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2010年1月3日
昨日氷川神社にお参りに行った。
息子の初宮詣りの神社であるが、彼はあまり出来が良くないから霊験あらたかと言えるかどうか。
「親譲り」という冷厳な事実は神様にもいかんともしがたいのだろう。「包んだ金額が低かったか?」
さて、「Hanako」961号(2009/12/24発行)の「聖地案内」は時宣を得た良い企画だ。
日本の主な聖地が肩ひじ張らずに紹介されている。
ページをめくっているうちに誌上初詣でをしている気分になる。500円で4カ所も巡れる。
神社は樹々や渓流そのものが御神体だから、実際に詣でた人はゆっくりと境内を歩くだけで霊気を全身に受ける。
明治神宮も普段の日にお参りすると、樹々のそよぎと小鳥のさえずりが聞こえるのみで聖域の清らかさ、厳かさでこころが洗われる。
茂木健一郎の別のレポートによれば伊勢神宮のご神体の中心は丸い鏡である。
鏡はそれ自体「すがた」をもたない。
回りに写るものがなければただの磨かれた丸い金属である。
参詣するということは実は自分の姿、こころをこの鏡に反映させるということなのだ。
神道の思想は「八百万の神(やおよろずのかみ)」、この世の一切が神であるから僕やあなたも神であると教える。
鏡に写る自分がご神体!。
確かにこの身体は自分で造ったものではない。
創造の神様がほっぺたに泥をつけながら、粘土をこねまわしてお造りになったものだ。
たまには良く検品なさらずに僕みたいな出来損ないもポィと浮き世に出品なさるが。
それにしても大方の人間は神にふさわしい生き方と生身の生活の間には大きなズレがあるでしょう。欲望から生み出される不誠実、虚偽、偽善etc.。
自説になりますがこの差を一年に一回でも反省する、あるいは縮める誓いを立てるのが「初詣で」なのではありませんかね。
僕の場合毎年、神前で性懲りも無く「申し訳ございません」と神妙に反省する。
でも参拝が終わって寿司屋で一杯やりはじめた頃からもうおかしくなる。
せっかく100円のお賽銭を払って神様になったのに「今年は他人を出し抜いて自分だけ大儲けしよう」とか「ワイフには打ち合わせと言って、かおりママのバーに行こう」とか煩悩がうごめきはじめる。
・・・「Hanako」の紹介でした。「聖地案内」には門前の横町でいただける山や海の幸の紹介もされていて食いしん坊の僕にはうれしい。
「Hamako」を片手に、伊勢神宮に今年こそはお参りしてみたい。
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伊勢神宮は、すがすがしい所ですよ!
僕も、1度行きました町全体が神社だらけ内宮と外宮別れいるんです
どちらも広かったのを覚えています
明治神宮は、ここが東京かて思える場所ですね
2010/1/4(月) 午前 1:05
コメ39です。
今年もジャズ評論、期待してます。
2010/1/4(月) 午前 8:21