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昔々の話です。中学生の1年から先輩の影響で真空管ラジオを作り始めました。
それまでは、小学4年位まではプラモデルばかり、飽きるほど作って飽きてやめて、模型作りに変えました。ほとんど建築の重機でした。小学校、中学校の文化祭で出品したらほとんど金賞をもらっていました。中1の時だけ佳作でした。(自慢し過ぎ)^^;
材料はほとんどベニヤ板から切り出して作っていました。それも飽きてきた頃、ラジオに切り替えたわけです。
中学2年になって転校したら、今度は別の先輩の影響で真空管アンプを作り始めました。
これからがオーディオに興味を持ち始めました。
最初はST管(ナス管)42、6ZP1、6AS7Gでその次がGT管で6V6、6080、6336A、MT管で6BM8、6AQ5,6BQ5、7189A、等で作っていました。
当然、お金もあまりなく、あちこちジャンク屋さんを探して買っていました。
当時、福岡に米軍基地がありましたので、その山手にはゴミ捨て場のような所があって、おじさんがジャンク品とか売っていました。その頃から米軍の捨ててあるものを見てアメリカは物資が豊富だなと思っていました。ジャンク品は当然、MILスペック(軍用規格)のものですから民生品と比較にならないくらい頑丈で立派な部品ばかりでした。例えばリレーとかは、金属ケースで完全密封、不活性ガス入り、金メッキ端子で踏んでもびくともしない位頑丈でした。
その時代は世の中にステレオが初めて出てきた頃でした。
最初はアンサンブルステレオと言って左右のスピーカーが一体になって、家具のようなデザインでした。その後数年してパイオニアから世界で初めてセパレートステレオが販売されました。
真空管アンプを作るのも流行っていました。中学生でしたので貧乏でスピーカーはそのころ安い物はコーラルでした。パイオニアは高値の花でした。
最初買ったのはコーラルの16cm(ロクハン)の6A7と言うダブルコーンでした。
安い割にはまあまあ聴けました。その後は2wayの20cmの8CX50だったと思います。
これもまあまあでした。
真空管アンプ、ステレオの部品を扱っている店は、西日本ラジオ、カホ無線、マルヨ無線、栄電社、大西商会、等でした。
その頃の本で制作記事がよく載っているのがラジオ技術、無線と実験でした。
それからちょっとしてステレオサウンドが創刊されました。でも価格が高く創刊号と2号で買うのをやめました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。^^続きは又後日に。
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オーディオ
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