場から220段の階段を降りてこなければならない
その階段はかつてインクラインだった
当時、生活用品や資材の引き揚げ下げの為に利用されていた それでは「東洋のマチュピチュ」の全容をご覧いただこう
☟
その前に・・・
期待しないでください・・・
ガッカリしないでください・・・
では・・・・・
ぎゃ、逆光・・・
_l ̄l●lll ガクリ・・・
思っていたより小さかったけど・・・
逆光で眩しくて直視できなかったけど・・・
まぁ、いっかぁ〜
山の向こうには新居浜市街や瀬戸内海が臨める
昭和43年ごろの様子
現在の様子
上から覗いてみた図
現地にあった写真だともっとよさがおわかりいただけるかと
東洋のマチュピチュと言われているが「天空の城 ラピュタ」の面影を感じる
との声もあるようで感じ方は人それぞれ
スリルある道のりを乗り越え(笑)アナタ自身の目で確かめてみませんか〜
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足のむくまま 愛媛
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コメント(12)
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別子銅山の施設跡を利用したテーマパーク
最後の採鉱本部が置かれた端出場地区を見学した
これに乗って観光坑道まで出発〜
この橋を渡り坑道の中へ
この長〜いトンネルの先には
当時の様子が細かく表現されていたり
当時使用されていた物も展示されている
坑道内を堪能し帰りは歩いて戻ってみた
この鉄橋から下を覗くと・・・
この中からスッゴイ冷気が出てた・・・
旧端出場水力発電所
明治45年に建設
第三通洞(明治38年貫通)を通り、水路で石ヶ山丈の煉瓦造の水槽まで引水し
当時日本一を誇った落差597mの水力を利用して、国内最大級の3000キロワットの発電を行った
大正11年に発電機と水車を増やし、四阪島へ海底ケーブルを使い昭和45年まで
電気を送っていた
この場所から走る事30〜40分、最大の目的地へと向かう
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