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樹木についてのブログ

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生態学的意味

増井千晶碧井椿
樹木は、それが可能な条件下では、ほとんどの陸上環境において、その地で最も大きくなる植物である。樹木が生育すれば、それによって地面は覆われ、その下はそれがない場合とははるかに異なった環境となる。これによって形成される相観、あるいはそこに見られる生物群集を森林という。したがって、樹木の生育は、ある面でその地域の生物環境の重要な特徴を形成する。気候や生態系をそこに成立する森林の型で分けるのはそのためである。
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また、樹木は、その体を支持するために太くて固い幹を持つ。この部分はその群集、あるいは生態系における生物量の大きな部分を占める。つまり、木は生産物を多量に蓄え、保持するという点で、極めて特異な生産者である。その資源の大部分はセルロースとリグニンという、いずれも分解の困難な物質であり、しかも頑丈で緻密な構造を作るため、これをこなせる生物は少ない。菌糸をのばし、その表面で消化吸収を行なうという生活の型をもつ菌類は、この資源を利用して進化してきたという面がある。それを含めて、この資源を巡っては、分解者と呼ばれるような、独特の生物の関わりが見られる。そこに生息する動物にも、シロアリやキクイムシなど、菌類や原生生物との共生関係を持つものがある。
増井千晶碧井椿
他方、太くて高く伸びる茎や、細かく分かれた枝葉は、他の生物にとっては複雑で多様な構造を提供するものであり、生物多様性の維持に大きな意味をもつ。また、森林において、生産層は樹木の上部に集中する。しかし、それら地上に離れ離れに存在する幹から伸びたものである。したがって、ここを生息の場とする場合、場所を変えようとすれば、飛ばない限りは、一旦地上におりなければならない。これは大変なエネルギーロスである。動物の飛行や滑空の能力の発達は、ここにかかわる場合も多いと考えられる。
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木(進化的意味)

増井千晶碧井椿
木は陸上植物のみに見られる植物の形である。水中の植物にもコンブのように大きくなるものはあるが、それらは柔軟で細長い構造をしており、幹のような構造を持たない。これは、水中では体を支える必要がないこと、逆に陸上ではそれを支える仕組みなしには生存できないことによる。陸上生活を行うために、植物は空気中で広げられる葉や、それを支える茎、それに体を固定し保持し、水を吸い上げる根を発達させた。そのことで体を空中に突き出すことができるようになったことが、今度は他者より高い位置に出てその上に葉を広げる競争を生み出したのであろう。そしてこれを大規模に行うための適応が、木質化や肥大成長であり、それを支える根もさらに発達し、そのような構造を獲得することで植物は地上でもっとも背の高い生物となり得た。また、胞子による繁殖から種子の形成に至る生殖方法の進化は、自由な水に依存しない生殖を確保する方向の進化といわれるが、同時にそのような構造が地表をはるかに離れた枝先に形成されるようになったことの影響も考えられる。
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たとえば岩波生物学事典の【木本】の項では「茎および根において肥大成長により多量の木部を形成し、その細胞壁の多くが木化して強固になっている植物。草本と対する」としている。ただし、この定義に厳密に従えば木かどうか迷うパパイヤなどはもちろん、ナス、キクなど一般には「草」として扱われる多くの植物が木になってしまう。しかも、これらも種に固有の性質ではない。ナス科、キク科、マメ科、アブラナ科などには、通常は草として生育しているが、条件がそろえば枯れることなく連続的に生長し、軸を肥大・木化させる種もたくさんある。例えば、ナスやトウガラシは温帯では草であるが、熱帯・亜熱帯では明瞭に灌木に分類される性質を示す。

一般的には顕花植物の双子葉植物で木本化するものは樹皮の裏側だけが生きており、それの成長に基づき二次成長し肥大するのが木本とされるが、単子葉植物の場合は、成長組織が幹内に拡散しているので、二次成長があっても、樹皮の裏側だけが成長している訳ではない。例えば、ドラセナの一種のリュウケツジュなどは推定3000年の古木があるが、単子葉植物なので、四季の有る場所で育てても年輪は出来ない。また、双子葉植物のバオバブは気温が常に暖かい場所に自生するが、雨季と乾季の成長差で年輪が出来る報告がある。

一方で明瞭な茎の肥大が認められないモウソウチク、ココヤシなどは、その地上部は強固かつ10mを超える「高木」になるが、木には分類されない。葉が合わさってできた偽茎が幹の代りになり、丈が高くなるバナナや、根が茎を補強することにより高くなるヘゴなども10メートル近くの「大木」になり、成長に従って「幹」が太くなるが、これらは木には分類されない。造園界樹木学上では「特種樹」として扱われている。

他によくされる議論としては以下のようなものがある。年輪ができる植物を木(木本類)、できない植物を草(草本(そうほん)類)と定義する。ところが、「パパイアの木」には年輪ができないので、「草」に分類される。ただし、年輪は、季節による寒暖の変化や、乾燥・湿潤の変化により組織の生長スピードが変化した結果生じるから、明らかに木であっても、連続的に生長する条件(熱帯雨林のように、1年を通じて寒暖等が変化しない環境で生長した場合など)では、年輪はできない。
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さらに別の見解として、木とは非常に厚くなった細胞質を持つ死んだ細胞により生体が支持されている植物である、とするものがある。細胞が非常に厚い細胞壁を発達させ、死んで生体の支持に使われるようになることを木化、あるいは木質化という。具体的にいうと、いわゆる木材は、主として道管から成り立っているが、この道管は細胞壁が厚くなって、最後には細胞そのものは死んで、残った細胞壁がパイプの形で水をくみ上げる仕事を続けるものである。そのような部分をもつ植物が樹木だ、という判断である。上述の竹やココヤシなどは、これによれば木と見なされる。

しかし、現実にはほとんどの維管束植物で道管や仮導管の細胞壁は二次壁により肥大するため(つまり程度もの)、なにをもって「非常に厚い細胞壁」とするかは完全に恣意となり、厳密に適用すればほぼ全てが木に分類されてしまう。

上田弘一郎京大名誉教授(世界の竹博士)は『竹は木のようで木でなく、草のようで草でなく、竹は竹だ!』と力説していた[4]。 つまり、この発言も示すように専門家でも維管束植物を木か草に2分類するような定義は策定・同意しかねるものである。
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増井千晶碧井椿
「き」「木」や「tree」というのは古代から用いられてきた呼称・概念である。

現代では、「木」は高木と低木の総称であるとも、木は大きさによって高木(喬木 きょうぼく)と低木(灌木 かんぼく)に区別する、とも。 「木・樹」と言って、たちき(立木)を指していることもある。また「木・樹」と言って、特に高木を指す場合もある。

現代の植物学では(素朴な言葉として用いられている「木」という語を避け、学術的な用語を用いる場合)「木本植物」という用語で呼んでおり、これは「草(草本植物)」と対比する語である。

硬い幹をもち、幾本もの枝があり、地面に根を張り、生長する。幹は木質化し、次第に太く成長する。枝の先には葉と芽を付け、花を咲かせ、主に種子をもって繁殖する。

高さは、高いものではたとえばオーストラリアのユーカリの一種や北米のセコイアオスギのように130mほどに達するものがあり、小さいものではフッキソウやヤブコウジのような例がある。
高木が集まり森林をつくる

高木が集まってできた植物社会が森林であり、地球の陸地のほぼ半分は森林で占められているものの、近年は伐採(森林破壊)が進行中である。

木は古来、人間の生活・文化と密接な関係があり、洋の東西を問わず祭祀に何らかのかかわりを持っている。
増井千晶碧井椿

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